第46話 記憶

 「ほらあなた見て、やっぱり金沢といったら兼六園よねえ」

 久々に笑顔ではしゃぐ妻の顔。

 「おいおい、そんなに急がないで。まずはこの辺りで一枚っと・・・」

 『カシャ!』という音共に、私は喜ぶ妻の笑顔をそのデジタルカメラの中に収めた。


 考えてみれば、定年を迎えた今日まで、私はずっと働き詰めの人生を送ってきたと言える。当然、妻とゆっくり旅行などしたことは一度も無い。

 そんな私を彼女は良く理解してくれ、今こうしてそれに私が報いることができるのも、やはり妻の支えがあったからに違いない。

 そう言う意味でも、今日は目の前の妻がいつもより幾分眩しく見える。


 「ねえあなた、ここからの風景とても綺麗よ」


 そう妻が指さした先には霞ヶ池を縁取った庭園が広がっている。ここから卯辰山を正面にして望むと、近景には内橋亭が、中景になる蓬莱島が浮島のようにと見える。なるほど、なかなか憎い構図ではないか。

 「君にはカメラマンとしてのセンスもあるようだね」

 良いながら、私はデジタルカメラのシャッターを何枚も切る。


 「もうせっかくの景色なんだから、あなたのその目に焼き付けないと」

 妻がそう言うのももっとな話である。

 しかし、ついこの間まで報道のカメラマンをしていた私にとっては、妻が家庭の伴侶であるように、デジタルカメラは私にとって掛け替えのないパートナーであったのだ。すなわち、私にとっては自分の目だと言っても過言ではない。

 私達はその後も、雁行橋から七福神山へと抜け、菊桜を愛でながら花見橋へと向かった。

 もちろん、その各所々で季節の花を背景に妻の姿をスナップしたことは言うまでもない。


 「あなた、今度は『ひがし茶屋街』へ行ってみたいわ。そこでとっておきのスイーツを食べるのよ」

 (なるほど「花より団子」とは、昔の人はよく言ったものだな・・・)

 そう思う気持ちを飲み込みつつ、妻にとっては旅のもう一つの醍醐味でもある『食文化の金沢』を探しに出掛けた。


 「あなたは食べなくて良いの?・・・」

 妻が大きな口を開けている姿を撮りながら、私は首を振る。

 「君の姿を見ているだけで、私はもうお腹いっぱいだよ」


 『カシャ!』


 ぜんざいに続いて運ばれてきたパンケーキを接写でもう一枚。ホイップクリームの上からメイプルシロップがかけられたそれを、ファインダーいっぱいに収める。


 「それにしても君の食欲には驚いたな・・・」

 その言葉に、妻は平然と答える。

 「あたしはいつも、記憶に残る旅を心掛けているのよ」

 「記憶に?・・・」

 「そう、あなたみたいにただカメラでカシャカシャとスナップを撮るんじゃなくて、私は自分の目や手で、そして自分の舌で味わったことを記憶として心に残しておきたいのよ」

 

 そう言うと妻は目を閉じて静かに語り出す。

 「今日行った兼六園、素敵だったわ。特に霞ヶ池からの光景は一生忘れないでしょうねえ。それに菊桜も鮮やかだったわよねえ。もちろんその後見た栄螺山や獅子巌、黄門橋なんかも風情があったじゃない、あなた覚えている?・・・」

 妻は私のデジタルカメラの方へと、チラリと目を落とす。

 (つまりは、写真ばかりを撮っていて、少しはその感動を心に記憶したのですか?とでも言いたいのであろう)

 

 私はデジタルカメラでそんな妻を撮る振りをしながら答えた。

 「霞ヶ池は17枚目、菊桜は31枚目で栄螺山は66枚目。獅子巌が72枚目で黄門橋は79枚目に収めてあるよ。ちなみに、さっき君が大きな口を開けてぜんざいを食べている姿は115枚目に撮ったものだね」


 「何よそれ?・・・」

 妻は目を丸くする。

 「このデジタルカメラの中に収めた順番だよ。私はそうやって君との旅を楽しんでいるんだよ」

 「・・・って、じゃあ、撮った写真の順番を全部覚えているって言うこと?」

 

 私はデジタルカメラを胸に当てると、優しく妻に微笑む。

 「そう、これが私の記憶の仕方ってやつなんだよ・・・」

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