第22話 パティシエの隠し味

 自由が丘の駅を、目黒線の奥沢に向かって歩いていくと、ほどなく小さな神社が目に入る。

 その神社の脇にある路地を入ったところに、ケーキ屋の『taste of honey』がある。


 あまり目立つようなところではないのだが、店はけっこう繁盛しているらしい。といっても、その店は店頭でケーキやクッキーなどを売っているのではない。すべて注文を受けてからパティシエがひとつひとつ心を込めて焼き上げるというものであった。

 その上注文の品は、必ず彼自身がその家まで届けてくれるというのだ。

 ただ残念ながら、その注文は一ヶ月にたったの一個。それだけ手間もかかるということなのだろう。

 当然、この店の噂は口コミで広まり、今日もその噂を聞いたお客がこの店を訪ねた・・・


 「こんにちは、おケーキを注文したいのですけど」

 見るからにブルジョワな感じのする婦人である。横には彼女の子供だろうか、小学生くらいの男の子がひとり立っている。


 パティシエは軽く会釈をすると、さっそく注文を尋ねた。

 「この私に、どのようなケーキを作らせていただけますか?」


 彼はどんなお客に対しても、必ず同じようにこう尋ねる。

 婦人はその男の子の腕をたぐり寄せると、にこやかに答えた。

 「うちの慎ちゃんのお誕生日をお祝いしたいの。お友達もたくさん呼ぶので大きなケーキをお願いするわ」

 どうやら婦人は、喋るとき鼻の穴をピクピクさせながら喋るのが癖のようだ。


 「奥様、ケーキの大きさではございません。どのようなお味かと言う意味でございます・・・」

 パティシエはあくまでも丁寧に、それでいて相手が何を望んでいるのかをつぶさに観察しながら話を進めた。

 「お味なんて何でも結構よ! クリームでもチョコレートでも」

 相変わらず、婦人は鼻をピクピクさせている。

 「よろしくて、とにかく大きいのを作ってちょうだい。見た目が大事なのよ! お味なんて二の次で良いわ。ただし、材料は最高のものを使ってちょうだいね。変なものを出したら、慎ちゃんがお友達に笑われてしまうでしょ」

 婦人は捲し立てるように、彼に注文を並べ立てた。


 パティシエは人差し指を口に当てると、さらに注文を述べようとする婦人の言葉を制した。

 「すべて分かりました。私にお任せ下さい」

 そう言うと、パティシエは婦人に一枚の紙を手渡した。


 「それでは、こちらの用紙にご住所と電話番号、それと旦那様や奥様のお知り合いの方のお名前、そしてお子様の学校名とお友達のお名前をお書き下さい」

 婦人は、半ば呆れた顔をしていたが、渋々言われたとおり紙にペンを走らせる。


 「奥様、ケーキの作成には一月ほどお時間を頂きます。それと、こちらがそのケーキのお値段でございます」

 そう言うと、彼はケーキの値段が書かれた紙を、その婦人に手渡した。

 そこには、ケーキ代金 五十万円也と書かれている。

 婦人は少し戸惑いの表情を見せたが、すぐに分厚い財布の中から現金を取り出した。

 帰り際、婦人はこんな言葉を付け加えることを忘れなかった。


 「噂では、ここのパティシエがお作りになるケーキは、お値段以上の価値があるとお聞きしたけど、私も期待しているわ」

 婦人は子供の手を取ると、路上に駐車してあるベンツへと乗り込んだ。


 さっそくパティシエはコックコートとエプロンを脱ぐと、私服に着替え始めた。そしてそれが必要なのか、サングラスにマスク、付け髭まで着けている。

 身支度を整えると彼は、カメラを持って店をあとにした。



 彼が最初に向かったのは、先程ケーキの注文を頂いた婦人のご主人が勤める勤務先。

 ご主人が勤務する会社は、大手外資系の証券会社。そこで、彼は営業部長の地位にあるという。

 さっそくパティシエは、その勤務状態や営業成績、果ては交友関係までをも調べ上げた。

 これがケーキ作りと、どう関係するのかは分からない。ただ、このパティシエは注文を受けた依頼人のすべてを把握してから、ケーキ作りを始めるらしい。

 どうやら巷での噂は本当のようである。


 次に、パティシエが向かったのは、婦人が通っているというカルチャーサークルであった。

 婦人は週に三日、料理に陶芸、トールペイントのサークルに通っている。彼は何故か婦人が来る日を避けては、そのサークルの体験入学に参加してみた。

 そこに通うほとんどが女性と言うこともあり、多少の戸惑いもあったが、そこは仕事と割り切って目をつぶった。


 最後に、パティシエは子供が通っている小学校の近くに行ってみた。実は、これが一番厄介なのだ。

 下手に学校の回りをウロウロすれば住民からは変に思われ、うっかり子供達に声でも掛けようものなら変質者と疑われる。

 いつも思うのだが、この仕事の中での一番つらい部分なのだ。

 彼は何日もの間、この家族のことを知るために、このような探偵まがいのことに時間を費やした。



 約束の日の前日。

 パティシエは、やっとケーキ作りに取りかかった。

 もちろん最高の素材を使うことは言うまでもないが、事実彼の技量もなかなかのものである。

 結局その日は、徹夜で注文通りの大きなケーキを焼き上げた。

 仕上げの最後に彼は、ケーキの箱に小さなメッセージカードを添えた。こんなところに気を使うあたりも、このパティシエが人気のある秘密なのかもしれない。

 彼は大きな白い箱にそのケーキを収めると、あの婦人と子供が待つ家へと出掛けた。


 午後二時三十分、パティシエは約束の時間通りにやって来た。

 彼はそのケーキを、慎司君の誕生パーティーをしている部屋へと運ぶ。部屋にはすでに数人のお友達とそのお母さん方で溢れている。

 何とその中には、婦人が通うカルチャーサークルで見た女性の姿もあった。


 パティシエが箱を開けると、皆一様に歓声を上げた。

 帰り際、彼は婦人に一言囁く。

 「召し上がる際には、メッセージカードもお忘れなく・・・」


 婦人は手際よくケーキを切り分けると、箱の裏側にテープで着けられていたそのカードをはがした。


 「ハッピバースデー、慎ちゃーん」

 「慎ちゃん、お誕生日おめでとう!」


 お祝いの言葉に続いて、みんなで美味しい料理と、そしてあのパティシエが作ったケーキを味わった。

 ある婦人が呟く。

 「本当にここのケーキは美味しいわ、余り甘くないのも良いわね」

 別の婦人が続いた。

 「そうね、でも子供達にはもう少し甘い方が良いかもしれないわね」

 見ると、子供達の中には、半分ぐらいケーキを残している子もいるようだ。

 婦人は自分でもそれを少し口にしてみたが、なるほど、子供が食べるには少しビターが効き過ぎているだろうか。


 「そういえば、あのパティシエさん、食べるときにカードもいっしょに見てくれって言っていたわね・・・」

 婦人はパティシエに言われたように、ケーキに添えられたメッセージカードを開いた。そこには、次のようなメッセージが書かれている。


 『慎司君の同級生の岡村君、成績が下がってお父さんにかなり怒られたようです』

 「えっ?・・・」


 『料理教室でご一緒の山田さん、あの奥様、また体重が5キロも増えたと言うことです』

 「まあ~」


 『陶芸教室のあの堅物先生、実は先日離婚されたそうです』

 「本当なのーっ!」


 『トールペイントがお上手な桜井さんのお子様、私立中学校の受験に失敗したとのことです』

 「きゃ~、信じられないわー」


 『同級生の前田君のお父さん、実はご主人と同じ会社に勤めているのですが、このたびリストラされたそうです。余談ですが、ご主人は次年度昇進するとのことです』

 「もうどうしましょー、顔が熱いわーっ」


 婦人は、心の底から込み上げてくる、嬉しさとを高揚感とを押さえるのに必死である。


 「奥様、如何なされたの? 目尻が下がって、口角が上がりっぱなしよ!」

 婦人達はみな心配したが、当然そんな必要はなかった。

 婦人は、もう一度ケーキを口にする。


 「甘い、甘いわーっ。なんて甘いケーキなの・・・」


 「人の不幸は密の味・・・」

 つまりは、これがあのパティシエの隠し味だと言うことらしい・・・

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