Hz ~ヘルツ~

@redbook

第1話 160.000MHz


~デシヘルツ~


 ビルから飛び出した僕は、とにかく無我夢中で走った。

路地裏に溜まり始めた、青冷めた暗がりをかきわけながら。途中、看板が足に掛り転んだ。並んで歩いていたカップルを突き飛ばした。もつれた先で肩がぶつかった白人。様々な声が聞こえた。線の細い声訴えはすこしゆっくりと。黄色い悲鳴は素早く。色気だった怒声は鼓膜を包むよう。理解のできない言語は乱雑に。走る僕よりも、彼らが伸ばした手よりも、音は遥かに早く僕の耳を捕まえ、鼓膜をノックして来る。だが、事務所にたどり着く手前で力尽き、自販機の影にうずくまった時に最もはっきり聞こえた声は彼女の声だ。その顔も、表情も、場所もよく思い出せるが、その声が今はっきりと聞こえるのは、ありえない。なぜ聞こえる。息を整えようとしても、呼吸のたびに彼女の声が何度も、何度も頭の中で繰り返させれる。

 スマホが鳴った。

画面を見る。すると、なぜか耳元で彼女の声がささやきはじめた。僕は知らぬ間につぶやいた。


「貴方だったんでしょ」




第一話 『160.000MHz』



 その朝、最初に暗闇から聞こえたのは未知の音だった。

毎朝起きるために僕が聞いていたのは、アイフォンの標準アラーム。味気も何もない単調で甲高い電子音。誰のアイフォンでも入ってる。それだけでも良い気分にはならないが、いつも通りという安心とシンプルさが気に入っていたし、夢から覚めるのに丁度よかった。

 「起きてください!西宮さん!起きてください!」

 目を覚ますと、布団の中から伸ばした手の先にスマートフォンがあった。汚れの酷いフロントガラスみたいな目を擦ってみると、画面は通話状態になっている。顔の前にかざすと相手が解り、しまったと舌打ちしたくなった。

 「今何時だと思ってるんです!とっくに作業に来てる時間ですよ!」

液晶画面に浮かんだ文字は『遠藤さん』

客の一人だった。

 「ええ、わかってます。実は今、少し道が混んでまして」

 とにかく胡麻化さなくてはと、僕は布団から跳ね起きて声を張り上げた。この程度の嘘が通じるかわからなかったけれど、こういう時にはやるしかない。

 「本当ですか?それならいいんですけど、今どこなんです?」

 「その!ええっと31号線をですね、そちらに向かってる最中でして」

 「車の中ですよね、妙に静かですけど、お宅の車そんなに静かでしたっけ」

 「ええ、最近メンテナンスに出したんですけど、うちの車、急に大人しくなりまして!」

 「そうですか・・・その声、完全に寝てると私は思うんですけどね」

 「まさか!めっそうもありませんよ!うちは信用第一ですから!」

 こんな嘘が急に飛び出してきてしまうのも、学生時代のアルバイトに遅刻しすぎた賜物だ。効果があると思えないが、少なくとも、遠藤家の主は相手を疲弊させるのには十分だった。

 「とにかくはやく来てくださいよ、あと、遅れた時間分はしっかりと支払から差し引いてもらいますからね」

 「もちろんです!とにかく今すぐ向かいますんで!」

 支払いが差し引かれるのはさすがにまずかったが、一円も貰えずに終わるよりマシだった。通話をきった直後、急いで布団から飛び起きると、そのまま近くにあった作業着を着込み、首からタオルをさげ、ぼさぼさの頭にバケットハットをかぶせる。部屋を出るとすぐに事務所になっている。というよりも、ただのアパートの居間だ。その隣を通り過ぎ、蛇口から出てきた水を一杯飲み欲し、玄関わきに置いておいたボストンバックを手にとり玄関をでた。


 外は曇っていた。枠の歪んだ木造アパートのドアを押し込むように閉め、鉄骨の階段を走り降りると、自分の車がすぐに止まっている。錆の浮いたシルバーのスズキ・エブリィで、車のサイドにある「よろず西宮」のペイントだけが真新しい。

 後部座席にバックを投げ込み、エンジンを掛けると耳障りで軽薄なエンジンが鳴り響く。「何がメンテナンスだ」と、一人ボヤキながら、すぐにアクセルを踏んで駐車場を出た。


 遠藤家に到着した頃には約束の6時から1時間はすぎていた。仕事は車庫の荷物整理。作業はすでに3日目に投入していたが、まるで片付く素振りはなく、倉庫の向こう側に見えない空間があるのかと疑う程だった。出て来る品も大したものはない。大抵は粗大ごみ行きの古い家具や電化製品ばかり。だが、それでも遠藤家の老婆主は遅刻に容赦はなかった。

 「1時間1500円、きっちり引かせてもらいますからね」

 皺だらけの痩せた頬をさらに張った家主は、わざわざ遅刻時間を書いたノート紙にサインをさせる。僕は軍手のまま、殴り書きで署名を終えると、齢70を超えるという老婆はついでにとばかりに説教をはじめ、作業はさらに遅れ、ようやく仕事をはじめたのは朝の7時だった。

 埃だらけの倉庫から運び出した家具を家主は確かめることがない。家族身いる様子はなく、恐らく、身辺整理の一環だろうと思った。もしかしたら、この仕事が終わるころには、とっくに老人ホームに入っているかもしれない。だとしても、今の自分の生活よりはましだろうと思うと苦々しい気分になる。しかし、もしそうなれば上客の一人が消えてしまのも間違いなくて、ここは頑張らねばと運び出した古い電子レンジを勢いよくバンに詰め込み、道路脇を手をつないで歩いていく高校生のカップルを視線で追いながら、汗と誇りにまみれた顔をクビに下げたタオルで拭き、二つ目の電子レンジをとりに倉庫に戻った。

 

 僕がこの仕事はじめたのは、特に理由があってのことじゃない。自由な仕事がしたいとか、客の殆どであるこの手の老人の手伝いをしたかった訳でもない。ただ流れにまかせた結果としかいいようがない。

 なんでも屋という仕事について、今や知らない人間はいない。ネットやテレビ、フィクションの世界でも登場回数も増えたせいで、僕がなんでも屋と言えば、大抵の人間は何をやっているのか理解してくれた。

 だが、なんでも屋は文字通りなんでもやるわけじゃない。やるのはこの手の片づけか、草刈か、農家の手伝い。東京から電車で2時間のこの成鳴市(なりめ)ではそんなものだ。都内じゃもっと別の仕事もあるらしいが、このあたりでは、なんでも屋の仕事は限られている。周りは田畑が4割、住宅街が6割、都心のベットタウンともいえないが、駅前はとっくに寂れていて、誰もが東京に行きたがる、どこにでもある北関東の街。人手不足よりも、高齢化のほうがより深刻な状況だ。

 ただ、僕も何でも屋について詳しいわけじゃない。はじめたのはつい最近、ほんのなりゆきまかせだ。


 昼休憩に入った。

 コンビニおにぎりをほうばり、合間にの緑茶で流し込む。夏場だったらもう一本お茶が必要だったが、それも過ぎさったこの季節はこれで十分だった。カーステレオのラジオが聞きたかったが、ガソリン代がもったいない。かといって、バッテリー切れも怖くて、僕は道路から見える誰も居ない住宅街をぼんやりと眺めて、いつも通りあの頃のことを思い出していた。

 3年前。当時は都内で医療品販売をしていた。大学を卒業して先輩に紹介されてはじめた仕事だった。営業はとくに向いていた訳じゃない。あの体育会系のノリにもついていけなかった。ただ、大学時代仲が良かった先輩と一緒にルート営業に励んでいた。得意先の病院に機器を売り込むのが仕事だったが、医療のことなんてまるでわからない。先輩も特に理解はしなかったが、とにかく接待ばかりの日々だった。忙しかったが、悪くも無かった。ただ若かっただけかもしれないけれど、今思い出しても、あの時が人生の華だったはずだ。

 その会社が突然つぶれた。

 理由は今でも良く分かっていない。上司からの説明では経理の横領が切っ掛けだったというけれど、その経理の女も社長の愛人だったとかで、噂では経営がはじめからグルだったとか。今となっては、どうでもいい話だが。

 世の中の安定が幻だと分たころには、もはや泥沼につかっているように出てきている。予告してくれる親切なガイドは人生にはない。スリにでもあったように仕事が消えたあと、僕はお決まりのコースをたどった。つまり、貯金を食いつぶしながらハローワークに通い、金が無くなるまでの間に仕事にありつく日々だ。

 仕事は必死に探した。もともと、仕事は生活のためにあると思っていた。えり好みなんてしていなかったはずだった。にもかかわらず、3カ月がたっても仕事は見つからなかった。4ヵ月後には失業手当も切れ、貯金の残高が音を立てて減り始めた。

 その頃、一緒に会社をクビになったはずの先輩から連絡があった。先輩は埼玉でなんでも屋をはじめた言っていた、僕をその仕事に誘った。僕に断る理由はなかった。とにかく、何でも良いから仕事につきたかった。そう思うと、もしかしたらあの頃から僕は、今の仕事をやるつもりだったのかもしれない。

 

 その結果がこれだと、僕は車の中を見渡した。古びた軽バンのダッシュボードはひび割れている。ダッシュボードの上にころがったタバコと、埃まみれの窓と、そこから見える閑散とした昼時の地方都市のベットタウン。うんざりだが、今の僕には此れしか残ってないと、根本まで吸い上げたタバコを灰皿におしつける。こんな車、禁煙車にしても意味なんか無かった。持ち主だったはずの先輩も、今や行方知れずなのだから、気を配る必要はなかった。

 アラームが鳴った。今度はあの甲高い声じゃない。仕事に戻ろうと、残り少ないお茶を一口のもうとした時、窓の向こうを一人の女性が歩いているのが見えた。

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