2−8「膿はさすがに表現ひどくない!?」

 何事かと振り返ると、クロが乗っていた隣の跳甲機から、女が頭を覗かせていた。赤髪の若い女、メイカよりもやや大人びた印象を受ける。臨界点に達したような表情からして叫んだのはこの女に違いない。続いてその機体のさらに向こう、最後の1機から男が出てきた。見た感じは40前後。体型の出づらいこの駆人服を着ていても相当な体格であることがわかる。


「この前はリーに防がれて、今回は絶好のチャンスミスった挙句に真っ二つ。ミラクル続きすぎでしょ! 私最近キてるんだけど、ちょっとどんな気持ちか聞いてみてよアイゼン」

「むう、興味はあるな。どんな気分だ?」

「ああ!? 爆死していい気持ちなわけないでしょ! 死んだ仲間に向かってどんな気分? なんてよく聞けたよね! これはもうアレ、今から私が勝つまで戦うか、晩に奢るかだよ。酒、高いやつね」

「分かった分かった。で、どんな気分なんだ?」

「はあ!? はぁぁぁあ!?」


 あれがさっき戦ってたゼンツクの駆人、なのか。


 内容から察するに、無茶苦茶言っている女がキャノンを撃った方。抜けているのかわざとなのか、話を聞かない男がクロを負かした方だ。やはり機体を通じての印象とは大きく異なる。こういう場面に出くわす経験は何度かあるが、毎回新鮮な驚きや興奮を得られている。


「おい、聞け」


 メイカがクロの両肩に手を置いて揺らした。頭上で謎の会話が大音量で繰り広げられている中、それも無視して淡々と語っていたようだ。あの事態でも目に入らないというのか、メイカには少しだけズレた部分を感じる。


「すいません。さすがにあの二人が気になるんですけど」

「まぁ、それもそうか」


 納得したメイカは、上の足場で取っ組み合いを始めた男女の駆人を呼びつける。二人は会話をすぐに打ち切り、堂々と並んでクロの前に立った。ついに先任とのご対面である。


 まずは赤髪の女の方が一歩踏み出る。先ほどのやり取りが聞こえてしまった以上、正直今この人とはあまり接したくない。クロは固い表情で女の方に向き直った。


「おーようこそー、よろしくー! 私はリム・シュッティン、リムちゃんって呼んでね。オッケー?」

「えっと、あの、どうも。今日からお世話になります、クロ・リースです」


 ついさっきまでの怒りはどこへいってしまったのか。リムは眩しいくらいの笑顔と握手でクロを迎えた。クロとさして変わらない身長で、思ったよりも大きい。耐熱用の方の駆人服を上半身だけ脱いでいるので、素晴らしく整った体の曲線が惜しげもなく晒されている。


「せいッ!」

「え? ちょ——」


 突然視界が闇に包まれた。リムの胸元に正面から抱きつく形で首をキメられている。完全に気を抜いていたのであっさりとやられてしまった。これは仕方がない。クロは誰に対するでもなく、謎の言い訳を咄嗟に心の中で唱えた。


「せっかく挨拶してるのに、目を見て話さないのは失礼じゃないかいクロちゃん」

「ふ、ふいまふぇん」

「聞こえないなぁー」


 そう言いながらリムはクロの耳元に顔を寄せて囁いた。


「そんなに私の体に興味ある? 今夜部屋に来なよ」


 そして先ほどまでの調子で、許してあげるよ、とクロを解放した。


 これはあれだ、早速誘われてしまった。


 それにしても早い。軍時代も何度かこういったことはあったが、クロはすべてを断っていた。行為をしてしまえば、その人に何らかの感情を抱かずにいられる自信がない。それはすなわち駆人としての弱さになり得る。


「おいインラン、こいつが腑抜けたらどうするつもりだ。やめろ」

「は!? なんのことかさっぱりなんだけど! メイカ何言ってんの、わっかりーませーん!」

「困りますねぇリムさん。溜まった膿は外で出すようにしてくださいよ」

「膿って! 膿はさすがに表現ひどくない!?」


 最善の断り方を一人必死に考えていたクロに対して、メイカ達にはお見通しだったようである。短い口論の末、リムは渋々引き下がった。入れ替わりで今度は男の方が前に出た。これまでのやり取りには参加せずに無言を貫くも、どこかゼンツクの雰囲気に馴染む存在である。


「アイゼンだ。貴様は良いものをもっている。戦場では頼りにさせてもらおう」

「はい!」


 ガッチリと手を交わし、クロは力強く頷いた。


 この人がさっきの。


 シミュレーションでの一幕が蘇る。アイゼンには一歩も二歩も及ばなかった。この年で現役ということは、数々の戦場を切り抜けてきたのだろう。長い駆人暦で培った経験とそれを生かすことのできる技量。自らが猛者であることを雄弁に語るアイゼンの目はクロの興味を引いた。


 アイゼンはそれ以上語ることはなく、一人背を向けて輪を離れていった。


「では挨拶も済んだことですし、大反省会と行きましょうかねぇ。クロさんも付いてきてください」

「はい」

「えー、めんどくさーい」

「いいから来い」


 この後、シミュレーションに関わった全員が一堂に会し、クロの戦闘について話し合いが行われた。こうして、長かったクロの傭兵1日目が終了した。

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