まともではない人の中にいるまともな人が結局一番苦労する

 私の家は、元を辿れば村一番の大地主だったそうです。

 御一新も戦後のどたどたも上手いように利用して、それはもうとんでもない規模の土地をあちこちから巻き上げまくったのだと聞いています。

 ところが、その財産はひいおじいちゃんの時代で見るも無残に吹っ飛んだのだそうです。

 早い話が、ひいおじいちゃんは度し難い道楽息子だったのです。酒は飲むし女は買うし博打はやる――どころでは済まず、とにかく新しいものを見つけたならほいほいと値段も見ずに買ってしまうのです。

 高級車に始まり、船だろうが飛行機だろうがお構いなしに買うのですから、本当に手のつけようがありません。

 おまけに人がいいどころの騒ぎではなく、ある晩誰かと店で一緒に飲むと、翌日にはその人の借金の連帯保証人になっているなどということがしょっちゅうでした。

 まだ蔵が五つもある、それを売ればいい――と言っている内に蔵は消え、まだ山がいくらでもある、それを売ればいい――と言ったそばから権利書が飛んでいくような有様だったといいます。

 そしていよいよ売るものがこの家しかなくなった頃に、お母さんが私を妊娠したことが判明しました。

 おじいちゃんはそれを受けてひいおじいちゃんを涙ながらに説得したと聞きます。あんたが遺産を食いつぶすのはいい。それでも生まれてくるこの子に負債を残すようなことはしないでくれ――それを聞くとひいおじいちゃんはにんまりと笑い、そのつもりだ、俺は何も残さん――と胸を張ったのでした。

 そして分厚い封筒をおじいちゃんに渡すと、これが家以外の残りの身代全部だ。これを使って、俺の葬式はど派手にしてくれナ――と言った翌週にぽっくり逝ったそうです。

 まるで我が家にフォーマットをかけたような人だったと、パソコン大好きなおじいちゃんは親戚が集まる度に繰り返し、年寄り連中には意味が伝わらないというのがいつものパターンです。

 そんなわけで、現在私が暮らしている家は、ひいおじいちゃんが唯一吹っ飛ばさなかった、昔からの古い大きな一軒家です。

 住んでいるのはおじいちゃんおばあちゃん夫婦、両親、私に、弟が一人です。それぞれがそれぞれの部屋を持っても半分も埋まらないほどの部屋数と広さがあります。ありますが。

 仏壇に線香をあげて手を合わせた胡散臭い男を見て、おばあちゃんはまあ感心なことと笑っています。

 ここは家の一番奥の座敷で、仏壇の隣には大テーブルが置かれ、座布団が敷かれています。

「さあ三条さん、こちらへ。まずは一杯」

 お父さんがそう言ってテーブルのほうへと招くと、三条さんは照れるように笑ってお父さんの隣に腰を下ろし、グラスにビールを注がれます。

 テーブルにはお母さんが気合いを入れて作った料理が並びます。

 昨日私とお父さんが家に帰り、お父さんが三条さんについて話すと、家人はみんな揃ってそれはいいことだと頷きました。

 血――でしょうか。ひいおじいちゃんの説得にあたったおじいちゃんを始めとして、この家の人間は私を除いて誰も彼も人がよすぎるのです。ひいおじいちゃんが測定不能なまでにぶっ飛んでいたので自覚していないようなのですが、それにしても人のよさがマックスまで振り切れているような人たちばかりなのです。さすがに身代を持ち崩すまでは――ひいおじいちゃんの教訓もあり――ないのですが、それでも常識から考えてどうかしていると言うほかないようなレベルではあります。

 そんなわけで三条さんがやってくる今日、朝から家の大掃除、三条さんに使ってもらう部屋の掃除に布団干し、歓迎会の料理とお酒の準備とてんやわんやでした。そして夕刻となった頃現れた三条さんは、温かい歓迎ぶりに若干引いていたように見えます。さすがにここまでのもてなしは想定外だったのでしょう。

 おじいちゃんの音頭で乾杯をして、家族プラス昨日知り合ったばかりの恐ろしく胡散臭い男一人で宴会が始まります。

 三条さんはちびちびとですが美味しそうにビールを舐め、料理も遠慮せずに食べていました。

 テーブルの上の皿が空いて、お母さんとおばあちゃんが片付けに立ち上がる――古い家だからか、男衆は家事に疎いのです――頃になって、おじいちゃんがようやく三条さんに根本的な質問をぶつけます。

「それで、この子は治るんでしょうか」

 私は洗い物に向かおうとしたのですが、お父さんにここにいろと押しとどめられてしまいました。それなら食事中に質問すればいいものをと思うのですが、飯が不味くなるような話題を避けたかったのか、食事中は本当にどうでもいいような話ばかりに終始していたのでした。

「治る――というのは難しいかもしれませんね」

 ちびちびちびちび飲んで、完全に気の抜けたであろうビールを名残惜しそうに舐めながら、三条さんは穏やかに笑います。酔っていない――というよりは全然飲んでいないと言ったほうがいいでしょう。

「昨日言った通り、僕は霊能者ではありません。ただ、対処の仕方を心得ているだけです。お嬢さんの周囲に起こる異状について、中島さんは悪霊によるものだと断定して祓おうとしました。結果、これは失敗しています。まあ、中島さんは大衆の求める作法に則っただけのパフォーマーですから、悪霊という見立てが間違っていたのか、本当に悪霊が原因で中島さんの手に負えなかったのかの判断は難しいでしょう」

「では、悪霊の呪い……?」

 それを聞いて三条さんは苦笑します。

「ええ、そう仮定することもできるでしょう。ただ、呪いというのはもっと広義、そして狭義に用いられる言葉です。呪いというのは本来、人が人に恨みをぶつけるため、なんらかのアクションを起こすことです。そのアクションの媒介役が神仏であり、やがては悪霊もそこに組み込まれていきます。神仏単体が人にバッドアクションを起こす場合、それは祟りと呼ばれます。なので悪霊も祟りと呼称すべきなのでしょうが、こうした呼称は変遷するものです。悪霊の呪いと聞いて特に違和感を抱かないのなら、それはそうして機能しているということです」

「ということは、やはり――」

「ところが呪いという言葉単体を辿ると、それは呪詛という言い換えもできるのです。僕が習得している技術体系の中では、呪詛はスソと読み、それは人の間を行き来するエネルギーのようなものとして扱われます。呪詛は呪詛を生み、合わさり、膨らんでいく。そこで登場するのが僕のような太夫で、呪詛を祓うわけです。とはいえこの儀礼は言ってみれば年中行事のようなもので、そうしたシステムがかつては機能していたということだけなんです。しかし、呪いというのはこうした捉え方もできる、非常に曖昧な物言いなんですね」

 長々と説明しておいて、おじいちゃんとお父さんは感じ入っているようですが、要は――何もわからないというだけのことです。

「そこでお嬢さんの場合ですが、これは現状、断定することはできません」

 やっぱりじゃないですか。

「しかし、試行錯誤する機会と必要はあります。幸い、僕のところにはそうした依頼がやってきます」

 この人――まさか。

「化け物には化け物を――呪詛には呪詛をぶつけるんですよ」

 さも当然のような顔で穏やかに言い放った三条さんに、さすがのお父さんたちも狼狽を隠せません。

「いや、それはこの子を危険にさらすことになるのでは……」

「僕の見立てが正しいなら、この呪いは、お嬢さんを守っているように見えるんです」

 なるほど、単なるペテン師というわけではないようです。

 三条さんの指摘したことは、私が思い至った結論でもあります。

 まずことの始まりの教室での窒息騒ぎですが、私はとにかく、クラスで他人に話しかけられることが厭で厭でしようがありません。それを勝手に忌避させることができるようになったのですから、私は大事にさえならなければこのままでいいとすら思ったほどです。

 中島さんのお祓いのあとで彼を窒息させたのは恐らく、彼が怪しげなセールスに話を運ぼうとしたことで、元よりゼロだった信用がマイナスになった――つまり身を守る必要性が生じたからではないでしょうか。

 同様に、堀川さんのところで起こったのは、堀川さんが中島さんを自分の弟子だと言ったことで、彼女もまた一切の信用ができないどころか関わってはならない相手だと断定したから――これらは実際に私がその場でその考えに至ったわけではなく、あとで思い返してみればこう判断できるという後付けなのですが、直感的にはそうしたことを感じ取っていたことは確かだと思います。

 三条さんはそれを見抜いている。単にインチキ霊能者以上の阿漕な商売で恐れられているわけではないということは、私にも理解できました。それと信頼に足るかという問題は全く別ものですが。

「ですから、同類と対峙した際、この呪いがどのような働きをするのか。敗北し、剥がれ落ちるのか――あるいは、彼女を守り抜き、さらに強くなるのか。それを確かめるべきだと思うんです」

「いや、強くなったらまずいでしょう……」

「そうとも限りません。今は特に定まっていない単純な現象としてしか認識できませんが、これが力をつけていけば、定まった存在へと規定してしまうことも可能になるでしょう。そうなれば――いえ、そうしたほうが、引き剥がすにはやりやすいんです。気体は手で掴めない。液体は掬わなければならない。でも、固体なら手で引っ張ることができるんです。僕がやろうと思っているのはそうしたことなんですよ」

 納得してしまっているお父さんおじいちゃん親子ですが、力の強さと状態変化は無関係です。明らかな詭弁です。やはり三条さんは、相手を納得させるためなら平然と嘘を吐くような人間であることは間違いないでしょう。

「昨日言った通り、現在僕の仕事を受けてくれる人材が全員出払っているんです。こちらでご厄介になるとはいえ、いつまでも依頼を滞らせるのは懐と信用に響きます。そこで僕が限りなく安全だと判断した依頼にだけ、お嬢さんに同行してもらい、その過程でこの呪いの状態を見ていく――僕はこうプランを立てました」

 いや――それ、私に人手不足を埋めさせようとしているだけではないでしょうか。私の呪いはインチキ霊能者を指先一つも使わずにダウンさせられるレベルの、恐らくは強力なものです。それをいいように使って、自分のところにきた依頼の解決を手伝わせようとしているだけに思えて仕方がないのですが。

 お父さんとおじいちゃんは深く頷き、お母さんがお風呂が入ったのでどうぞ入ってくださいと言いにきて、三条さんはお言葉に甘えてバスタオルを受け取って風呂へと向かっていきました。

「いやあ、いい人に巡り合ったもんだ」

「全く」

 おじいちゃんとお父さんはそう言って笑っています。お母さんと台所から戻ってきたおばあちゃんも二人の説明を聞くと、それはいいと頷いています。

 私がしっかりしなければ、この家は持たない。これは割と真剣に身に染みています。

 今回も――私がしっかりしなければ。

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