45 幻のトライ

 後半戦開始のキックオフの長いホイッスルが鳴ったとき、観客席からさらなる声援が上がる。

 神村はチームメイトに目配せした後、ロングキックを蹴り込む。周防高校はデータ通りにキックを蹴り返し、陣地を稼いでくる。だが、思うようにキックは伸びない。

「オッケー。風が強く吹いてきたぞ。向こうはキックを有効に使えない。この試合、マジでいけるぞ。後はどうやって点を取るかだ」

 太多は手を叩きながら自らに言い聞かせるように言う。


 後半開始5分、加藤雄大に合わせてきた相手のラインアウトを三室戸が奪い取る。サインを盗んだというのは本当のようだ。その瞬間、歓声が地鳴りのように響く。

 攻撃の準備をしていた周防高校のBKSがディフェンスに戻るよりも早く、バナナラグビーが起動する。パスは次々と外につながり、ウイングの藤山まで回る。向高ベンチの目の前だ。

「前が空いたぞ!」

 太多は思わず声を上げる。藤山はそこを鋭く抜いていく。10メートル近くも前進ゲインし、敵陣に切り込んだところでエビラックを作り、今度はFWの選手が作るラインにパスが回る。

 2月から愚直に取り組んできた練習の甲斐あって、BKSの選手とほとんど変わらぬパススキルだ。あっという間に向こうサイドに到達した時には、相手22メートルラインの内側に入っている。

「ナンバーズ!」

 太多が声を張り上げる。ビッグチャンスを暗示する言葉だ。その声を聞き、選手たちにスイッチが入る。さらにパスをつなぎ、藤山が、外で待っている白石にラストパスを放ろうとしたその瞬間、相手の15番が一か八かのタックルに入り、藤山はボールをこぼしてしまう。

 両チームの選手の間に転々としたボールは不規則な転がりで、若干、周防高校の方に動く。それを素早く拾い上げたのがスタンドオフの藤澤峻一だ。

 藤澤はスリーアローズの選手の裏を走り抜けて加速していく。白石と浦が必死に追走する。中国地区選抜選手でもある浦は、同じく選抜選手である藤澤に追いつくが、サポートの選手にパスをつながれ、独走を許す。

「止めろーっ」

 悲鳴にも似た観客の声の中、「14」と書かれた周防高校の選手の背中が向津具学園のゴールラインを超えていく。レフリーは笛を鳴らし、右手を大きく上げる。トライだ。思わぬ形で周防高校に先制点が入ってしまう。

 太多は、トライされたのを確認して、「オッケー、ここからここから」と手を叩きながら腰を下ろし、蒔田に時間を確認する。まだ時間は十分にある。

 その時、周防高校の応援席から歓声が上がる。藤澤峻一がゴールを成功させたのだ。スコアは0対7となる。


 選手たちと比べると、たぶん監督はしんどい。試合が始まると、見守ることしかできないからだ。いろいろなことが心配になってしまい、ネガティブにもなる。

 だが、肝心の選手たちは闘争心に火がついている。あるいは開き直ったのかもしれない。俺たちはチャレンジャーなんだ、パイオニアなんだ、と。

 この子たちを最後まで信じ続けるんだ。三谷は言い聞かせながら唇を噛みしめる。


 残り15分で、早めの「レッグ」のコールをかける。積極的チャレンジを意味する暗号に、選手たちも反応する。時間がなくなってきた、しかもリードを許している。とにかく点を取ることを考えよう、という共通認識がなされる。

「センセイ、ボクヲダシテクダサイ」

 突然トコが訴えてくる。

「だめだよ、お前は骨折しているし、登録もしてないじゃないか」

 三谷の言葉を蒔田が説明する。トコは蒔田に英語で話す。

「誰かのユニフォームを借りて出場する、って言ってるんですけど、無理ですよね」

 トコは目に涙を浮かべて、戦況を見つめている。たしかにこの男がいれば、強引にトライが取れたかもしれない。だが、それも運命だ。

「必ずやってくれるから、応援してくれ」

 三谷はそう返す。トコは、今度はサイレンのような雄叫びを張り上げる。

「ウォーーーーーーッ!」

 トコの想いが届いたのか、ラインアウト後のモールから三室戸が抜け出す。得意のずらすラグビーで、ぐいぐいと前に出た後、エビラックを作る。トップリーガーたちに教わったとおりのボディコントロールで、すんなりとボールが出る。

 それを受けた神村は、スピードに乗って走り込んできた浦に短いパスを渡す。浦はそのまま一気に前進ゲインする。

「抜けた!」

 太多は立ち上がる。観客席からも大歓声が起こる。

「行け!」

 三谷も思わず立ち上がる。

 浦の前には相手が1人立っている。松川と藤山がサポートにつく中、浦はパスダミーを入れ、ずらして抜き去る。

「おっしゃ!」

 太多は声を張り上げる。

 相手も死にものぐるいだ。カバーに走った藤澤が捨て身のタックルに入る。浦はそれをも飛び越えて走り抜ける。今度は周防高校ナンバーエイトの田村健太が迫ってくる。浦はギリギリまで相手を引きつけて、サポートの白石にパスを放り、そのままインゴールに飛び込む。

「おっしゃ! トライ!」

 太多が両手を挙げ、三谷も我を忘れた瞬間、両チームの選手たちの動きが止まる。

「どうした? 何が起こったんだ」

 レフリーの動作を見ると、スローフォワードがあったらしい。ラグビーではボールを前に投げることができない。つまり浦から白石へのラストパスがファウルと判断されてしまったのだ。

「そんなバカな、前じゃなかったろう。レフリーの立ち位置が悪いんだよ」

 たしかに浦のスピードにレフリーはついて行けていなかった。スローフォワードは後ろから判断することは難しいのだ。

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