21 2人だけのクリスマス

 クリスマスは約束通り東京へ行った。折しも秩父宮ラグビー場では太多がコーチを務める福岡レッドドラゴンズと大阪ブルーシャークスのゲームが行われることを知り、2人で観戦することにした。

「トップリーグの試合となると、ずいぶんお客さんが多いのね」

 奈緒美はキャメルのストールに身を埋め、スタジアムを見渡しながらゆっくりと席に着く。

 過去に東京教育大学のゲームを観に来たことはあったが、ここで一緒にトップリーグの試合を見るのは初めてだ。三谷も腰を下ろし、場外の露店で買った冷たい生ビールに口を付ける。

 キックオフは18時ということで、すでに空はどっぷりと暗い。東京の日暮れは山口よりも早いのがよくわかる。4隅に設置された照明が、所々はげかかった芝生のピッチを幽玄に照らし出している。ゴールの奥にそびえる伊藤忠本社ビルの明かりもテトリスのように輝いている。

 太多の姿を探すが、すでにウォーミングアップを終えた選手たちは、いったんロッカールームに引き上げていて見えない。大学時代によく使ったここのロッカールームの風景がなつかしい。

 両チームの選手が出てきた時に改めて身を乗り出すと、福岡レッドドラゴンズのベンチにはスーツを着た太多の姿がある。リザーブの選手に向かって、指をさしながら何かを指示している。いかにもあの男らしい仕草だ。


 キックオフ直後の序盤は、大阪ブルーシャークスのペースで始まる。日本代表の選手を揃え、ニュージーランドやトンガから来た選手もいる。パワフルな攻撃で試合を優位に進める。

 奈緒美は三谷に寄り添うようにしてペットボトルの紅茶に口を付け、露店で買った焼きそばを差し出す。三谷は礼を言い、それを口に入れ、冷たいビールを飲む。

「やっぱり高校生とは何から何まで違いすぎるよ」

「そりゃそうでしょ。この人たちプロなんだから」

 奈緒美はそう言い、自分も焼きそばに割り箸を付ける。

「太多がわざわざ俺の高校まで指導しに来てくれるなんて、本当にありえないことだと実感するね」

「人脈を持っている人って、やっぱり強いなって思うわね。積極的に外部からのアイデアを採り入れるっていうのは、どの業界でも大切なことよ。ウチの会社にもタロウさんみたいな人がいたらいいのに」

「いやいや、偉いのは俺じゃなくて、太多の方だよ。実績が違う」

 すっかり機嫌が良くなってビールを飲む。神宮球場の上空に飛行機のライトがちらついている。

「私ね、これからは社外の人とどれだけ人脈を築けるかで、自分のキャリアが決まるような気がするの。ウェブ上のネットワークも役に立つけど、やっぱり、自分の足と汗で築いたつながりが大事だと思うのね。ちょっと古くさい言い方だけど、人間関係なのよ。この人のためならやってやろうっていう関係をたくさん作った人が、最終的に成果をあげるんじゃないかなって」

「東京の企業で働いている奈緒美が、山口の高校で働いている俺と同じことを考えてるだなんて、うれしいなぁ」

 その時、歓声が沸き起こる。大阪グリーンシャークスのウイング山田が相手ディフェンスを抜いてトライめがけて走っている。福岡レッドドラゴンズのカバーディフェンスも必死に止めにかかる。手に汗握る攻防が繰り広げられている。

 奈緒美はピッチ上に目を向けて言う。

「山口県の無名のラグビー部を、このレベルのコーチが指導してくれるだなんて、素敵じゃない。それも、タロウさんの人間関係があるからこそよ。生徒たちは幸せだね」

「まだ、何も始まっちゃいないけどな」

 三谷はすっかり冷たくなった焼きそばを口に入れる。それは、口の中でたちまち温かくなる。

「一生懸命に仕事をする人って、かっこいいなあ。やっぱり、なかなかいないタイプだわ、タロウさんは」

「なんだかやたらと持ち上げるなあ、今日は」

「ううん、率直な感想を述べているだけよ。久しぶりにタロウさんに会って、グレードアップしてるのを感じるから、逆に自分を振り返ったのよ」

「奈緒美だって一生懸命じゃないか」

「最近は悶々とすることが増えたわ」

「仕事がきついのか?」

 奈緒美は苦笑いを浮かべて、うつむきながら小さく首を振る。

「ウチの会社は、基本はトップダウンだからね。しかも私は、どうしても経営側の人間だから、いろんな面で板挟みになるのよ。もっとのびのびとした雰囲気で、いろんなアイデアが出るような職場にしたいんだけど、私にはそんな力もないし。だから、気疲れしちゃうのよ。たぶん」

「奈緒美はいろんなことに気づくからな」

「いつもタロウさんに会いたいと思ってるわ」

 三谷はピッチ上に視線を逸らす。それから少し間を置いて、こう言う。

「俺の山口でのチャレンジは、あと1年だ。花園に出場できなかったらラグビー部は廃部になるから、その時は自動的に行き場を失うことになる」

「もし、花園に行ったらどうするの?」

「正直、まだそこまで考えてはいないけど、花園に出場したのに学校を去る理由はないと思う」

「そうだよね……」

 言葉の裏側で彼女が抱え込んでいる思いが、痛いほど伝わる。

「でもね、奈緒美、やがては大学の教官になりたいという考えに変わりはないよ。だから、こういう言い方は無責任かも知れないけど、あと1年精一杯やってみて、その結果を見て次の進路を考えようと思ってるんだ」

 もちろん、奈緒美と一緒に暮らしたいと思っている、とまでは口にしない。それは紛れもなく本心だが、奈緒美の横顔を見ていると、それこそ無責任な発言に思われる。

 奈緒美は無言で肩を寄せてくる。その甘く切ない香りが秩父宮ラグビー場を吹き抜ける風にはかなく漂う。

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