4 会いたくなった時に君はここにいない

「へえ、田舎の子も、なかなかやるのねえ」

 奈緒美なおみの声を聞き、久々に実家に帰ったかのような安心感を覚える。

「まさか、あそこまで言われるとは思わなかったよ。いったい、俺が何したっていうんだ?」

 三谷は、まだ家財道具が揃っていないがらんとしたアパートの部屋で缶ビールを空ける。

「べつに、何かをしたってわけじゃないでしょう。今時の高校生の心理がいまいちよく理解できないけど、きっとタロウさんにいろいろと言われるのが嫌だったんじゃない? 機先を制してきたのよ」

「今日は優しい顔をして練習を見守ってただけなのに。そもそも俺は、生徒に物事を強制するタイプでもない」

 奈緒美はふっと笑う。その息がスマホのスピーカーを通じて耳に吹きかかる。

「タロウさんにはオーラが出てるのよ。だって、ついこないだまでホッケーの監督やってたじゃない。あなたが5年かけて作ってきたチームの子たちは、全員あなたを信頼しきって、完全に言うことを聞いてたでしょ。そんなオーラを、今の生徒たちは何となく感じてるのよ、たぶんだけど」

「しかし、何もあそこまで生意気な発言をすることもなかろうに」

 奈緒美はまた笑う。すぐそこにいるかのようだ。

「体育会系の世界が全く分からない私が言うのもあれだけど、その子にはタロウさんへの対抗心みたいなのもあるんじゃないかなあ」

「対抗心?」

「だって、タロウさんは東京教大でラグビーやってたじゃない。実績では、とうていかないっこないと思ってるのよ」

「俺はレギュラーにはなれなかったけどね」

「田舎の子たちからしたら、そんなこと関係ないわよ。もう、その肩書きだけで圧倒されちゃうのよ」

「だからといって教師に対抗してたってしようがない」

「まあ、そこらへんが、まだ高校生なのよ」

 ビールに口をつける。心は一向に冷静にならない。

「俺、山口でやっていけるだろうか?」

「あら、珍しいわね、タロウさんがそんなネガティブになるなんて」

「そりゃなるよ。全然知らない土地に来て、肝心の生徒からはいきなり手痛い洗礼を受けたんだから」

 奈緒美は黙っている。

「どうした?」

「ううん、べつにどうしたってわけじゃないけど、会いたいなあって思って、タロウさんに。もう忘れられたかと思ったわ」

 ビールを最後まで飲んだ後、キッチンの冷蔵庫からもう1本取り出す。

「忘れるわけがないよ、絶対」

「ありがとう」

 奈緒美の声はどこか哀しげだ。三谷も無性に寂しくなる。奈緒美をこの手に抱くことができれば、すぐに心は癒やされるのに。

 言葉に窮していると、奈緒美はその雰囲気を察してかすぐにこう言う。

「今はまだ転勤したばかりだから大変なのよ。でも、そのうち慣れると思うわ。ラグビー部の監督になることはタロウさんの昔からの夢だったわけだし、ゼロからチームを作れる高校はなかなかないわけでしょ。だから、その学校でどこまでできるか、思いっきりやってみたらいいじゃない」

 今度は三谷の方が「ありがとう」と言う。なんだか、泣きそうになる。

「ゴールデンウィークが終わったら学校は試験週間に入るんだ。その時には会いに行くよ」

「それって、いつのこと?」

「そうだな、明後日あさっての職員会議で日程が出ると思うけど、おそらく5月の半ばだと思う」

 奈緒美はまた息を吹きかけて笑う。笑い声が煙のように消えていくのと同時に「楽しみにしとくわ」とつぶやく。

「奈緒美」

 電話を切る直前に声をかける。彼女は何も言わずに三谷からの言葉を待っている。

「励ましてくれてありがとう。奈緒美が言うように、ゼロからチームを作るつもりでやってみるよ。それと、本当につらい思いをさせてごめんな。でも、俺の思いは、離れていても変わらないよ。今でもすごく会いたくて、死にそうだ」

 奈緒美はまた受話器に息を吹きかける。そしてやはり何も言わない。


 電話を切った後、さらにビールを飲む。窓の外には金色がかった空が見えている。東京に比べて、ここは異様なまでに静かだ。その分、東京ではありえないほどに自分の心の声が聞こえてくる。俺はいったい何をするためにここにいるのか、と。

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