第9話 それは偶然か、必然か。(それ行けシズちゃん……その1)

 順平は、果敢にミノタウロスの肉に挑んでいたのだが、既に満腹の状態でこれ以上は無理というところまで来ていた。食事はルーチンワークと化し、順平は単純に手を動かし食料を摂取するマシンとなっていた。そして、ついに限界点を越えたとき、黒い濁流が順平の意識を飲み込み始めた。


神様P「どう見てもサワジュン限界ね。そろそろ転移用意よ〜。」


天使D「活動停止とともに、人間界へ送ればよろしいのですよね。

    元の地点に戻す事でよろしいのでしょうか?」


 天使Dの問いかけに、神様Pは無言で頷いた。モニターの中の順平が、目を開き、茶碗を持ったまま、微動だにしなくなった。


神様P「転移開始よ〜。」


天使D「了解しました。転移開始!」


 天使Dの声と共に、画面が切り替わった。順平は、天界に招かれる前の地点に戻っていた。冒険者グループ“暁の誓い”メンバーと行動していた順平は、その場に戻されると、そのまま倒れ込んだ。手には茶碗と箸を握りしめ、傍らには意味不明な巨大なしゃもじとショルダーバッグが置かれていた。暁のメンバーは、突然倒れた順平を不審に思った。目を開いたまま、突然気絶してしまった順平に、メンバー全員が唖然とした。


「おい、しっかりしろ!あんた、大丈夫か?」


 暁の誓いのリーダーは、慌てて声を掛けたが全く反応がない。


(何が起こった?さっきまで普通に歩いていたじゃないか。大体、何だこれ?

こんなもの持ってなかったじゃないか。どっから持って来た。)


 意味不明な食器を握りしめ、傍らには巨大な木製の何かが転がり、ショルダーバッグを下げていた。ギルドにいたときは手ぶらで、しかも冒険者にあるまじき軽装だったはず。“暁の誓い”のレオナルドは、それで冒険者になるつもりかと、何度も問い質そうとしたので良く覚えている。


(確かに、何も持っていなかったはずなのだが?)


 そんなレオナルドが理解に苦しんでいたとき、傍らにいた魔法士シズの様子がおかしくなっている事に、誰一人気付く者はいなかった。

 シズは、目の前の光景が信じられなかった。後ろを歩いていた奇妙な男が突然倒れたと思ったら、茶碗と箸を握りしめ、その傍らには巨大なしゃもじが転がっていた。そして、シズは気付いてしまった。そのしゃもじにご飯がこびり付いていた事に。


(……なっ、なに!!……あれほど、探しまわって、その痕跡すら見つけられなかった米が……なぜだぁぁぁぁぁぁ!!!!!何故この男は……ハッ!!

しかも、コイツ!茶碗とお箸を握りしめてやがる!!!!!)


 巨大なしゃもじを抱えたシズは、凶悪な微笑みを浮かべ、体の内側から押し寄せる激情に体を震わせた。このとき暁の誓いのメンバーは、その男を取り囲んでいた。その中で、不意にシズが倒れた男を抱き起こした。このときリーダーのレオナルドは、やはりシズも女性だなと少し安心した。いつもはあれだが、優しい所もあるではないかとホッとしたのだ。男を抱き起こしたシズは、そのまま男の首元を掴み、あろうことか左右の頬を張った。

 俗に言う往復ビンタだった。その行為に皆は唖然とした。


「コラッ!てめぇ〜!吐けー!!!!何処で手に入れた!その飯!!!!

どうやって手に入れた!!おぃ、ゴルラぁ〜!何とか言えョ!」


 そう言い出したと思ったら、その男の首をグイグイ絞めていた。さすがにこの行為に、メンバーが慌てて取り押さえが、そうしなければ男が殺されてしまうとメンバー全員が思ったからだ。


 そして、もう一人の女性メンバーであるレイシアは、何故だか恐怖に震えていた。レイシアは、男が何も持っていなかった事を知っていた。修道院から行動を共にしたいので当然であるが、それなのにこの男は、気が付いたときには大量の荷物を持って倒れていた。

 しかも、立っていた状態からいきなり倒れた状態に移行していた。本来であれば普通に歩いている状態から倒れるまで、一連の動作を目にする筈なのに、この男は、立って歩いていた状態から倒れるまでの間が、完全に抜け落ちていた。何が起こったのか見当も付かないが、本当のことを知っているのはこの男だけだろうと思っていた。  

 そして、何故彼女は恐怖したかだが、それは倒れた男から濃厚な花の匂いがしたことが問題だった。レイシアは、その香りに覚えがあったのだ。修道院では、稀に修道女が神懸かりの状態になる。トランス状態というか、とにかく神託を受けた者からは、花の匂いがしたのだ。その匂いと同じ匂いが倒れた男からしていた。しかも、極めて濃厚な花の香りが鼻孔を刺激してくる。


 この出来事を他の修道女や院長に説明することを考えると、レイシアは恐怖に駆られるのだった。只でさえ、この男が現れてから、修道院の中はおかしくなっていた。 熱に浮かされる者達の熱い視線、さらに意味不明な嫉妬にも似た視線が向けられる度に、レイシアはうんざりしていた。故に、何も見なかった事にしようと考えていた。


 幸いな事に、丁度男手があったため、倒れた男を修道院まで運んでもらった。自分一人だったらと思うと、ゾッとするレイシアであった。それからが大変だった。院長は何事かと騒ぎ、隣接する教会にまで騒ぎが飛び火した。案の定、院長から説明を求められたレイシアは、気付いた時には既にこの状態でしたと伝えた。これに、他のメンバーも同調してくれたため、事なきを得ることが出来た。問題は、デカい木製の武器のようなものを担いだシズだった。


 思えば、このシズと言う人物に関して、知らない事が多過ぎた。以前、出身などの話になったとき、お茶を濁されたのだが、彼女が何に執着し気絶した男に何を聞こうとしていたのかが分からなかった。とにかく謎が多い女性なのだ。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 魔法士シズ。本名、田辺しずか 三十二歳 独身 彼氏なし。

趣味はコスプレと読書。まぁ、読書と言ってもマニアックな雑誌や薄めの本がメインになるのだがコス歴は長い。元々、変身願望はあったと思う。子供の頃は魔法少女になりたかったし、なにより変身するとストレスが発散できた。


 ちなみにこの魔法少女への変身は、大人になってからカネに物を言わせて変身した。もちろん、自分が魔法少女と呼べない年齢である事は、充分承知している。ただ、現実世界の嫌な事を忘れたかっただけだ。思えば、この魔法少女コスも、年齢的にそろそろ終わりにしようと考えていた頃だった。

 

 そんなある日、知り合いに誘われてイベントのお手伝いをする事になった。休日の午前中だけという話で、都心の書店に来ていた。そのイベント自体は簡単なもので、イベント終了後に昼食をご馳走になると、お礼程度のアルバイト料を貰いその場で解散した。しずかは最近仕事が忙しく、休日の外出も久しぶりだったので、ついでに買い物をして帰るつもりだった。まず、近くの本屋へ行き、その後はデパ地下を眺めて適当に買い物する予定だった。


 目的の◯◯BOOKSで薄めの本を買い、そのビルの3階から1階へ降りるだけのはずが、気が付いたら見知らぬ場所に立っていた。

 エレベーターに乗った所までは何の問題もなかった。問題はエレベーターを降りた場所だ。余りの事に唖然とし、振り返るとビルも街もエレベーターも、消え失せていた。


 目の前に拡がる草原。青い空と緑の大地が遥か前方まで続いている。後ろには小高い丘と森があり、遠くには山脈も見えた。


「……あれ?……。北海道?」


 しずかは何が起こったのか、全く理解出来なかった。

 実は、都心の本屋でしずかがエレベーターに乗る少し前に、ある人物が同じエレベーターを利用していた。そのお方は、この世のものとは思えないほど、美しい方だったのだが、誰一人反応することはなかった。

 そのお方は趣味の読書の為、そのビルの薄い本が置かれた3階フロアーに降臨されていたのだが、思いのほか上物が手に入った喜びにそのフロアーが花の香りに包まれていたが、これにも気付く人が誰もいなかった。これは、ちょっとした術により、誰も気にかけない存在に変化していたのだ。そして、そのお方が喜び勇んで帰途についた直後、そのエレベーターにしずかが乗り込んだ事が悲劇の始まりだった。


 そして、現状が“ここは何処だ。私は、一体何処にいる?”この有様だった。しばらく周囲を眺めていたが、見覚えのない風景の写真を沢山撮っていた。そして、ブログに写真をアップする段階で、電波が届かない場所にいる事に気付いた。どうする事もできない状況に、本人は焦っていたが、実際はそれほど深刻に悩んではいなかった。


 この田辺しずかという人間は、周囲の人々から見ると、少し変わっていた。有名なエピソードでは、小学生のとき休日の学校へ出掛け、校舎の片隅で絵を書いていた。行動自体も不自然だが、何をしているのか理解も出来な事が多かった。本人的には風景画を書いていたのだが、それは学校の校庭から見える風景ではなかった。さらに、途中で飽きてしまい画材と絵を置いたまま、何所かへ行ってしまうので、その残骸を見せられた用務員などは、子供が神隠しにあったと思い込む者も現れる始末だった。本人に悪気はないのだが、周囲は些か困惑する事が多かった。ちなみに、その画材道具は次の図画工作の時間に、校舎の片隅に置いたままにした事を思い出し、大慌てで回収に向かうが、既に用務員さんが回収していたりした。いつも、こんな調子だったため、しずかは用務員さんと仲良しだった。

 そんな、用務員室にしずかBOXなどと呼ばれる箱が置かれ、何所かに置き忘れられた文房具や備品など、田辺しずかの名前のついたものは、この箱の中に収められるようになっていた。


 やがて、中学生にもなると多少は落ち着いたのだが、行動が空回りする事は相変わらず多かった。それは中学2年生の期末テストの時だった。勉強は苦手で、普段から余り熱心に勉強をする方ではなかった。ただ、数学はあまりにも酷く、担任などからも度々指摘されていた。さすがに本人も、一桁が続くと親に顔向けが出来ないので、何とか出来る範囲で頑張ろうとした。そんな試験最終日、その前日は一睡もせず頑張って勉強をしたしずかは、密かに高得点の予感に胸を躍らせて試験に挑んでいた。


「はい、後5分!」


 その声に驚いて目を覚ましたしずかは、自分の解答用紙を前に愕然とする。その解答用紙には、名前しか書かれていなかった。


(まずい!あまりの眠さにちょっとだけ休もうとしたのが間違いだった!)


 しずかは、急いで解答を書き込み始めたが、寝ている間に解答用紙をヨダレまみれにしてしまい、解答が上手く書き込めない。しかも、焦っていたので、解答を間違えてしまった。慌てて消しゴムで消そうとするが、今度はヨダレで濡れた部分が、無惨にも破れてしまった。慌てれば慌てるほど、解答用紙は粉々になり、酷い有様だった。解答用紙を後ろから集められる段階で、あまりにも汚い解答用紙に、皆に驚かれてしまったのは、切ない思い出だ。


 後日、しずかと同じクラスの女子生徒者が、理科準備室の前を通りかかり、中から奇声がする事に恐れおののき、その噂でクラス中が大騒ぎになった。

 真相を確かめようとクラスの男子数名が、恐る恐る理科準備室へ向かうと、確かに中から奇妙な唸り声にも似た声がした。そんな男子数名が、勇気を振り絞って理科準備室の重い扉を開けたとき、中では田辺しずかが数学の追試を受けていたのだった。

 

 そんな田辺しずかの現在は、偶然か必然かの判断は難しいが、異世界に降り立ち魔法士シズとして活動していた。ちなみにその活動目的だが、一つは美容品の原材料を確保することと、そしてもう一つは、米の入手する方法だった。

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