第5話

 ももこ号と一緒に、さちお君は喫茶店「アルプス」に入った。例によって、店長さんがやって来て丁重に挨拶をする。ちなみに、メニューは不要。なぜなら僕、常連さんだから殆ど把握してもらっている。新しいメニューが出来たときは、店長さんが教えてくれるし…。

「僕は、一番搾りホット。」

「私は、霧島ラテ。」

 いつものって言えば、それで一番搾りホットになるのだが、あまり、常連だって事をひけらかす様な言動はしたくない。礼節には厳しいさちお君である。

 ここはいつ来ても落ち着く場所。窓の外は、なだらかな放牧場こうえんで、一面の緑色。所々、大きな木が茂っている。

 そして今では、ここで脚本チェックをする事は無い。完全にももこ号との逢引の場所になってしまっている。オフタイムの場所での仕事の素振りはマナー違反だと思う。とにもかくにも、この後で軽くドライブに出かけるのが、例によって定番。久しぶりに会うわけで、バッチリ4t車は洗車済み。

 飲み物が来るのを待っていると、丘の上にあるホルスティー教会から、綺麗な鐘の音が聞こえてくる。ももこ号がちらっとそっちを見た。

「結婚式よ。」

「結婚式?」

「今日、確かその日。何ヶ月か前に、教会で式を挙げたいってカップルが来てたらしいの。それに、最近ずっとジャージーズが練習してたもん。」

「ジャージーズ?」

「え、知らないの?ジャージー牛さん二頭とホルスタイン牛さん一頭のゴスペラグループで、教会の専属聖歌隊よ。知ってるでしょ?両前足を腰の辺りで前後にフリフリしながら歌うグループ。有名なんだからね。それに定番なのよ、結婚式で歌ってもらうの。」

「へ~。」

 そう言えば、気のせいかもしれないが、もーもー聞こえてくる気がするさちお君であった。

「結婚式かぁ。どんな感じなのかな。なんか、単に見世物になるだけみたいで、あんまり僕は興味がないんだよね。」

 ももこ号が、後ろ足で軽くさちお君をけった。

「あ、後ろ足蹴。なに。」

「もぉー。女の子には大事な行事なんだから!」

 鼻息が荒い。その鼻息で、綺麗に磨いてある金色の鼻輪が少し曇った。いつか見た情景だ。

「私達だって、そろそろ…。」

「え、なに?」

「もぉー。私に言わせる気?」

「!」

 ちょっと待て!今日はただ単に息抜きに来ただけなのに、とんだ方向に話が進んでしまっていないか?マジメにお付き合いしているさちお君、しかしちょっとだけ、いやかなりの動揺。

「最近ね、パパがうるさいの。」

「弁慶号?」

「そう。礼儀をわきまえない奴だなんて言ったのよ。」

「僕の事?」

「そう。当然、将来の事を考えて付き合ってるんだろうから、挨拶くらいしてもって。」

 なんと!認知してない、したくない弁慶号が、すっかり僕の事は認知しているのか。とするなら、あの、いつか見た赤いムレータの変わりに、赤い服を着た僕が立って、あの恐ろしく立派な角の射程圏内に、既に僕は入ってるって言う事?

 そりゃ、いつかは結婚って考えているさ。その時には、どんなに嫌でも挨拶するさ。でもさ、でもさ、心の準備ってものがあるではないか。ヤクザの親分みたいな弁慶号に挨拶するんだぞ。脇差一本、用意しといて!。そんな事より、今日は、い・き・ぬ・き・しに来たんだぞ!!。

 そうは言っても放置できぬ問題だ。優柔不断なオス、というか男は嫌われる。少し抜けてる所があるほうが魅力的とは、何かの雑誌で読んだが、決めるところはビシッと決めなくては駄目だろうなぁ。第一、愛想を尽かされたら、困る!非常に困る!。

さちお君は暫し考えて、ももこ号を見た。

「僕は、良いんだよ。」

「もぉー、どういう事?」

「一緒になろう!」

「え?」

「結婚してください。」

…言ってしまった。あら、これで独身貴族ともおさらばだわ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る