そんなふうにしか生きられない。だから、夢を追い続けて足掻くんだ。

読者は志維菜をまぶしいと感じるだろうか。
それとも、志維菜に強く共感するだろうか。
羨ましさの余り、目を背けたくなるだろうか。
あるいは、理解し得ない変人だと笑うだろうか。

志維菜は役者だ。
劇団や事務所に所属してはいないし、実績もない。
オーディションを受けては落ち、また挑戦する。
バイトで食い繋ぎながら、役者として足掻いている。

人付き合いが不器用で、心を閉ざしがちの志維菜は、
演技をするときだけは狭苦しい日常の殻から逃れ、
生きたいとおりの自分として生きることができる。
そうであると信じて、自分をきつく縛り付けている。

縛り付けているように、私には見えた。
こうしなければならない、こうでなくてはならないと、
より息苦しい方、逃げ場のない方へと自分を追い込む。
その一生懸命さが、痛いくらい、私自身とも重なった。

志維菜の生活は、ある夜、詩恵奈の登場で一変する。
キャミソール姿でドアやら壁やら殴る変人の詩恵奈は、
そのくせ人懐っこくて美人で、料理上手で要領がいい。
志維菜はなせだか詩恵奈との共同生活を始めてしまう。

詩恵奈もまた、絵を描きたいという夢を持っている。
肩の力が抜け切ったような詩恵奈のお気楽な態度に、
志維菜は呆れ、あるいは苛立ち、時には怒鳴り付ける。
詩恵奈は優しいけれど、何を思っているのかつかめない。

役者や絵描き、小説家やミュージシャンや学者になりたい。
そんな「夢を追う人」は、普通じゃないのかもしれない。
社会を舐めていると眉をひそめられ、つまはじきにされる。
レールの上に乗っかっていなければならないのだ、と。

普通じゃなくて、だから何だっていうんだ。
人と違うから、なめられなきゃならないのか。
負けてたまるか。ふざけんな。
今に必ず、なりたい自分になってみせる。

そうやって戦って生きられる人間は、たぶん多くない。
だから、戦う志維菜への共感か反感か羨望か無関心か、
読む人のそれぞれで、抱く思いは大いに異なるだろう。
作中でもまた、多様な立場の人々が志維菜を取り巻く。

志維菜が身体を壊したとき、詩恵奈が助けてくれた。
志維菜が自ら心の傷を抉ったときも、詩恵奈がいた。
そして、志維菜と詩恵奈が心をぶつけ合ったとき、
停滞していた志維菜の心身はやっと本格的に動き出す。

苦しく激しい本音の思いが赤裸々に切々と書き綴られ、
単純化された安らぎやご都合主義の達成感は得られない。
そんな物語なのに、不思議と読後感は優しく晴れやかだ。
「夢を追う人」が、全力で生き続けられますように。

私もきっと志維菜に似ている。
誇れる自分になりたい。
思う存分「表現」をしたい。
自分が生き続けることを許してみたい。

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