ああ あ いたい リアル

 酒を飲むのは特に嫌なことがあった時だけだと決めていた。飲むとしてもアルコール一%のごくごく軽いものだけだ。役者業はアスリートと同じ。酒もタバコも身体を傷めてしまうので控えていたのだ。

 だけど、今日はもういい。結果を見た五分後にはウィスキーの七百ミリリットルのボトルを開けていた。わざわざ買いに行ったのだ。


 私は酔うとメトロノームのように横に揺れる癖がある。そして饒舌になる。


 合格通知のわりには薄いなあ、と思った。なんせ、紙が一枚しか入っていなかったから。しかし、逆転サヨナラ場外ホームランの可能性もある! と希望を捨てずに紙を開いた。


 落ちた。


 結果を前にして、涙より先に声が出た。唸るみたいな、吠えるみたいな、情けない、言葉にならない泣き声。そこからはもうずっと声を上げて泣いていて、泣きながら詩恵奈とコンビニに酒を買いに行った。

 今日は酔いたい。手を伸ばしたが、詩恵奈にボトルを取り上げられた。


「もうやめとき。酔っ払いすぎや」


 詩恵奈を睨んだが、ボトルは返してもらえない。確かに揺れすぎて壁に頭を何度も打っている。だって、またダメだったのだ。いつまでも上手くいかない。こんな不毛なこと、あと何回繰り返せばいいんだ。自暴自棄にもなる。


『今回はご期待に添えない結果となりましたが、またどこかで出会える可能性を楽しみにしております。今後のご活躍をお祈りしております。』


 通知の文面が何度も頭に浮かぶ。もう何十回と活躍を祈られた。それでも活躍には至らない。祈りや思いの強さだけで叶うなら、こんなに行き詰っていないのだ。足りないのは私の力。あ、もう、なんか、お手数おかけしてすいませぇん、って感じ。


 今度こそはと思っていた。一次通過の連絡が来てから二次審査までの一週間、審査課題だけに打ち込んで必死で努力した。ベストを尽くしたのに、今振り返ると、もっとああできた、こうできた、と悔しさばかりが溢れ出す。進みたかったのだ。日々の煩いの一切と別れたかった。すいませぇん。


 意志だけで立っていると、時々揺らぐことがある。これじゃあただの芝居が好きな人じゃないか、と卑屈になる。技術書を読むのが好きな人。映画を観るのが好きな人。芝居に憧れているだけの人。私はそれと何が違う? 志が弱ると自虐的にもなる。すいませぇん。

 汗を流しても結果は努力を裏切るし、果報は寝て待っても来ない。すいませぇん。


『ご期待に添えない結果となりましたが、現在の当社が求める人材と合わなかっただけであり、あなたがダメだというわけではありませんので………』丁寧すぎるフォローが痛い。余計に、求められなかったという事実が骨まで響いて鈍く痛む。私は求めるばかりで全く求められていない。すいませぇん。


 また「変わらない」という拷問を受けなければならないのか。進化や発展を望む者にとっての一番の苦行。もう何度「振り出しに戻る」を食らったことだろう。さすがに擦り切れてくる。それでも失うわけにはいかないから、弱りながらも意志の力で繋ぎとめている。あ、もう、なんか、すいませぇん。


 ………ということを延々と詩恵奈に愚痴った。詩恵奈は眉をハの字に寄せてうん、うん、と親身になって聞いてくれた。


「………その審査のことはよくわからんけどな、志維菜はきっと、すごくよく頑張ったんやろうなって思うよ」


 そんなことを言われると涙が止まらなくなる。私は子どもみたいに顔をくしゃくしゃにした。

 頑張れていたのだろうか。一人で道を拓こうと東京に住むことを決めて、いつまで経っても状態は変わらないままで。どこにも属さないということは、守ってくれるものがないということ。雨が降っているのに傘を持っていないことと同じだ。雪が降ろうと槍が降ろうと、頭上には身を守る屋根が無い。どう足掻いたって深く傷つく。夢を追うってそういうことだ。


 最後にもう一度だけ声を上げて泣いて、疲れて泥のように眠りについた。


 こんな夜でも、窓を開けたら月が輝いているのだろう。今日も変わらず、一つだけ夜空にぽつんと浮いているのだろう。




 ☆



 目覚めたが、起き上がれなくて枕にしがみついた。詩恵奈に呼ばれた気がしたけれど、まだ眠っているフリをした。

 朝がきた。

 日常は歩みを止めても進んでいく。時の流れはムービングウォークのように、生きる者を乗せて一秒先に運んでいく。生きている限り、意思を問わずに絶対に。


 家事を一通り済ませたら、息の流れを確かめて、発音の稽古に入る。それが終わったら借りてきた映画や録画しておいたドラマ・アニメを観る。肉体訓練としてエクササイズに励むこともある。その後バイトの用意をして、帰ってきたら家事の残り、寝るまで戯曲や名作と呼ばれている小説、技術書を読んでオーディション情報をチェックする。これが私のルーティン。稽古の時間を確保するために、バイトのシフトは最低限の生活ができる程度にしか入れていない。いろんなものを我慢しているから、細やかなフラストレーションも溜まっている。

 つらい。何もしたくない。転んだ状態から起き上がるのは、相当なエネルギーがいるのだ。今まで何十回と転び、すぐに立ち上がって次へ向かっていたけれど、今回はまだちょっと動けない。


 ………何十回。たったそれだけか。


 進化を求めていた。変わらないものなんて要らない。不変は停滞。停滞は死。変わらないでいることは楽なのだ。それで済んでいく人ならいいけれど、私が欲しいものは歩みを止めたら手に入らない。


 たとえ未来の私が目の前に現れて「それ以上頑張っても実らないよ。叶わない夢を追うのはやめにしよう」と告げたとしても、私は止まりはしないだろう。努力が必ず報われるとは限らない。嫌というほど繰り返して思い知ったリアルだ。それでも私は人生という名のムービングウォークの上を、意思を持って走ろうともがく。走り出すことすらままならなくて何十回と転んでいるけれど、動かず足掻かず立ち止まっていたくない。悩まず、転ばず、折れず、散らず。私が夢見ていたのはそんな綺麗すぎる現実。そんなものはどこにもないし、あったとすれば、それは夢の中で死んでいるのと同じことだ。生きることはいつだって血や涙を滲ませて進むことを指す。


 自分が特別な才能を持っていないと気づくのに時間がかかりすぎたけれど、努力が必ずしも報われるものではないのなら、才能だって必ず実を結ぶとは限らない。才能があるのに努力をしない人。才能は無いけど努力をする人。才能がある上に努力をする人。才能も無ければ努力もしない人。前提がどうであれ、私は努力をする人でありたい。


「なーーーー!!」


 詩恵奈が素っ頓狂な声を上げて、私の上に飛び乗ってきた。マットレスが軋む。重い。エモーショナルな気分が台無しだ。


「なあなあ。起きてるんバレてんで。寝たフリ下手くそか。ツンツン、なあなあ、明日ヒマ?」

「ツンツンすんな。なんやねん」


 詩恵奈は左手に持ったスマホを私の眼前に突き出した。


「ちょっとバイトしてみーひん?」



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