すべての終わり

第46話 工場都市ネモ=レイドにおける虐殺

 工場都市ネモ=レイドは魔法を使わない生活物資を作る大規模な拠点だった。


 魔法はあらゆるものを生み出すけどそのためには魔力と秘石が必要になる。なので魔法でなければ生み出せないもの以外は人間の手に頼ることになる。


 灰が降りだしてからネモ=レイドは何度かの略奪を受けた。でもその都度返り討ちにして職人の意地を守り通してきたという歴史があった。


 その頑なな人間の意志を、混凝術士ベトンキャスターと狂人兵団との混成部隊が塗りつぶした。


 護法軍でも重要な打撃力を担う魔砲撃手スペルブラスターに匹敵する呪われた灰魔法が街の防毒隔壁を乗り越えて毒の灰を撒き散らし、住民の何割かがその時点で死んだ。 


 狂気が完全に彼岸へ行き着いた灰賊の群れがその隙に襲撃を掛け、自警組織も駐留護法軍も死体になり、あるいはフィーンドになった。何割かは食料になった。


 控えめに言っても悪夢の光景のまっただ中に、俺は馬車で乗り込んだ。


 武器は渡された鎮圧杖ライオットワンドと、粒状霊薬弾を装填されたショットガン。


 そして荷台の黒い箱『禁断』の中に入った殺人人形『百の手』。


 俺の味方は馬車を引く陸王サイのチャンプだけだ。


 街まで同行してきた護法軍は、百の手の暴走を恐れて距離をおいて望遠鏡で眺めている。俺が死んだら改めて街に突入するつもりだろう。


 リリウムは護法軍の部隊に守られている。


 彼女自身は俺と一緒にネモ=レイドに乗り込むつもりだったが、それだけはやめてくれと護法軍に制止され、留まった。


 どういうわけか、俺はこの無謀な突撃に積極的だった。


 いや、積極的とまで言うとちょっといいすぎだ。


 ただ、もう引くに引けないぞ、という空気が指で触れるぐらい近くまで迫ってきて、逃げ出すよりは戦ったほうがまだマシだという気分になっていた。


 トゥルーメイジがもうこの世にはいないという話は自分で思うよりショックが大きかったらしい。


 俺は自暴自棄になりかけていた。


 ここで死ぬならしょうがない。そんなふうに思った。


 それでもやっぱり俺は自殺志願者じゃないから、なるべく生きようと思ったし、ルシウムの遺言が俺を引き止めた。


『君は生きられるだけ生きてくれ』。


 だから俺はなるべく死なないようにした。


 代わりに、敵の多くが死体になった。


     *


 心臓の。


 動悸が。


 一向に収まらない。


 防毒マスクの内側は白く曇って、水滴が垂れて外が見えない。


 俺は息を止めたままマスクを外し、灰を吸わないようにして空っぽの胃から胃液を吐き出した。


     *


 俺が何をしたかというと震えて逃げ回っていただけ。


 その代わり百の手が活き活きと動きまわり、灰賊の首を二回転させてねじ切り、混凝術士の手を握りつぶし、もう一本の手で上腕を握りつぶし、次の手で肘を逆に曲げ、二の腕の肉をえぐり鎖骨を手刀で砕いてから喉仏を引きちぎった。


 殺人人形は原罪を持たないものを無制限に殺す。


 灰賊なんて存在すること自体が罪みたいな連中だけどそれでも原罪は背負っていない。


 だから、俺がわざわざ何かを指示する必要なんてなかった。


 ざわざわと無数の腕を蠢かせ、触手か何かのように伸ばしてはその先にあるクズどもの首を掴み、絞め殺した。


 そこまではよかった。


 あらかた敵が血の海に沈んで静かになってから、おそるおそる顔を出した生き残りの住民も殺した。


 その時の俺の絶望たるや……。


 結局、数人の普通の人達を殺した百の手の前に俺が身を投げ出すようにして、それでようやく止まった。


 間接的にとはいえ、俺は普通のまともな人間を殺したことになる。


 どうすればいいのかわからない。


     *


 護法軍は正しい判断を下した。


 百の手は単体では本当にただの殺人マシーンだけど、俺とペアで使えばそれほど被害を出さずに敵だけを排除できる。


 だから俺は、もう全く逃げ場を失って、敵も味方も普通の人も間接的に殺害する殺人マシーンの御者になった。


 隅っこのほうで怯えて身を隠すだけの情けない御者に。


     *


「ずいぶんやつれたみたい」


 リリウムが心配そうに声をかけてきた。


「言われなくても自覚してるよ」


 本当はそんな憎まれ口なんて叩きたくないのに、俺は酷いクマのできた目をそらすように言った。いまは彼女のことを直視できなかった。


「私の霊薬。使えば少しは気分が楽になるわ」


「要らない」


「どうして?」


「クスリで慰めようって? あんたも護法軍と一緒で目的のためなら何でもするんだな」


「そんな風に言わなくても……」


「え? ああ、そうか……そうだな。それもそうだ。ごめん。うん、ごめん」


 俺は少し頭を冷やした。リリウムは別にいびりに来たわけじゃない。悲惨な戦闘で精神的にきて・・いる俺を落ち着かせようと話しかけてくれているだけだ。彼女に非はない。


 俺は何度も謝って、リリウムの霊薬を受け取った。


 その日はネモ=レイド市のホテルをあてがわれた。


 霊薬は、ベッドサイドに置いたまま使わなかった。


     *


 殺戮の日々が続く。


 と思ったらそうはならなかった。


 次に俺が投入された戦闘にグレイ=グーが現れたからだ。


 最悪中の最悪の光景だった。


 現れたのは『オース』という名前の付けられたグレイ=グーで、巨大な全身鎧を身につけた騎士の姿をしていた。その体は灰を何層にも固めた一種の石像で、堅く、重く、不死だった。


 3メートル近い巨大な鈍器を振り回し、逃げ遅れた兵士をミンチに変えた。


 固めた灰の身体は簡単には傷つくことなく、壊してもすぐに灰が埋めてしまう。腕を落としても首を粉々にしても足止めできるのはほんの数分だけ。熱も冷気も効果はなく、銃も爆弾も追儺魔法もとどめを刺すことができなかった。


 グレイ=グーは殺せない。


 その相手に俺は百の手を連れて突入し、戦わせた。


 800年前からいまだに動いている純正魔法創造物アーティファクトだ。グレイ=グーであろうとも立ち向かえるはずだ……。


 護法軍も俺もうっすらと期待していた。


 一応言わせてもらうと、善戦はした。


 だけど敵は、グレイ=グーは何をしても殺すことができなかった。


 最初の戦いで勝利したことで、俺自身さえ勘違いしてしまった。


 事実はひとつで、グレイ=グーは死なないんだ。


 幸い、俺は生きて帰還することだけはできた。


 ちぎれた左手の薬指と小指は、灰に埋もれて拾うことができなかった。


     *


 負け戦は気が滅入る。


 護法軍は世界中でこんな気分を味わっているのかと思うと、さすがに頭の下がる思いだった。


 包帯で巻かれた左手が熱を持って疼いている。


 これほどの重傷は、こっちの世界に来てからの3年で受けたことがない。


 痛みよりも精神的ショックが大きい。


 それなのに、俺はまだ百の手の性能を信頼して『もしかしたら次は勝てるかもしれない』とどこかで思っていた。


 これだけ気分が悪いのに、もしかするとどうにかできるかもしれないという、馬鹿げた希望が頭の中のほんの小さな領域に宿って、そこから離れようとしない。


 護法軍の首脳陣も、百の手を見てそんなかすかな希望を抱いているに違いない。


 やめろ、そんなのは文字通り希望的観測でしかないんだ。真実はこの左手だ。次はどこを失うことになるのか、想像してみろ。


 そうやって自分に言い聞かせた。


 それなのに、俺はまだどこかで……。

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