第31話 黒い涙

 単なる雑用係かと思いきや、ラルコは馬の扱いに長けていた。


 護法軍が用意した馬車の車体は頑丈で、それを引く陸王サイはもっと頑丈だとはいえ、御者は生身の人間。俺に何かあれば馬車は立ち往生してしまう。その交代要員として同行しているというわけだ。


 馬車に並行してウロコ馬に騎乗するその姿は、防毒マスクで顔が隠れているがよく見るとマスクごとやや縦長なので、顔の長い声の大きい例のあいつだと知れる。


 俺がチャンプと名づけた陸王サイも、初めの荒れた状態なら手を付けられなかったが、ひと通り調練を施した後はラルコでも一応走らせる程度はできるようになった。


 だったら護法軍だけで勝手に運べよ――と言いたいところだが、魔法の契約に縛られている立場なのがもどかしい。


 灰の降る長い道のりを進むということは危険が伴う。


 たとえ短距離であっても死亡率が1パーセントを切ることはない。長距離になれば言わずもがなというやつだ。安全策は可能な限り取った方がいい。


 俺は新調したマスクの、今までより広い視野で上空を見上げた。


 灰曇りの色がいつもより濃く見えた。


 もうすぐ第二雨季が来る。


     *


 陸王サイの歩幅や力強さはウロコ馬の比ではない。


 体格もまるで違うし、いくら言うことを聞いてくれるようになったとはいえ、動きがダイナミックすぎて振り回される感覚が強い。


 御者になってからずっとウロコ馬専門だった俺にとっては気を抜けない時間が続いた。


 道なりに半分居眠りしながらのろのろ走らせるから楽なのであって、レースにでも出場するような鼻息の荒さをなだめて進むのはかなり疲れる。


 鼻息で思い出した。


 チャンプは一種の生体改造を受けていて、専用のゴーグルさえあれば鼻をむき出しでも毒の灰を吸い込むことがない。


 魔法で防毒膜を鼻の中に埋め込んでいるからだ。


 灰の毒は地獄に由来していて、理屈はよく分からないが『悪い魔法の力』みたいなものが毒の成分になっている。だから毒の効き方も化学反応じゃなくて、魔法に対する親和性とか抵抗力が関係しているらしい。肉体だけじゃなく精神も影響しているってところだろうか?


 早い話が個人差がある。人間でも動物でも同じことだ。


 誰が死んで、誰がフィーンドになって、あるいは化石病になるのかは運次第だし、動物もあっという間に種ごと絶滅するものもあれば、ウロコ馬みたいに適応できる場合もある。その差は灰が降り始めて半世紀たっても完全には解明されていない。


 ただ、灰を吸い込むことが一番危険だということは間違いないようだ。


 これはもう、本当にどうにもならない。


 肺は毒の影響を受けやすい。組織がグズグズに崩れて即死するか、肺胞から毛細血管に取り込まれて全身にめぐり、フィーンド化するか化石病にかかる。


 マスクをつけていても完全には防げない。これは前にも言ったよな。


 息を潜め、灰の吹きこまない場所から一生一歩も出ないようにでもしない限り灰からは逃れられない。そんなことは不可能だ。つまりこの世界の人間は誰ひとり灰から逃げられない。

 

 御者の仕事は、移動中は野外で時間を過ごすことになる。これは一歩進むごとに運試しをしているようなものだ。


 もっともそんなことは御者に限ったことじゃないから、特別不遇だなんてことを言うつもりはない。


 それでも、せめて街道くらいはこちらから何も言わないでも馬車を引いてほしいと思った。ヘタすると毒の灰の降る空の下を八時間ほどぶっ通しで走らないといけないのだ。いちいち動きを指示していたら神経が持たない。


 チャンプにそれを言い聞かせたが、知ったことかと言わんばかりに首を振って、むしろ足を速めて走りだした。


 この野郎――と俺はマスクの中で舌打ちして、陸王サイの分厚い尻の皮を突き棒でつついた。さすがにこんな勝手を許していてはこれからの旅に影響が出る。こういう動きを制御するから御者なんだ。


 俺は叱りつけながら手綱を引き、速度を緩めるように命じた。


 鬱憤が溜まっているのかもしれないが、暴走されたらたまったものじゃない……。


     *


 最初の宿場町までは、ウロコ馬の足なら丸一日かかるところを半日で走破してしまった。


 ちょっと驚きの脚力、そしてタフさだ。


 馬車を止め、頸木を外してやると、チャンプは桶に入った濾過水と飼葉を代わる代わる大量に飲み食いした。本当によく食う。健康状態には心配なさそうだ。


 あとは素直に指示に従ってくれればいうことはないのだが、難しいものだ。


「イリエさん、飲むかい」


 ラルコが差し入れを持ってきてくれた。ヒョウモンヤギの乳に茶葉と塩を入れて煮た飲み物だ。地球でいうとモンゴルとかチベットあたりで出てきそうなやつで、しょっぱい抹茶ミルクティーみたいな味がする。今はまだ豹紋柄のヤギっぽい家畜が生き残っているから乳も飲めるけど、いずれこれも代用ミルクになるんだろうか。なるんだろうな。


「しかしずいぶん走るな陸王サイこいつは。付いていくのがやっとだったよ。軍でも扱うのが難しかったのに、短期間でよくここまで仕上げたものだ。どうやったのいったい?」 


「俺もよくわからないッスよ。不満を聞いてやる内に何となく通じるようになったっていうか。あれですよ、人間同士が言葉を超えて意思疎通ができるっていう、例のアレ。たぶんそれが動物にも効いたんじゃないスか」


「いやあ、そんな簡単なもんじゃないと思うよイリエさん」


「そうですか?」


「だって、動物とも話が通じるなら他の人がもっと早く手なづけてるはずだろう?」


 言われてみれば確かにそうだ。どん詰まりの世界に後からやってきた部外者が簡単にやってのけるようなことなら、先人は苦労していない。


「つまりイリエさん、才能だよ才能」


「……才能、ですか?」


「御者よりも調教向きかもしれないな。どうだい、護法軍で馬の面倒を見るっていうのは。腕の良い調教師なら大歓迎だ」


 ラルコの言葉に俺は露骨に顔をしかめてしまった。


 何となく、話がそっちの方向に行くことは予想が付いていた。


 護法軍は補給線が切れるのを恐れていて、でもほとんど打つ手が無い。運送業者に委託するよりは自前で物資を運んだほうが安全なのは間違いないから、契約や提携よりは『専属』を望んで来るのも当然だ。


「まあ、考えておきます」


 ラルコには一応そう答えておいた。


 法と秩序のために命をかけて戦う――というのは一瞬熱くなるフレーズだけど、実際にそうするだけの覚悟はない。仕事ならまだしも、使命にしてしまったらあとは行き着く所まで行ってしまう。


 考えておくだけならタダだ。うまい具合の立ち位置を見つけられるまではある程度距離を保っておこうと思った。


 保身だって? 保身は重要だよ。


 俺は自殺志願者じゃない。


 自分の命まではまだ諦めていないからな。


     *


 翌朝。


 宿場町を発つ頃に、空から灰ではなく大粒の雨が一滴落ちてきて、チャンプの鼻先で弾けた。


 第二乾季の終わりを告げる雨。


 空の灰曇りを洗って落ちる、第二雨季の始まりを知らせる最初の雨。

 

 黒い涙だ。

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