第29話 口にするなかれ、その名は『禁断』

 目を覚ましたのは療養所のベッドの上だった。


 鎖骨の複雑骨折と全身打撲と複数の裂傷で全治2ヶ月のところを霊薬と回復魔法の併用で2日で急速治療され、反動で強烈な不眠症にしばらく悩まされることになった。


     *


「驚いたな。こんなに早く仕上がるとは」


 ルシウムは腕組みをして、満足気に馬車の様子を眺めた。


 馬というよりはゾウみたいにデカい陸王。そこに特大の頸木をつけて、引かせるのはこれまたいかにも大きく頑丈そうな軍用荷馬車。


 その御者台に座る俺は、不眠のせいで目の見開きがちょっと怪しくなっている。


「予見士の見立て通りでしたね、大姉ルシウム」


「私の勘が彼らを信用しろと言っていたのさ……」


 バウリとルシウムの会話が耳に入るが上滑りして全然頭に入ってこない。カフェインを摂り過ぎたときのむやみな興奮状態に似ている。


「では、例の荷物を?」


「ああ、問題ないだろう。いまラルコに取りに行かせている。予定を大幅に超えてしまったが何とかなりそうだ」


 荷物。

 

 俺は御者台の上ではっと背筋を伸ばした。そうだ。そもそも何に興味を引かれたかというと、俺を連れ戻してまで運ぼうとしたモノというのがいったい何なのかということだ。


 荷駄として使うには危険なサイを一から仕込んででも運ぶというのはただごとじゃない。


 契約書で魔法的に縛られているから質問も他言もできない仕組みになっているから、せめて積み込まれる前に見ておきたい。いわゆる乗りかかった船ってやつだ。違うか。毒食らわば皿まで? いや、なんだろうな。うまく言えない。


 どうも目だけは冴えて、頭が全然回っていないようだ。その代わり、余計なことに首を突っ込むなと戒める方の自分は眠っているらしく、俺は単なる興味本位の浮かれたガキみたいになっていた。


 しばらくして、ラルコともうひとりの護法軍の男が箱を運んできた。


 長くて頑丈そうな箱。中身は分からないがやたら重いもので……。


「その箱って、あの時の?」


 俺は御者台から身を乗り出し、気になってそこから飛び降りた。ラルコの運んできた箱は、確かにあのとき最後の魔法の塔で護法軍に依頼されたものだった。


 受渡した後の積み荷なんて普段なら気にすることもないけど、こればっかりは事情が異なる。何が入っているのか知らないが、これ見よがしな錠でがっちり蓋を閉じられているのだから、護法軍にとって重要な物資だったのだろう。


 これを運ぶために俺は全く予定外に旧アベリー市まで行くことになって、挙句相棒のウロコ馬を失うことになった。複雑な気分だった。別にこの箱が何かを殺したわけではないし、何もかも護法軍の責任だなんて言うつもりはないのだが……。


「大姉ルシウム、これはもう荷台に入れてよろしいので?」


 ラルコの質問にはバウリが代わりに答え、俺の目の前であっさりと荷台に押し込まれた。


 鉄枠がはまった屋根付き密閉型の馬車はちょっとしたトラックのコンテナのようだ。わずかな手間で客用の座席を組んだり、逆に座席を収納して全部のスペースを荷物の運搬に使えるようになっている。


 ずいぶん豪勢な造りだが、それはまあいい。


 ラルコたちはほとんど何の苦労も見せずに直方体の分厚い箱を積み込んだ。それに車体も沈んでいない。いくら特別製の荷台とはいえ、重みがあるように見えなかった。


 そういえば……。


 俺はラルコの言葉を思い出した。


『ああ、それは気にしなくて大丈夫だ。重さなんてあって無いようなものだから安心してくれ』

 

 あの顔が長く声の大きい護法軍士官の言った通り、本当に重さがない荷物だということか? でも、俺が最初に引き受けた時は大の大人が四人がかりで荷台に乗せて、馬に恨みがましい目で見られるほどだった。


「それは当然だ。今は箱の中身は空っぽだからね」


 ルシウムは俺の疑問にあっさり答え、大きな箱の表面をごつごつと叩いた。


「空っぽって……だって、中身を横流しされそうになったんでしょう? それで、まわりまわって俺が呼ばれる羽目に」


「その時も中身は入っていなかったんだよ。価値のあるもの――という意味においては」


 周りくどい言い回しに、俺はおもいっきり舌打ちをしてしまった。慎み深い態度の男としてうまくやってきた俺としては、他人の目のあるところで舌打ちするなんていつもならありえない。興奮状態が続いて眠れていないせいだ。感情のスイッチがおかしくなっている。

 

「少々お行儀が悪いな。まあ、隠し立てするのは逆効果だから君には話しておこう。契約書の縛りもあることだ」


 魔法の契約書にはいくつかの『他言無用』が記されていて、そのことは契約が有効なうちはしゃべることができない。


「君に運んで欲しいのはこの箱そのものだ。中身ではない」


「中身の無い……空の箱を?」


「そうだ。初めからそうだ。君が最後の魔法の塔で受け取った時から、必要なのは中身ではなくその箱なんだ」


     *


 棺桶みたいなその箱は純正魔法創造物アーティファクトで、定められた魔法の暗号入力以外の方法では開かないのだそうだ。


 俺が運ばされていたのはただの重りだった。


 実際に入っていたのは石とか壊れた武器とか、まあ要するにゴミみたいなものだったらしい。ゴミのために俺は酷いことに巻き込まれたのかと思うと腹が立つどころではない。


 だけど、なぜ護法軍がそうしたかについては理にかなっていて、真っ向から怒りをぶつけることはできなかった。


 その黒い棺は外から壊すことができない。おそらく今の人類ではトゥルーメイジでさえ不可能だという。魔法文明がまだ勢いを保っていた頃に作られたアーティファクトは品質が桁違いだから、ということらしい。


 それほど頑丈なのに、戦略級不壊金剛箱ストラテジック・ストロング・ストレージ『禁断』という名前の魔法の箱はとても軽い。楽に持ち上がる。それこそ中に重しになるようなものが入っていなければ、持ち逃げするのはたやすいのだ。


 だからわざわざ数人がかりでないと運べないようにした。本当に重要なのは入れ物の方で、箱自体を盗まれることを阻止しないといけない。蓋をあけることは不可能なのだから、重くて簡単に運べないなら泥棒野郎も諦めて放置するしかないだろう。


 放置されれば、後から場所を特定して護法軍が回収すればいい。でも軽いせいで持ち逃げされたら、追跡もぐっと難しくなる。


 例えば、馬車で運んでいる最中に灰賊に奪われて、どこか灰に覆われた土地の只中に持ち込まれたとしたら? その場所にたどり着くだけでも危険性が跳ね上がることになる。


 まあ、そういうことだ。


 俺が何も知らなければ、単に重い荷物を運んだだけの話で済んでいた。


 たまたま偶然が重なって馬が大量死して、その後に旧アベリー市に呼び戻されることがなければ、箱のことも箱の中身のことも知らないまま終わっていたことだろう。


 ただ、困ったことに俺は知ってしまった。


 おまけに運搬についての契約を結んでいる。


 そして、早く俺様を走らせろとばかりに睨みつけてくる陸王サイを荷駄に仕上げてしまった。


 弱ったな。


 俺は興味本位で後戻りできないところに首を突っ込んでしまったらしい。


 回復魔法の副作用のせいか? 興奮状態で判断力が鈍っているせいかもしれない。


 でも、そうではないかもしれない。


 俺はそうではない方を望んでいるのかもしれない。


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