第19話 親切なおばさんはもういない
ウロコ馬の鳴き声はウシガエルとヤギを混ぜたような音で、贔屓目にしても綺麗なものではない。
夜の馬屋なんかはド田舎の田んぼでカエルが合唱しているみたいな音がくぐもっていて、扱われ方がウマっぽいだけでやっぱりぜんぜん違う生き物なんだと思い知らされる。
俺が今いる場所も馬屋だが、鳴き声は聞こえない。
毒殺されほとんど全頭が死んでいるからだ。
代わりに聞こえるのは、口から泡を垂らしながら絶叫する汚いババアの声だけだ。それ以外は聞こえない。
毒殺現場の只中で、事件を取り締まる自警団たちの人垣に――俺もそこに混じっている――囲まれたその中央には、毒殺の犯人である酷い身なりの女と、女の片腕を文字通り握りつぶしている護衛軍女士官・ルシウムの姿があって、俺も自警団の強面も押し黙っている。
「答えなさい。誰に頼まれたのか」
冷酷な声が、響き渡る悲鳴の中でもよく聞こえた。
ルシウムの左肘から先は魔法で作られた義肢で、しかも戦闘仕様で、だから薄汚い中年女の前腕を完全に握りつぶすことくらいは造作も無い。
とはいえ――造作も無いからといって本当に造作もなく実行できるのは、ルシウムという人間の意志の問題だろう。
ほんの数分前には大量毒殺犯の黒幕への殺意に燃えていたはずの俺は、彼女の振る舞いを見て急激に縮こまった。
プロと素人の差というやつか? 実行できるタイプとそうでないタイプがいて、彼女は躊躇がなく。俺は結局そうではないということだろうか。どちらがいいのか悪いのかわからないが、疎外感のようなものを感じた。
「答える気があるなら早めに答えなさい。答えないのなら次はこちらの腕。それでも言わないのなら両足」
ルシウムはそう宣告した。
宣告通り毒殺犯の女は両腕を握りつぶされた。
苦悶の表情と絶叫と、体中の穴から液体を垂れ流す中年女の姿はもう人間の尊厳も何もない。街の外で積み重なって腐っていく死体よりいくらかマシというくらいの汚物のかたまりに見えた。
ひでえな、と俺の隣に立っていた自警団の男がつぶやくのが聞こえた。どっちのことを言っているんだ?
それから何度か詰問と悲鳴が交互に上がって、ようやく自白らしきものを歯抜けだらけの口から漏らしたときには、ババアの失禁で地面に水たまりができていた。
一応忠告しておく。
公開拷問ショーを見る機会があったら、できれば舞台から離れた席にしておいた方がいい。
五感全部で受け止めるのはキツすぎる。
*
丸一日が経った。
ルシウム初めとする護法軍、自警団、魔法使い、一部犯罪組織までもが加わった捜査は、おおむね結論が出た。
実行犯の使った毒はどれも同じもので、毒を渡した人間は少なくともふたり以上いる。
まあ、予想通りというところだ。
実行犯と黒幕がいて、クズみたいな実行犯は使い捨てにされたと。
では毒を渡したのは何者なのか。
この世界は街中で灰合羽とマスクをつけていても不自然じゃないから、外見的特徴で調べを進めるのは難しい。
ほぼ確実とされたのは、毒を実行犯に手渡した人物は複数いるということだった。
協力を要請された辻魔法使い――修行僧上がりのフリーランスのようなものだ――の鑑定魔法によれば、毒の成分は灰を混ぜた霊薬で、それ自体は最近になって作られたものだという。
つまりどういうことかというと、毒の灰が降ってきて世界中で絶滅の波が広がって、まだまだ死体が増えていくことが明らかになている状況下だというのに、わざわざ進んで死体を増やす『毒』を作った、もしくは作らせた奴がいるってことだ。
そんなことをして何になる?
例えば――『敵』に使うための毒だとしたら、考えられるのは灰賊を確実に殺すときくらいだろう。
人類同士の戦争は、もう奪うだけの領土も軍備を整える余裕もなくなって誰もやりたがらない。勝ってもその先がないというのは、灰が降りだしてから10年を超えたあたりでみんな気付いてしまった。
となると、わざわざ毒を作って使う相手は社会全体に対する敵である灰賊くらいしかないってわけだ。
共通の敵ということであれば他にもフィーンドがいるが、俺の知っている限り、対フィーンド専用の霊薬ならすでに開発され、実際に使われていた時期もあったという。
でもコストに効果が追いつかなくなって、量産体制も維持できなくなって、そのまま使われなくなった。
鑑定魔法で調べても、対フィーンド毒という線はないという結果だった。
こうなると、あとは人や動物を毒殺するための、いわゆる毒薬として作られたくらいしか考えられない。
でも、なんのために?
毒なんか使わなくても人は死ぬ。
何でわざわざ死因を増やす必要があるんだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます