第16話 レーテーの彼岸に背を向けて

 馬車を走らせること自体に死の危険が伴う。


 依頼された荷物を届けたからといって、空荷で帰るのは往復の復路分損になる。


 一晩前後不覚で眠りこけた翌朝、俺は街のマーケットに出向いていた。魔法の塔方面に戻るときに積み込んで、売ればカネになりそうなものを物色するためにだ。


 旧アベリー市の交易所にはさまざまな商品が取引されている。半分が死とドブの底に沈んだような街だがもう半分はまともな商売が成り立っているわけだ。


 確実な需要を見込めるのは酒、水、食料。あとは新品の防毒装備あたりだが、いわば製造元とも言える魔法の塔のお膝元に持っていってもさばくのは難しいだろう。


 それにしても、灰に埋もれていく一方の世の中のどこにこれほどの人と物が残っていたのかというくらいいろいろなものが並んでいて、俺は案外この世界もそこそこやって行けているのではないかと思ってしまう。


 錯覚だ。


 人が多いのは、もう人間が――というか生物が住めなくなっている地域が広がり続けて、どこか一か所に流れ込むしかないからで、この街はそういう経緯でできた。人が多いというより、生存領域が狭まっている証拠なんだ。


 それでも、マーケットに無造作に積まれた商品の山を見ると興味をひかれる。


 強力な秘石や防毒栽培された食料といった高級品、銃などの護身用品。代用食料、間に合わせの日用品、きちんと魔法のかけられた正規の日用品。


 そうかと思えば、護法軍の手の回らない地域を守るための傭兵団や、いかにも修行僧が身分を偽っていそうな初級魔法使いが雇い主を探してアピールしている姿もある。


 職探しではなく、人間そのものが堂々と売られているのには多少驚いた。


 要するに人身売買だ。


 といっても、日本でいう人権を踏みにじる行為とかそういうことではなく、もうこの世には自分の身ひとつ以外売るもののない人がいて、人買いが仲介して安価な労働力として契約する――という、比較的フェアな商売だ。


 とはいえ全部が全部というわけじゃなく、人間をオモチャ扱いするような奴隷売買も存在しているらしい。よくそんなことをしている余裕があるもんだと呆れてしまう。人口が激減しても、悪趣味な人間の割合というのは変わらないのか?


 何かの拍子にあっさり死ぬ人間を商品にするというのは結構リスクが高いな、と俺はぼんやり考えた。


 御者として普段は客を運ぶこともある俺だが、もしそれが客ではなく売り物だったとしたら? 人ひとりの重量は同じだからやってることは同じようなものだ。


 こっちの世界に来るまではそんな商売なんてありえないと否定していただろう。いまは、商売として成り立つのなら頭から完全に否定することはないかな――という程度には見方が変わっている。


 でもやっぱり元々生まれ育った頃からの人権意識が染み付いているから、実際に人身売買に関わることはないと思う。


 まあ俺のことはどうでもいい。


 懐には、護法軍から支払われた特別料金がある。これを元手にもう一稼ぎするというのも悪くない。


 俺は道中の需要や儲けをざっと考えながら物色し、保存が効く食料品と、後回しにされがちな衣料品あたりに絞ることにした。運ぶ重さが同じなら、点数が多い方が利益が出るだろうという考えだ。


 この世界は慢性的な水不足で、命にかかわる飲料水以外には灰混じりの水を使わざるを得ない場合がある。いちいち濾過している余裕のない地域とか、水の総量に対する人口の多さとか、理由はいろいろだ。


 うっかり灰の毒の強い水で洗濯して、衣類に残っていて、それが粘膜に触れると腫れあがる――なんてこともある。


 安全な生活用水もやっぱり確保が難しい。


 となると、風呂や洗濯はどうしても後回しになってしまう。不衛生になるのは避けられない。

 

 だから衣料品、特に下着の需要は必ずある。俺がそうなんだから間違いない。


 日焼けならぬ灰焼けで顔にまだらの染みがある業者のオヤジに手付金を払い、商品を確保してもらった。


 買う前に馬車の調子を確かめておかないといけない。頑強で灰に強いウロコ馬でもさすがに疲れが溜まっている。場合によってはもう一日か二日は休ませる必要があるかもしれない。


 あのウロコ馬は俺が雇い主から借りている状態にある。一応、自分で買い上げるために少しずつカネを払ってきたので、今回の稼ぎがあれば正式に俺の持ち馬にできるだろう。


 あともう少しというところで使い物にならなくしても困る。


 いま使っているウロコ馬は、俺がこの世界に投げ捨てられて以来ずっとの付き合いになる。


 商売道具であり、相棒といってもいい。もっと正直に言うと、俺が一番心を許している相手でもある。


 俺はマーケットであらかた手配を済ませ、馬車を見に行くために馬屋へ向かった。


 頭の整理がついたのか、それとも過去から目をそらす技術が完成したのか、俺はつい昨日の出来事をほとんど思い出さずにすんだ。


 確かに衝撃的な出会いだったが――いずれ彼や彼女や、それ以外の昔の記憶も整理されていくのだろう。


 薄情? そうかもしれない。でも、薄めたほうが楽なんだから仕方ない。わかるだろう? どうにもならないことなんだ。もうどうにもならないと自分でも気づいているのに、気づかないフリをして取り繕っても何ひとつうまくいかないんだ。


 そんな風に考えて、俺の意識はもう自分の住処のある街と、そこへの道中と、商売をどう持っていくかということに向けられていた。


 早く帰りたいと、帰ってから何をするかと、そういうことばっかりに頭を使っていた。


 油断していたと言ってもいい。


 この世界で生きていく決意のようなもの、自力でも生きていけるという実感が次第に高まっていたからだろうか。それとも、死んでいった過去を捨てたことで自分で思っているより神経が昂っていたのかもしれない。


 俺は根本的なことを忘れていた。


 問題はないと思っていた。このまま『日常』に帰れると思っていた。街と魔法の塔の往復で食い扶持を稼ぐ普段と同じ生活に戻れると思っていた。


 ずいぶん楽観的な考え方だ。


 生きているだけで人が死ぬ――そんな世の中で、なんでいつもと同じ日々が当たり前のように続くと思ったんだ?


 俺は何かを勘違いして、浮き足立っていたんだ。


 だから忘れてしまっていた。


 この世界は、もうすぐ終わるのだということを。

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