第13話 末路

 ようやくわかったことがひとつ。


 ルシウムの押し付けがましい態度が誰かに似ているって、こいつに似ていたんだ。佐久間海人。


 こっちに来る前の佐久間のことを思い出す。いつも正しくて、正しすぎて正しさの押し売りというタイプの人間だった。


 俺は佐久間のことは多少昔から知っている。広く考えれば幼なじみと言ってもいい。


 幼なじみといっても、単に同じ学区の小学校に通っていてその頃から顔を合わせているだけで、別に友達というほどの仲ではない。


 佐久間は小学生のころからきっぱりと自分の意志を持っていて、本人は『仲間と協力して』と口にしておそらくその通りに考えていたと思う。でも佐久間の言う仲間とは自分の『下部』であって、協力とはそれを『従える』という意味だった。


 それが悪いことだと単純には言えない。佐久間は責任感もあったし、実際リーダーとしての素質は持っていたと思う。他の人間を無意識に下に見ていたとしても、そうするだけの行動力があった。


 俺自身、佐久間のことは優れた奴だと思っていた。嘘じゃない。口だけ野郎とか上っ面だけで中身が無いとか、佐久間はそういうタイプではなかった。そのままの人生を歩んでいたら、たぶん時代を動かす新しい起業家とか、そんな形で名を成していたんじゃないだろうか。


 でもいけ好かない。


 佐久間に従うことは、次第に舌打ちと引き換えになっていった。わかるだろう? 俺みたいな凡庸な奴は、佐久間の元では名前のある人間じゃなくて、『頭数』になっていたんだ。下部組織の構成員と言い換えてもいい。


 ルシウムの態度とそれは同じものだと俺は感じていたらしい。


 今のいままで佐久間と結びつかなかったのは、ルシウムと似ている誰かというのはてっきり女だと思っていたからだろう。


 とにかく、そういうことだ。


 それと、知りたくなかったことがもうひとつ。


 異世界で再会を果たした佐久間からは、決定的な何かが失われていた。


     *


 この世界の人間から名前を呼ばれるときと、佐久間から日本語で呼ばれるときでは聞こえ方が異なる。


 俺は三年ぶりにイリエではなく、入江一貴いりえかずたかという日本人になった。


「それで、どうなったんだ? 他のみんなはまだ生きてるのか? 教えてくれ、何か知っているんだろう?」


 佐久間は椅子から身を乗り出し、熱のこもった目で俺を質問攻めにした。


 ひったくり騒動のあと、佐久間と俺は売春宿よりは少しマシな酒場に入って再会を喜び合った。


 勘違いされると困るので一応断っておくが、佐久間に会えたのは嬉しいことなんだ。生き残りは俺ひとりじゃなかったんだから。


 あの日、俺たちは暗くて足元も見えない山の中にいた。昼の教室からいきなり夜中の異世界だ。


 スマホのライトだけが頼りだった。


 その日の内に何もわからないまま何人も死んだ。内臓が内側から崩れて血を吐いた奴。化け物になって、さっきまでの隣にいたクラスメイトを襲う奴。その時は灰の毒が原因だなんてわかるわけがない。


 何とか口を布で覆った人間だけ生き残った。


 本来なら生徒をまとめる立場の教師は一番最初にフィーンドになって、男女の生徒をひとりずつ食い殺して泣き叫びながらどこかに逃げていった。


 そんな状況なのでパニックが起きるのも当たり前だ。


 佐久間はそこでも何とか生き残りを集め、力を合わせて脱出しようとしていた。


 一方の俺は山の斜面で足を滑らせてしまい、佐久間たちとはぐれてしまった。クラスメイトの死体が転がる中、俺は他にも残っていた少人数のグループに混じって山を降りた。


 それ以来、佐久間たちのグループには誰ひとり会っていない。


「……俺は俺含めて五人グループで逃げてて、そいつらは結局全員死んだ。他の連中がどこに行ったのかは知らない。生きてる日本人に会えたのはお前が初めてだよ、佐久間」


「そうか……そう、か……」


 佐久間の化粧の残る顔は複雑な表情に歪んだ。強い落胆と悲劇を嘆く感情とともに、安否を気遣う必要のある人数が減ったという肩の荷の降りた様子が含まれていた。俺にはわかる。一緒に逃げていたグループの最後のひとりが死んだ時に、俺は同じ表情をしていたはずだから。


「俺も……俺の方は最初は14人いた。クラスの半分は生きて山を降りたことになるな」


 椅子からずり落ちるほど力が抜けた佐久間は、うつろな目でそう言った。どこを見ているかわからない。たぶんここじゃなく過去を見ている。


「じゃあ、半分はあそこで……」


 俺がそう言うと、佐久間は唇をひきつらせた。笑っているつもりらしい。


「ははっ、それはそうだろうな、入江。生き残った俺のグループもお前と大して変わらないよ」


「みんな死んだのか」


「ああ。少し前に最後のひとりも死んで、とうとう俺ひとりだ」


 ――最後のひとり?


 俺は戸惑った。あの靴。川の流れを堰き止めるほど死体のゴロゴロ転がる場所で拾った、誰のものだかわからない靴。


「はぐれた連中もいる。いや、はぐれたんじゃない。逃げ出したんだ。なあ、信じられるか? あいつら……バカみたいに、俺のところに一緒にいて、力を合わせればよかったのに……バカげてる。相原が死んだのは俺のせいだって言うんだ。信じられる……か……あいつら……洞窟から三人だけで逃げて……日本に帰る? あいつら……あいつら……結局三人とも……バカげてるよ……何で逃げた……」


「おい、大丈夫か佐久間……?」


 佐久間の声は、言葉の途中から次第にうわ言になっていった。こういうしゃべり方をする人間を、この世界では何度か見かけた。毒よりも先に、灰への恐怖が心に回っ人間がこんな感じになる。


 一応は生き残ったはずの佐久間たちのグループに何が起きたかも想像はつく。


 佐久間は頑張ったんだろう。そうに違いない。でも無理だった。無理なんだ。元いた世界の常識を通そうとしたらダメなんだ。


 想像して欲しい。


 生き残りを何とか率いて日本に帰る方法を探そうとする佐久間と、その一方で死んでいくメンバーがいる。不満を持つ奴が出てきて、反乱する。昔の航海で、食料不足になって水夫が船長に反乱起こすとか、そういうよくある話だ。


「それから、どうなったんだ?」


「お前の方こそどうなったんだ入江。何でお前だけ生きている」


 佐久間は俺の問いを押しのけるように言った。質問するのは当然こっちが先だ、と言わんばかりの佐久間の態度。俺は少し反感を覚えるが、焦点の合わない目で半分壊れたうわ言をぶつぶつ呟くよりはよっぽど彼らしい。ねじくれた安堵感があって、俺は心のなかで苦笑する。まだいけ好かないことを言えるだけマシだろう。


「ひとりだけになって、どうしようもなくなった時に偶然通りかかった馬車に拾われたんだ。それから馬車の持ち主のところで下働きして。まあ、それからなんだかんだで御者に……」


「おいどういうことだ! 他のみんなを探そうとは思わなかったのか!?」


 突然、酒場に佐久間の大声が響き渡った。


 そこからの佐久間の言動は、ちょっとつらいものがあった。わかるだろう? 佐久間は俺とは違うタイプの人間だ。まっとうなんだ。みんなで協力して日本に帰る方法を探すこと。諦めずにそれを求めていた。


 生き残って、仕事を得て、自由の効く身分になっているのに三年間ひとりで暮らしていた俺のことをなじるのも、当然の権利だと佐久間は思っているに違いない。


 勘弁してくれ。


 無理なんだよ。


 帰る方法なんてないんだ。


『みんな』なんて、もういないんだ。


     *


 佐久間はひとしきり俺を罵ったあと急激に落ち込んで、自分と自分の境遇とを呪う言葉を並べた。


 聞くに堪えない。


 灰から身を隠せる洞窟――と佐久間は言っているがおそらく廃棄された秘石鉱山のことだろう――に隠れ、佐久間は何とか口に入れられそうな食料を公平に分けあい、どうにかして人間が住んでいる場所を探し当てるところまでは行ったらしい。


 でもその時は、世界中に魔法の力がかかっていて、誰でも意思疎通ができる世界だなんて思いもしなかった。常識で考えれば、外国ですらない異世界で日本語が通じるはずがない。俺も最初はそう思っていた。人間っぽいのは外見だけかもしれないとか、疑い出すときりがない。


 佐久間は俺よりもずっと慎重で――その辺りが時間切れだったらしい。


 生き残りのひとりがフィーンドになった。


 重傷者が出て、佐久間自身も怪我を負った。


 何とか命を助けようと洞窟をでて、死にかけて、毒の灰で霞む世界をさまよい歩いて、通りかかった異世界人に拾われた。


 でも文字通り話のわかる相手に助けられた俺とは違っていた。わかるだろう? 死と隣り合わせの時代が半世紀続いているんだ。毒されるのは自然環境だけじゃない。


 佐久間たちは手当を受けたあと、人買いに売り飛ばされた。


 この世界の暦で半年以上、勝手に死ぬ権利さえ奪われた。苦痛の中から隙を見て命からがら逃げ出して、最終的に旧アベリー市に落ち着いた。残っていたのは三人だけ。


 旧アベリー市に着いても何のつてもなく、どうにもならなくなって、佐久間を除くふたりの女は客を取らざるをえなくなった。


 やがてひとりがアッシュ・ラッシュに頼り始めた。一応、半年は生きていたらしい。脳細胞が半分崩れて、動作も知能も爬虫類並になった期間を含めての話だが。


 結局、佐久間ともうひとりだけになった。


 佐久間海人と、三原沙耶。


「沙耶は二週間前に、その……死んだよ。化石病で脚が動かなくなって、その……もう客が取れなくなって、それから……」


 佐久間の態度が妙によそよそしくなった。


 俺は――いや、俺のことは……どうでもいい。


 佐久間は男も女も名字で呼ぶ。下の名前で呼ぶのは付き合ってる相手だけだ。


 三年前、普通に高校に通っていた時に名前で呼んでいたのは青野結愛あおのゆうあだけだった。


 三原沙耶は、治る見込みのない化石病に罹りながら本当にいよいよという所まで体で稼ぎ続けたそうだ。


 生き残ったふたりの女達に売りをさせ、佐久間自身はどうしても諦めきれずに日本に帰る方法を求め続けた。


 俺ははっきりと目に浮かぶようだった。あてのない調査の日々が結果として徒労に終わることを、佐久間も含めた三人とも薄々予想していたことを。


 その間、生活を支えたのはふたりの女で――ああ、参ったな。こんなの細かく説明しなくてもいいだろう? 俺はちょっと、すでにこれ以上はキツいんだ。


 でも、そうだな。逆に言えば、俺ひとりで抱えるほうがもっとキツいかもしれない。だから、佐久間の話してくれたことと、俺の想像を合わせて確かなことだけを言おう。


 佐久間は三原沙耶のヒモ同然になり、下の名前で呼ぶ関係になっていた。


 どうしても諦められない佐久間。それを支え続けた治る見込みのない三原。


 結局生活を維持できなくなり、借金がかさんだ。


 限界を超え、返済のために佐久間は男娼になった。


 一年。

 

 三原沙耶は下腹部までが石化して死んだ。


 制服や他の所持品はとうにカネに変えたいたが、三原沙耶は学校指定の革靴だけは履き続けた。


 他の住民と同じく佐久間には死者を弔う余裕などない。


 だから、他の死体と同じように河に投げ入れた。


 運ぶ途中、完全に石化した脚から靴が片方脱げていたことに佐久間は気づいていなかったらしい。


 俺は灰合羽の懐から、いつ取り出そうか迷っていたくしゃくしゃの紙切れを佐久間に渡した。


 その表情が凍りつき、大粒の涙がこぼれ落ち、化粧が崩れていった。


 結愛、と佐久間は一言だけ口にした。


 俺はそこに書かれているものが佐久間への遺言であることを知っている。青野結愛はそれを託して俺の目の前で死んだ。


 ああ……参ったな。


 どう思う?


 もうこんなところでいいだろう?


 こうして生き残った最後のふたりが再会して、起きたのはこんなことだ。俺にとっては、佐久間に出会いさえしなければとうに割り切ったことをほじくり返され、佐久間の精神の均衡はわずかの時間で目に見えて崩れていった。


 会わなきゃよかったんだ。


 あと付け加えるとしたら――まあ、これはどうでもいいことなんだけど、俺は三原沙耶のことが少しだけ好きだった。


 だから俺は……。


 過ぎた話だ。


 もう、何も戻ってはこない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る