約束の時間

「ねぇ、

「なぁにー?」


 母の指を一本ずつ。

 ゆっくり、ゆっくりと爪の皮剥がしていく。

 そうちゃんの顔は返り血に染まり、涙がそれを洗い去ろうとしていた。

 お兄さんの言う通り、そうちゃんは神崎のトップとも言える四人の女を殺害した。そして今、最後の一人を殺そうとしている。それも、ただ殺すのではなく拷問を行なった上で。


 こいつらが味わった絶望と苦痛を思うだけで、興奮はきけが止まらない。

 血の強烈な匂いが胃袋をひっくり返そうとするのを、笑いと共に堪えていた。


 でもそれ以上に、そうちゃんの心が壊れかけていることが悲しかった。


 泣きながら笑顔で爪を剥がし、爪のあった部分にゆっくりと、釘を刺して行く。

 手の爪を剥がし終えれば、次は足へ。

 足の爪を剥がし終えれば、次は皮を。

 繊細とは言い難い、雑なやり方で剥がしていく。苦痛に歪んだ顔が、ぼくの心に光を灯す。

 子供だからとかではなく、わざとゆっくり、雑に行う。母の叫びは、もうほとんど聞こえない。

 相馬武人の幸福主義が、神崎創の殺人衝動を増幅させる。


神崎創ぼく」の心の底でドロドロに溶かされていた綺麗な気色の悪い願いを、その手を汚しでも果たそうとしてくれている。

 でもきっと、それを全て叶えることは不可能だ。

 最後のお願いを叶えることは、きっとそうちゃんには出来ない。確信ではなく、確定している。


「約束、しよう?」


 きょとんとするそうちゃんにそっと左手を差し出して、小指だけを立てる。

 訳もわからず、とりあえず自身の右手の小指を同じ様に絡めたそうちゃんへ、あい宣告こくはくをする。


「ぼくが死ぬ前に、そうちゃんを殺してあげる。だから、それまで生きて。ぼくのために、生きて。そうしてぼくのことも、殺して。ぼくが、死んじゃう前に」


 これはきっと、呪いだ。

 ぼくのお願いを、そうちゃんは断れないのだから。そういう風に、「代わって」しまったのだから。

 それまで、人を殺した罪を背負い続けなければならないのだから。

 そうちゃんはその間も人を殺し続けるだろう。このお願いで、もっと歪んだ形として、それは成される。

 例えばそう、小指を集める、とか。

 それは、


「……ほんとーに?ほんとーに、わたしを殺してくれるの?はじめちゃん」

「うん。殺してあげる。だから、お願いだから、それまで生きて。痛くて、苦くて、死にたくても。ぼくが死ぬその時まで、ぼくが殺すその時まで、生きて。ぼくの、ために。」


 血と涙でぐしゃぐしゃだった顔に、笑顔がこぼれる。それは花のように儚く腐り落ちることが、決まった瞬間でもあった。ぼくへのご褒美のようで、こんな形で得てしまったそうちゃんの『愛情』を強く、強く感じた。

 

「約束だよ、そうちゃん」


 指切りを交わして、血の中を転がり泥にまみれて汚れていく。

 ぼくだって、あの日々を大切に思わなかった訳じゃない。

 初めての家族が、愛情が、ぼくにとってどれだけ温かく、眩しかったか。

 はじめちゃんはもう、自分が誰だったのかも忘れかけてる。その証拠に、ぼくのことを「はじめちゃん」と呼びながら、自分のことは「わたし」と呼んでいる。

 ぼくが死ぬまでの短い時間を、君と一緒に楽しく過ごすために。壊れてしまった君と、残虐非道な行いを。当然の、復讐を。

「わたし」は神崎創として、世間の呼ぶ「小指コレクター」として。

 今日、神崎創そうちゃんを、殺す。


「バイバイ、はじめちゃん」


 ぐったりと、血溜まりに横たわる、大好きな子に向かって、ぼくはナイフを振り落とした。

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