第5話

 色鮮やかで肉厚な花々が葉陰に繚乱し、その種類を微妙にかえて、目にみえぬ形で季節を告げた。嵐の季節が古く腐った樹木を吹き飛ばし、敷きかわったばかりの新しい緑のじゅうたんに熟れた果実をぼとぼとと落としていく。


 青臭い甘さとけだるいしめり気が空中にただよい、しっとりと密林にしみついてくる。


 流れこんでくる雨水をふせぐために、石殿の周囲に簡易な溝をうがったが、それでもちろちろと地下は浸水に見舞われた。


 魔法使いはたち騒ぐのを忌んで、ぶつぶつと石室の口のまわりにロウを塗って水捌けをよくし、そこに拒水の呪文をなすりつけた。おかげで、研究室には水一滴はいりこまなかったが、暗い廊下には小川ができあがった。


 オムホロスがぬれたまま研究室にはいりこんでも、拒水の呪文のおかげで、からからに乾いた体を蔵書のすきまに忍ばせることができた。


 魔法使いは留守をしていた。なにを思いついたか、二、三日まえ豪雨のなか出掛けていって、それっきり。魔法使いの奇矯などいつものことなので、オムホロスはべつだん気にすることもなく、研究室でせねばならないことを続けていた。


 この十三年間、書物の整理と分類に明け暮れているが、一向に片付く気配はない。魔法使いの雑然とした研究室の全体は、オムホロスが幼いころから着手しはじめ、いままでに征服してきた範囲と比べると果てしなくだだっ広い。


 オムホロスには、その事実が魔法使いの知識の天文学的量の証しとしてうけとめられた。


 同分類に属する蔵書をつみかさね、一か所に集めていく。たまに気になる書物をみつけると、専用の小さな丸いすをもってきて、何時間でも時の過ぎるままによみ耽った。


 まだ使ってみたことも試そうと思ったこともないちゃちな魔法、いかがわしい魔法、あらゆる高名な魔術師の魔法論、有象無象の神秘学学術書。オムホロスの脳みそは吸収のいい海綿体のように、あらゆる知識を溜めこんでいた。


 しかし、毎日丸いすにおとなしく座り、じっと羊皮紙のかび臭い乾いた紙面をにらみつけるだけ。


 いつものように背中を丸めて、本の背をももにひっかけ一心によんでいると、ふいに股ぐらがむずむずとせりあがり、太ももに奇妙な力が押しつけられてきた。


 突然のことにオムホロスは驚いていすからひっくりかえった。


 はずみでうしろにつみあげていた本がなだれ落ち、そのしたにうずもれた。

 股をひろげるとその異変がよくわかった。男性体がチュニックに帆をつくり、かすかな動脈管の膨張と陰茎海綿体の硬直を感じた。


 勃起自体に痛みはなく、異常は感じられなかった。それは何度か脈打ち、チュニックを通してしみをつくった。静まったかと思うとまたもふくれあがり、いぶかしげにみているうちにけいれんして小さくなった。


 もう一度起こるかと、チュニックをはだけ、ズボンをずりおろした。はたしてまじまじと見守るなか、たれて横たわっていたものが数倍にふくれ、鎌首をもたげてたちあがり、かすかなけいれんとともにオムホロスの顔になまあたたかい液体を吐き飛ばして萎えちぢまった。


 オムホロスはそでで顔をぬぐい、しばし男性体の異変に肝をつぶしていた。指で精液をすくいとり、保存しておいてあとで成分を調べてみようとシャーレをさがした。


 ズボンもチュニックも脱ぎ捨て、マスターの机から未使用のシャーレをさがしだし、指の液体をなすりつけると、それを手にして自室へ走っていった。


 下半身に水をしたたらせたまま室にはいり、数すくない家具のひとつである机にシャーレをおいた。


 白い液体はどろりとにごり、オムホロスの目には脂肪細胞の塊か、タンパク質のようにみえた。


 股間にぶらさがる、いまは慎み深げな男性体を、オムホロスはぴしゃぴしゃとたたいて刺激を与えた。しかし、起きだす気配はない。引っ張ってもみた。どうやら、オムホロスの感覚器官として反応を起こすわけではなさそうだった。


 では、あの勃起はなにが原因で起きたことなのだろうか。


 オムホロスは気候環境、ホルモン分泌、栄養状態、精神状態、あらゆる要因について思い巡らせた。しかし、なんの説明も思いあたらなかった。


 生殖以外で勃起することなどあるのだろうか。この男性体の検体に使った生体がまだ生存しているとすれば、そのようなこともありうるだろう。


 オムホロスの心がにわかに躍った。精液で汚れた衣服をもって、小躍りしながら廊下に飛びだした。室の口の陰に、うっそりとゴドウがたたずんでいたが、主人の浮かれようにすこしぎょっとしているようにみえた。


「ゴドウ、オムホロスはね、おもしろいことを思いついたよ。オムホロスの体をつくりあげた人間をさがすのだ! オムホロスのオリジンをさぐるのだ!」


 声変わりを終えた涼やかな少年の声が廊下にひびき渡った。


 ゴドウは静かな金色の瞳でオムホロスの姿をみつめていた。


 しのだつ雨のなか、オムホロスは素っ裸のまま走り回った。生まれてはじめて動物のようにはしゃぎ回った。ぬかるんだ地面を転げ回り、ゴドウの背にしがみついた。

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