1-3「瑠璃崎蒼音は祓魔師である」

 

 場所は、駅前の喫茶店。レトロな印象が強く、西洋のアンティーク品が並ぶ。店内はカウンター席が四つと、四人がけのテーブル席が三つあるだけであり、客席数は十六と近隣のファーストフード店に比べると小規模である。

 ちりん、と扉のベルが鳴ると、カウンターの中に立つマスターがこちらを振り返った。


「いらっしゃい」


 今の今まで本を読んでいたのか、彼女はルーペをカウンターへ置くと、こちらを見て微笑んだ。

「蒼音ちゃん、コー君……こんにちは」

 大正時代を連想させる和風ウェイトレス風の衣装に、森色のエプロン。鈴の飾りのついた髪紐で黒髪を一つに結い、前髪が顔にかからないようにヘアピンで留めている。

 彼女は、常磐翠咲ときわみさき。『カフェ・オリーブ』の若きマスターである。見た目通りお淑やかなお姉さんで、常連の俺達によくコーヒーをサービスしてくれる優しいマスターである。ちなみに見た目は二十代後半に見えるが、実際の年齢には触れてはいけない。俺の記憶が確かだと、二十年前から容姿は変わっていない気がする。そして、俺達の知り合いという事もあり、当然裏の顔がある。実家が神社であり、由緒正しき巫女の血族らしく、本来ならこんな場所で喫茶店のマスターなどしている身分ではない。

 ――常磐の巫女みこといえば、かなり有名だしな。

 が、当の本人は蒼音と違い、そちらを副業と考えており、依頼を受ける事は少ない。この喫茶店も半分趣味で始めたようなものであり、祓魔師としての確かな知識と技術がありながらそれを積極的に使う事は滅多にない。ちなみに、かなりの金持ちだ。基本面倒事は金で解決する。

「依頼人さんなら、奥の席に来ていますよ」

「ありがとう、翠咲」

「翠咲さんでしょ、蒼音お嬢ちゃん」

 言葉では叱りつつ顔は穏やかである。女子高生に呼び捨てされても気にしない大人の器量。流石です、翠咲さん。でかいのは、胸だけではない。胸ばかりに栄養のいった蒼音とはえらい違いだ。俺がそんな事を思っていると、ふいに彼女がカウンター越しに俺の頭に手を伸ばした。そして、ぽんぽんと母が子にするように頭を撫でられる。

「コー君も、ご苦労様。あの子のアシスタント、大変でしょ」

「え、ええ、まあ」

「だけど、コー君がいてくれて良かった。一弘君がいなくなって、壊れちゃわないか心配だったけど。これからも、あの子の事、よろしくね」

「こちらこそ、いつも場所を貸してもらって助かります」

「気にしないで。ちゃんと注文頼んでさえくれれば」

「勿論です」

 翠咲さんとそんな会話を交わしていると、奥の席からクレーマーが吠えた。

「弘青! 早くなさい! 蒼音様の人生における貴重な時間を無駄にする気!? 残りの人生全てで償いなさい」

「一分も経ってませんけど!?」



 場所は奥の席。翠咲さんの計らいで、入口からは死角となる場所である。緩やかに流れるクラシック音楽と、カウンターで翠咲さんが雑誌のページを捲る音がリズミカルに響く。

 誰でも心が癒される空間なのだが、約一名そうでない者がいる。

 我が上司、蒼音は椅子の上であぐらを掻きながら目の前の人物を見る。その刺すような視線はただ相手を威嚇するだけなのだが。

 対する蒼音に威嚇されてビクビクと肩を震わせる依頼人。

 俺達が来る前に既に席に座っていた女の子は、白いブラウスと赤いリボンの制服姿であり、俺の記憶が正しければ、私立鈴風東高等学校――通称東校の制服である。髪は染めた事が分かる生え際の黒い赤茶色であり、制服も着崩しており、ある意味今時の女子高生である。外見からして少々派手な印象が強いのだが、対する彼女は萎縮するように俯き、時折蒼音の顔を窺っている。

「あ、えっと……君がメールをくれた依頼人の……」

「み、水野マイ、です。えっと、東校の一年です」

 端的に彼女は答える。

 祓魔師への依頼は、基本的にメールで受け付けている。詳しい事は分からないが退魔組合が管理しているホームページには、祓魔師の紹介ページがあり、そこから祓魔師のランクや住所、担当地区などが検索出来る。そして紹介ページを見て自分の依頼に適した祓魔師へメールを送る事で依頼が可能である。簡単なシステムであり、一見求人サイトのようだが、遊び半分での依頼を防ぐため、ホームページ自体に簡単な魔術が施されている。

 魔術は専門外のためそんなに詳しくはないが、ようは自分の常識では理解出来ない怪事件や絶対に解決出来ない「何か」に脅かされた者しかアクセス出来なくなっているそうだ。

 そして、彼女はその特定の人物だったという事だ。

「じゃあ、ざっくりだけど紹介させてもらうよ。俺は一色弘青。アシスタントだ。そんでもって、こっちが瑠璃崎蒼音様。正真正銘の祓魔師だ」

「よろしくお願いします」

 派手な外見の割に大人しい態度で彼女は会釈した。

 対する蒼音は興味がないのか、頬杖をついており、「会話する気がない」と顔に書いてある。

「おい、蒼音様。依頼人の前でその態度は……」

「だってぇ、相手が子供とか聞いてないわよ。蒼音様は高いのよ。蒼音様の力を借りたい人は山程いるの。JKが払える額なんて、たかが知れているじゃない。やる気出なーい」

 この女は……!

「お嬢ちゃんいくら持っているわけ? 蒼音様はお高いわよ」

「そ、そんなにかかるんですか……?」

 おそるおそる尋ねる水野さんに、蒼音は八割嫌がらせで答えた。

「ああ、でも安心して。蒼音様、いいバイト先知っているの。大丈夫。一ヶ月もあればそれなりに稼げるわ。なんせただ股を……」

「アウト! 発言が、完全アウト!」

 と、俺は素早く蒼音の口にタイヤキをぶち込む。こんな事もあろうかとここへ来る前に購入しておいたタイヤキ(さつまいもあん)+明太子入り+カラシを存分に塗りたくった、蒼音以外は罰ゲームでしかないゲテモノでもある。蒼音の鉄拳を覚悟したが、意外にもご満足頂けたようで、「もちゃもちゃ」と食べ始めた。タイヤキは残り八つ。彼女の食べる速度を考えば、十五分は持つ筈。その間に、どうにか話を進めよう。

 ――俺ってばなんて出来たアシスタントなんだ。

「あ、えっと……蒼音様はこう言ってますが、やる時はやる人ですので。とりあえず、依頼内容を確認してもいいですか?」

「は、はい……」

「えっと……、悪霊に狙われているから助けてほしい、でしたっけか?」

「はい、そうなんです。最近同じ中学出身の子が酷い事故に遭っていて」

「偶然じゃね?」

「蒼音様、黙って。後でココア買ってあげるから」

 仕方ないわね、と蒼音は窓の外を眺め始めた。気を取り直し、俺は彼女に問う。

「具体的にどういう事でしょうか?」

「はい。私、東中出身なんですけど。最近同じクラスだった子達が酷い怪我で入院しているんです」

「東中っていうと、東系列のあのエリート中学?」

「え、ええ、まあ」

 曖昧に彼女は答えるが、鈴風東中学校といえば、学校をとうに卒業した俺の耳にも入る程の評判の中学校である。中学にしては珍しく入学してから成績順でクラスが分かれ、入学してすぐに受験に備える、所謂エリート様ご用達の中学校である。進む高校もどこも名門ばかりであり、卒業生は医者や弁護士などエリート様ばかりだと聞く。彼女の通う鈴風東高等学校はその系列であり、蒼音の通う鈴北に勝るとも劣らない。

「入院っていうと、交通事故か何かですか?」

「いえ、投石とうせきです」

「投石!? こんな都会で!?」

 思わず声を上げると、ようやく異常に気がついた蒼音が顔を上げた。

「遠くから何度も石や鈍器を投げつけられたみたいで。頭を強く打たれて意識不明な子や、全身の骨にヒビが入った子、中には足を粉砕骨折して歩けなくなった子もいます」

 思ったよりも重傷だ。もし一人や二人が立て続けに転倒したとかだったら、まだ「偶然」で説明がつくのだが。

 それに、気のせいか――彼女自身病を患っているように覇気がなく、それこそ何か悪いものにとり憑かれているように感じる。知り合いが立て続けに被害に遭えば不安にも思うだろうが、彼女のそれは恐怖や不安とは違うように見える。まるで――

「成程。最近ニュースになっている連続投石事件。その被害者はどれも東中の生徒。どう考えても無差別とは思えないわね。まあ、東中の生徒はこの近所じゃ多いから、本当に偶然って場合もあるけど」

 一応話は聞いていたのか、蒼音が呟く。その手元には水色のスマートフォンがあり、ニュースアプリを利用して記事を確認していたようだ。

「この事件。確かに、一種の悪意のようなものを感じるわ。もしかしたら……」

 と、彼女は顎に手をやり、意味深な笑みを浮かべた。さながらカモを見つけた詐欺師のようなあくどい笑みであり、水野さんだけでなく、俺も正直怖いと思った。

「いいでしょう。受けましょう」

「あ、ありがとうございます!」

 まさか受けてもらえるとは思っていなかったのか、彼女は安堵したように笑った。

「その代わり、報酬はきっちり払って頂きます」

「えっと、それって……」

 先程の会話を思い出し、水野さんの顔が引きつった。

「あ、まだ秘密よ。場合によっては額が跳ね上がる場合もあるから。だけど、心配しないで。蒼音様が要求するのはお前が持っているもので、持っていないものを無理に奪おうとは思わないわ」

「は、はあ」

「大丈夫。蒼音様が欲しいものを、お前は持っている」

 ふいに、蒼音は目をすっと細くし、零すような笑みを浮かべた。

「だから、約束して。報酬を必ず支払う、と」

「わ、分かりました。依頼が終わった暁には、必ず報酬を支払います」

「よろしい」



「手紙?」

「はい。被害者はみんな、同じ手紙を受け取っているんです」

 水野さんの説明を受けながら、俺と蒼音あおとは彼女が通っていた鈴風東すずかぜひがし中学校へ向かう。

 何故被害者のいる病院ではなく、中学校かというと――そこが事件現場であるからだ。

 最近起きている投石事件の被害者は全員が東中出身の、同じ二年七組の生徒。そして、その誰もが東中の校舎裏にある雑木林へ立ち寄り、そこで事故に遭っているそうだ。警察でも何らかの関連性を調査しているらしいが、何故被害者が雑木林へ訪れたかが分からず、原因不明なのが現状である。

「私も聞いた話なので詳しくは知らないんですけど。被害者は手紙を使ってここに呼び出されて、みんな被害に遭っているそうです」

「なら、行かなきゃいいじゃない。バカなの? バカでしょ。死ねば?」

「そうなんですけど……」

 周囲を見渡すと、雑木林が広がっており、住宅街にしては珍しい風景だ。死角になる場所が多々あり、木の陰や上から狙えば或いは――

「人為的って場合もあるのかな。その手紙で呼び寄せた相手を石で……」

「無理に決まっているじゃない。バカなの?」

 蒼音は一蹴した。何でこの子こんなにムカつくのだろうか。

「仮に待ち伏せて襲ったのだとしたら、人の力じゃない事は確かでしょ」

「複数とか……」

「だから無理よ。鈍器で殴りつけたのならともかく、投石による被害よ? 人間の力で、相手の骨を粉砕する程の投石が出来ると思う? 至近距離で何度も投げつけたのならともかく、被害者は犯人の顔を見ていない。という事は、犯人は遠くから隠れながら奇襲を仕掛けた。専門家が投石によって負った傷と判断するなら、それで間違いないでしょうね。もし見落としているとしたら……」

 蒼音がそこまで言った時。小さな建物が見えた。一階建ての建物であり、周囲の木の蔓が壁にまで達し、見るからに怪しい。今更だが昼間だというのに周囲には動物の気配がなく、空を飛んでいる鳥も建物の上だけは避けて通る。ますます怪しくて不気味だ。

「水野さん。あれは?」

「あれは昔の部活棟です。私の在学時には既に使われていなかったんですが、昔はここら辺にも別棟があって。他は取り壊したんですけど、あの部活棟だけは物置として数年前まで使用していたそうです」

「していたって事は……」

「はい。今は使われていないそうです。たしか、事故で生徒が一人亡くなったとか……」

「え!?」

 ストライク。完全に曰くつき物件の条件だ。

 話しているうちに部活棟の前まで辿り着いた。性格の悪い美少女と大人しめの生女子高生に挟まれながら見上げると――確かに、何か出そうだ。

 部活棟と言いながら、案外小さなものであり、外観はコンクリートの古びた建物であり、失礼かも知れないが少し大きめな公衆トイレに近い。部屋は大体十部屋程あり、一つの部屋に一つずつ窓がある。その窓も周囲の木の蔓に侵食されて開く気配はないが。

「それにしても……雑木林の中にあるウサギ小屋が部活棟なんて、東中って生徒嫌いなの?」

 言い方を選んで!

 案の定、水野さんは複雑そうな顔で俯いてしまった。

「何にせよ、入ってみれば分かるか」

 と、無遠慮に蒼音は部活棟の扉に手を伸ばす。何が出るか分からないため、珍しく蒼音も慎重だ。俺と水野さんが見守る中、彼女はおそるおそる扉に触れ――

「おらっ!」

 ――ると見せかけて、一切の躊躇もなくドアを蹴破った。数多の悪魔を蹴り飛ばしてきた蒼音の蹴りに耐え切れず、扉は床に落ちた。周囲に扉を支えていたネジが散らばる。

「よし!」

「よし、じゃねえよ! ドアを開けるんじゃねえの!? 何で蹴破るの!?」

「バカなの? 鍵がかかっているに決まっているじゃない。障害物は踏み潰すまで」

「ただの器物破損じゃねえか! 最初にやったおそるおそる手を伸ばす動作いらねえじゃん! ページの無駄使いじゃん!」

「蒼音様がいいって言っているんだから、いいの。それに、一行も使っていないんだから、問題なしよ」

「新人賞における一行がどんだけ貴重か分かって言っているのか!?」

「蒼音様には関係ないわ。蒼音様がいいって言えばいいのよ」

 この女には恐怖心というものがないのか、何かいるかも知れないと自分で言っていた場所にずかずかと足を踏み入れる。呆然と立ち尽くしていた水野さんを視線で促しながら、俺もまた彼女の後に続いた。



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