真冬の風物詩 -2-

「だりぃ」


 ふと真は、自分が何故此処にいるのか考えた。勿論、此処でバイトをしていてシフトが入っていたからだということはわかっている。

 問題は、普通の家庭に生まれたはずの自分が、どうして三十も間近になって髪を派手な色に染めて、ボロボロの靴を履いて、スロットで日銭を熔かしている人生になってしまったのかという、ささやかな疑問だった。


 少なくとも、中学生までは真は普通の子供だった。少々のやんちゃはするが不良というわけでもなく、部活動にも熱心なほうだった。心身ともに健康であったことは疑いようもない。


「やっぱり勉強かな、うん」


 中学校の勉強についていけなくなった頃から、人生に対して投げやりになったのではないか。ふと浮かんだ仮説は、意外と正しいもののように真には思えた。


 勉強と部活で世界の殆どが形成される中学生という時代において、勉強が出来ないということは世界の半分を抉り取られたかのようなものである。


 せめて他の分野で才能でもあればよかったのだが、真はどれも「イマイチ」だった。美術も技術も体育も、下手というわけではなく普通。そのために中学生であった真は「まぁ特にこの先、良いことはないな」と真面目に生きることを放棄した。


 別にそれを理解したところで、何か解決する気もない真は、大欠伸を一つ放って全てを記憶の奥に葬り去る。開いた口を閉じたところに、智弘が戻ってきた。


「あーぁ、更衣室めっちゃ寒いし。こんな日に仕事とかするもんじゃないよな」

「それな」

「スギノンとか、こういう日のほうが仕事が捗るなんて言ってるけど」


 智弘は椅子に座りながら、理解しがたいと言わんばかりの口調で呟いた。真はそちらに視線を向けながら聞き返す。


「捗るって? あの人、最近シフト入れてねぇじゃん」

「こっちの仕事じゃなくて」

「会社の方?」

「そっちでもなくて、小遣い稼ぎの方」


 智弘はビニール袋の中からミント味のガムを取り出し、個包装を剥がしてから口に入れた。


「何それ。俺知らん」

「「快眠グッズ」の売買」


 へぇ、と真は感心したように呟いた。濁された言葉の後ろにあるものは容易に理解出来る。違法ではないが何かと問題視されていて、ニュースにも月に一度は出てくるものだった。


「あの人、持ってんの」

「持ってるよ。出所は知らないけど」

「俺も貰おうかな」

「何だよ、不眠症?」

「そういうわけじゃねぇけど。色々効くべ」


 バーカ、と智弘が鼻で笑う。


「よりによってあの人から手に入れることないだろ。絶対にぼったくられる」

「だよな。そもそも俺、金ねぇや」


 真の財布には常に金がない。

 ある時はあるが、それも一瞬である。どういうわけか、真の持つ金はスロットやパチンコの台と相性がいいようで、どんどんと飲み込まれてしまう。

 恐らく両者は固い絆で結ばれていて、お互いがお互いを求めているのであろう。だからそれを引き離すなんて野暮な真似をするつもりは、真には一切なかった。


「雪」


 智弘が冷え切った指をさすりながら呟く。


「結構積もってるから、雪掻きしたほうがいいかもな」

「店の前?」

「それもあるけど、非常階段の方」


 外気に晒されっぱなしの非常階段は、現在進行形で雪をその身体に受け止めている。申し訳程度の排水溝しか備えていない階段には、溶けた雪も溶けない雪も一緒に溜まっている。


「別に放っておけばいいんじゃねぇの? 今日は流石に階段使わねぇし」

「いや、多分位置的に……」


 智弘が何か言いかけた時に、大きな音が外から鳴り響く。トタンに何かをぶつけたような音に、真は思わず肩を跳ねる。


「何?」

「ほら、やっぱりな。階段から雪の塊が落ちてさ、室外機に当たってんだよ」


 各部屋についているエアコンの室外機は、非常階段と殆ど接するような位置に設置されている。雪の塊が重力に従って落ちる最中にそれに衝突したのが、今の音の正体だった。


「この前、24号室の室外機の留め具が外れたじゃん。他のもそろそろヤバいと思うんだよなー。雪の重みで外れちゃったりして」

「やばくね?」


 当然のことだが、室外機は重い。重い上に高い。

 別に修理代を自分達で出すわけではないので値段はこの際どうでも良いのだが、「本社」にそれを頼むのが面倒だった。

 そして万一、室外機がその設置されている壁から剥がれ落ちてしまった場合、片付けるのは彼らの仕事になってしまう。


「だから雪掻きしないとって言ってんだろ」

「えー。どっちがやる?」

「ここは年長者がどうぞ」

「いや、こういうのは若いのに任せる」


 大して変わりもしない年齢差を武器に仕事を押し付け合う。

 何しろ外は寒い。加えて、真も智弘も雪には不慣れな地方の出身だった。出来ることなら、暖房の下でぬくぬくと暖まっていたいと思うのは当然のことである。


 だが、二度目の音が響くに至って、二人は漸く「交代制」という妥協案を出した。そこに至るまでの時間は五分。クズは時間の浪費などに心を痛めたりはしない。

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