夏の風物詩 -2-

 四階の四三号室は一番狭い上に清掃がしづらい。台形のような形をした部屋に中途半端に大きな照明スタンドが置かれているので、よほどのことがない限りは貸し出さない。


 ではなぜそんな照明スタンドを置いてしまったのかとか、何処から持ってきたとかは気にしてはいけない。偶に本社の営業が来ては「視察」と称して休憩を取っているような部屋である。


 中央に置かれたガラスのテーブルに気前よく缶ビールを並べる真は、平日の競輪場にいる中年男性とそう変わらないだらしなさだった。

 ツマミがないとぼやいたら、冷蔵庫の奥から出てきたジャッキーカルパスは、少々冷蔵庫の匂いがついている。


 だが二人ともそんな細かいことは気にしていない。互いに缶ビールを手に取って、プルトップを開ける。


「かんぱーい」

「いえー」


 間の抜けた音頭を真が上げたので、智弘もそれに倣う。缶同士がぶつかる鈍い音がした。


「あ、意外と飲めるじゃん」


 一口飲んだ真がそんな感想を呟く。


「まぁ安いってだけで中身はビールだからな」

「暑気払いにはぴったりだ」

「そういや、なんでそんな単語知ってんの?」


 智弘の投げかけた問いは当然ともいえるものだった。何しろ真は他の後輩たちからも、漏れなく馬鹿扱いされている男だったし、漢字の多い説明書を片手に途方に暮れていたのも一度や二度ではない。


「杉野さんに聞いた」

「スギノン?」

「なんか会社でやったんだってさ」


 杉野明日香スギノ アスカというのは真の同期、同い年にあたる女である。本職はOLで、所謂ダブルワークをしている。事あるごとに、自らが一番まともであると言い張っているが智弘から見れば彼女も十分クズの分類に入っていた。


「スギノン、シフト被らないからなぁ。元気ぃ?」

「相変わらずだと思うけど。俺も早番だから、十分程度しか会わないんだよな」

「今、中番って誰やってんの?」

「長谷部と杉野さんと宮川と…そのぐらいかな?」

「スギノンとミヤミヤって相性いいの?」

「よく知らないけど杉野さんが宮川をいじめてる感じ」

「あー」


 中身のない会話をしながら、智弘は飲み終わった缶を軽く握りつぶして二本目に手を伸ばす。雨はますます激しくなって、雷の音が窓を震わせた。そこに不意にドアをたたく音が混じる。


「はーい?」


 真が返事をすると扉が開いた。智弘は扉に背中を向けていたので、首を反るように振り返る。そこにいたのはジャージ姿で髪の毛だけ濡れている一人の女だった。足元はサンダルで、彼女がいつもその格好で仕事をすることを皆知っている。


「スギノンじゃん。仕事さぼりスか?」


 タメ語と敬語が混じり勝がちな智弘は、先ほど会話に出たばかりの女に声をかける。


「シフト入ってたんだけど、二人がここで飲んでるから行っておいでって店長が」


 そう言いながら明日香は濡れたビニール袋に入った何かを放り出した。コンビニの珍味コーナーにある鮭とばや烏賊の燻製、チーズ鱈などがテーブルに広がる。


「おっ、いいじゃんいいじゃん。買ってきたの?」


 真が尋ねると、二人の間にある椅子に座った明日香は肩を竦めた。


「そんなわけないでしょ」


 ジャージのポケットに入っていた煙草を取り出して、口に咥える。その煙草は社員がこの頃執拗に売りつけてくる代物だった。


「それ買ったの? まずくないスか?」

「まずいけど、美味しくても意味ないし」

「そりゃそうか」


 智弘同様、雨の中を来たらしい明日香は濡れた髪を指で絞りつつ器用に煙草を吸う。途中で、それを羨ましそうに見ている真に気付いて煙草とライターをテーブルの上に滑らせた。


「やーりぃ。太っ腹」

「で、このツマミは?」


 智弘は真の質問を繰り返した。明日香は小さく首を傾ける仕草をした後に煙を天井に吐き出す。


神戸カンベに買ってこさせた」

「神戸?」


 それは金を持って逃げ出したシフトリーダーの名前だった。


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