3 - 7 「亡国の剣士」

 意識が覚醒していく。


 目を開けると、こちらを覗き込むように顔を向けたシロの顔が見えた。


 以前に見た光景だ。


 だが、今回は歪んだ三日月型に切り取られた世界ではなく、視界いっぱいに開けた世界だった。


 シロの顔の先には、雲が一切ない青々とした空が見える。



「あっ、仮面が外れてる……」



 無意識に右手で顔を触ると、ヒヤリと冷たくなった手の感触が頬に伝わった。


 ハルトの声に反応したシロが、下を向きながら少しだけ微笑む。



「……もう、いたく、ない?」


「あ、ああ。大丈夫」



 シロの膝枕から上半身を起こし、辺りを見回す。


 そこには、血が染み込んで黒ずんだ地面と、地面から生えた生首が一つ。


 どうやら意識を失ったときから、特に動いていないようだった。


 時間もあまり経過していないのだろうか。



「ん? 生首?」



 ハルトの呟きには、生首の近くにいたミーニャが答えた。



「お仕置き中だニャ」


「だ…… 出せ…… こ、ここか…… ら……」



 生首だと思われた頭部は、首から下を地面に埋められたメイリンだった。



「苦しそうだけど……」


「悪い奴だから、このまま死んでも自業自得ニャ」



 ミーニャが声のした方角へ振り返り――ハルトを見て勢いよく飛び退く。



「ぎニャ!? だ、だだだ、誰ニャ!?」


「いや、俺は…… ジョーカーだけど……」


「ジョ、ジョーカー!? あ…… ちゃんと角はあるニャね」



 仮面は一度死んだから外れたのだろう。


 だが、角が健在ということは……



『ワシもちゃんとおるぞ』



 炎の雄牛ファラリスも健在だった。



『お主がアホみたいな魔力マナの使い方をしたせいで、憑依体のワシですら一時的に仮死状態になったぞ? 全く…… お主は相変わらず規格外というか突き抜けておるな』


(お、おおう。ごめん。加減が分からなかった)


『まぁ、それはよい。それより、お主が蘇生する際、魔力マナも大分回復したようなのだが、一体どういう原理だ?』


(詳しくは分からないけど…… もしかして、また記憶覗けない系?)


『うむ』



 ハルトは、炎の雄牛ファラリスに掻い摘んで説明した。


 死んでハイデルトと出会ったこと。


 ハイデルトの身体のこと。


 そして、その身体に封印された魔王のこと。


 復活術式のことなど。



『ハイデルトらしいといえば、らしいのかもしれんな。冗談にしか聞こえないような非常識がまかり通るところが特に。しかし、そんな物騒なものがお主の身体に封印されておるとは…… 禁忌の類いとは分かっていたが、魔王か……』



 魔王の存在は、どうやら炎の雄牛ファラリスのような精霊が住む精霊界でも有名らしい。


 魔王は全てを喰らい続け、魔王が通った後には何も残らない、全てを無に返すために産み落とされた存在だとか。


 その後、シロとミーニャには、呪いの仮面のせいで上手く会話ができなかったことを話した。



「なんだニャ。そういうことだったニャ。ミーニャは、最初からそうじゃニャいかと思ってたニャ」



(絶対に嘘だろ……)



「それより、他の女の人達は? 姿が見えないようだけど……」


「他の皆は勝手に行ったニャ。本当に、女って奴は我儘な生き物ニャよ」



 そう言いながら溜息を吐くミーニャ。



「でも、何でミーニャとシロだけここに残ったの?」


「話せば長くなるニャ……」



 ハルトが死んだ後、女達はすぐさまここから立ち去ることを望んだ。


 ジョーカーへの恐怖心と、盗賊の残党が再び現れることを懸念したのだろう。


 その先頭に立ったのが、男性恐怖症の貴族令嬢――メサイヤだった。


 ミーニャも、ジョーカーが死んだのであれば残っていても仕方ないと同意したのだが、それに唯一反対したのが、意外にもシロだった。


 皆がジョーカーの死を確信する中、シロだけは、頑なにジョーカーの死を信じようとしなかった。


「しんでない、よ」「まだ、ぴかぴか、してるよ」と、皆が理解できないことを言っては、不安と恐怖で余裕のない女達を更に気味悪がらせた。


 結局、シロだけを置いてはいけないとミーニャが残り、メイリンは信用できないと、ミーニャの提案でこの場に埋めていくことになったのだった。


 その後、死んだジョーカーを甲斐甲斐しく介抱するシロにミーニャが付き添い続け、今に至る。


 ジョーカーが死んでから、然程時間は経過していない。



(シロのお陰で、死んでからの威厳は保たれた訳か……)



「シロ、ありがと」


「たすけて、くれた、おれい」



 優しくシロの頭を撫でると、シロはくすぐったそうにしながらも、嬉しそうにはにかんだ。



「シロだけおかしいニャ! 不公平ニャ! ミーニャもここに残ったニャ! ミーニャも褒められる権利があると思うニャ!」


「あ、ああ。ありがとう、ミーニャも」


「いいってことニャ」



 そう言って、小ぶりだが形の良い胸を張った。


 小ぶりな胸につい視線が引き寄せられる。



(うっ!? 見るな見るな見るな…… 意識するな意識するな! くそ! 駄目だと思うと余計に変な気持ちになる! どうしたらいいんだよ!?)



「ど、どうしたニャ……?」



 急に般若のような形相になったハルトに、何かあるのかと不安がるミーニャ。



「い、いや…… 何でもない」



 目を瞑って大きく深呼吸する。



(落ち着け…… 落ち着け…… 何も考えるな…… 何も……)



 すると、突如頭の中で叫んだ者がいた。



 ――炎の雄牛ファラリスだ。



『避けろ!!』



 驚いて目を開けた先には、動きを止めたミーニャが。



(いや…… これは違う…… スローモーションだ!)



 危険が迫ると同時に発動するこの現象は、恐らくハイデルトが施した保険のうちの一つなのだろう。


 だが、この後の対処は自分でどうにか切り抜けないといけない。


 必死に首を回して周囲の状況を確認。


 すると――



(なんだあれ…… 白い…… 煙?)



 ハルトの後方から、白い斬撃が少しずつ迫っていた。



(なっ!?)



 その斬撃の先には、刀を振り抜いた姿勢でこちらを睨むギヌが。


 ギヌは、ハイデルトが滅ぼしたとされる亡国マアトの名うての剣士だ。


 この世界へ転生したマサトに、初めて優しくしてくれた亡国の姫君ティア・マアトの付人でもある。



(確かこの人はハイデルトのこと凄く憎んでたよな!? あっ!!)



 回避しようにも、斬撃の軌道上にはシロもいる。


 自分だけ回避するわけにはいかない。



(くっ…… 間に合えよ!)



 ハルトは森に加勢をお願いすると、自分はシロを抱えて飛び退く体勢に入った。


 時の進みが戻るのと同時に、右脚に力を込めて、地面を思いっきり蹴り出す。


 隣にいたシロを覆い被さるように抱え込み、横へ跳んだ。


 そのすぐ後方を通り過ぎる白い斬撃。


 斬撃はそのままメイリンの頭上すれすれを飛び、目を丸くしていたミーニャへと迫った。



「へニャ?」


「避けろっ!!」



 棒立ちのミーニャに、突如地面から飛び出した地の根が伸びる。


 それが根っこだとは思えぬ速さでミーニャの身体に巻き付くと、目をひん剥いたミーニャを強引に引っ張り倒した。


「ぐニャ!」と変な声をあげながら地面に転がされるミーニャ。


 だが、間一髪のところで白い斬撃を躱すことができた。



『まだ来るぞ! 油断するな!!』


「分かってる!」



 ギヌが無数の残像を引き連れながらハルトへと迫る。


 地の根が次々に地面から突き出し、ギヌを捕らえようと根を伸ばすが、ギヌはそれを難なく躱していく。


 そして再び訪れるスローモーション。



(くっ…… 速い…… 燃やすか? いや駄目だ。彼女はハイデルトが助けた人間。俺が傷付けてどうする!)



 歯を食いしばり、覚悟を決める。



(ハイデルトは最大限の斬撃耐性をかけたと言った。なら大丈夫なはず。おら来いよ! 真正面から、その斬撃受けてやるよ!!)



 両手を広げ、背筋を伸ばし、姿勢を正す。


 そのハルトの奇怪な行動に、ギヌの目が大きく見開かれた。


 だが、それも一瞬。


 次の瞬間には、再び鬼の形相でハルトを睨み返した。



「チィッ! 死ねぇええ! ハイデルトぉおおお!!」



 ギヌの咆哮が響く。


 その刹那、ハルトの身体を、右下から左上へ光の剣線が走った。


 歯を食いしばり、衝撃に耐える。


 身体に衝撃が走り――


 地から足が離れ――


 身体が宙を舞う。



「ぐっ……」



 だが、不思議と痛みはなかった。


 痛みがないということは、それに付随して巻き起こる快楽もない。


 無傷。


 全くの無傷。


 どうやら、ハイデルトの施した強化術は、ハルトの身体を鋼よりも強固な何かにしたらしかった。


 ハルトが空中で崩れた体勢を戻すと、地上ではギヌが驚きに目を見開いていた。


 交わる視線。


 そして、再び変化するギヌの表情。


 だが、今度は怒りよりも、焦りの色の方が濃く見えた。



「し、死ねぇえええ!!」



 心の動揺やら不安を振り払うように、両足で地面を蹴り、ハルト目掛けて跳躍してくるギヌ。


 そんなギヌを、ハルトは再び両手を広げて待ち構える。


 その姿は、子供の癇癪を受け入れようとする、父親のような包容力を感じさせた。


 ハルトの行動に、ギヌは眼を引攣らせ、犬歯を剥き出しにしながら何度も斬りかかる。


 まるで親に反抗する子供のように。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 常人であれば、身を細切れに斬り裂かれたであろう必殺の斬撃も、ハルトの身体には通用しない。


 ギヌは叫ぶ。


 癇癪を起こした子供のように。


 光の剣線が幾重にも重なり、ハルトの身体が衝撃で歪んだ。


 だが、それだけだった。




 ◇◇◇




「な、なぜ斬れない……」



 肩で息をしながら、絶望の表情でハイデルトを見つめる。


 目の前には、国を滅ぼした憎き仇がいる。


 なのに何もできない。


 傷一つ与えることができない。


 復讐のために日々鍛え上げた剣術が、全く効かない。


 効かなかった。


 何も。


 何もできなかった。


 あり得ない結果に、オレの頭は混乱していた。


 ハイデルトは、まるでオレの斬撃を受け入れるかのように両手を広げ、全て身体で受け止めてみせた。


 オレの必殺の斬撃を全て。


 そう、全て。


 盾もなく、鎧もなく、全て生身の身体で受け止めてみせた。


 あり得ない。


 そんな人族がいてなるものか。


 だが、目の前で起きたことが本当であるなら、生身の人族すら斬れぬ剣士に、一体どれほどの価値があるというのか。


 そんなこと、誰に言われなくともすぐ分かる。


 人肌を斬れぬ剣士など、既に剣士ではない。


 何の価値もない。


 今まで死に物狂いで鍛えてきた剣術に、価値などなかった。


 無様だ。


 無様すぎる。


 オレの復讐は叶わなかった。


 諦めたくはないが、諦めるしかない現実が重くのしかかる。


 何だったんだ。


 オレの人生は一体何だったんだ!!



「殺せ…… 殺せっ!!」



 身動きひとつできない。


 地中から生えた無数の木の根が手足に巻き付き、オレを地に張り付けている。


 武器も奪われた。


 反撃の手段すら、オレにはもう残っていない。


 だから、オレは目の前の憎き仇にそう吼えた。


 殺せ、と。


 憎しみの視線を向けながら。


 せめて、奴の心に少しでも罪悪感を抱かせ、後悔させてやりたいと思う一心で。



「殺せ…… 殺せぇええ!!」



 だが、ハイデルトは、困ったような表情でオレの要求を拒んだ。



「断る」



 なぜ断る?


 オレを生かす理由は何だ?


 まさか……



「くっ…… お前にこの身を弄ばれるくらいならっ!!」




 ――舌を噛み切って死ぬ!!




「がっ……」



 口の中に、土と植物の青臭さが広がった。


 舌を噛み切ろうと振りかざした牙は、木の根によって阻まれてしまった。


 大きく口を開けた瞬間に、木の根が口に巻き付いてきたのだ。


 自害することすらできなくなったオレに、ハイデルトが寂しそうな顔を向けた。


 なぜそんな顔をするのか。


 こいつはオレをどこまで侮辱すれば気が済むのか。


 再び怒りが湧き起こり、眼に力が篭る。


 すると、ハイデルトが呟いた。



「……ここで死んでいいのか? ティアさんはどうする」



 ティア……


 今どこに……


 まさか……



「うがぁああ! がぁあああ!!」



 ハイデルトが既にティアを捕虜にしているのであれば、オレはこんなところでは死ねない!


 たとえこの身が引き裂かれようとも、この悪魔をこの場で……



「お、おいおい。なんか勘違いしてないか? 俺はティアをどうしようとも思ってないし、そもそも居場所も知らないんだよ」


「がぁぅうあぁあ!!」



 信用できるものか!


 マアトを滅ぼした悪魔の言葉など!



「聞く耳もたずという訳ですかそうですか。はぁ、近くにティアが転移されていればいいけど…… 森さん、ティアがいたら守ってあげて」



 ハイデルトの言葉に応えるように、森が鳴き、大地が震えた。


 まるでハイデルトと意思疎通をしているかのように。


 呆気にとられるオレをよそ目に、ハイデルトは森と会話を続けた。



「あ…… 意外に近くにいるっぽいな。行って見るか」



 再び暴れようとしたオレを、鋼鉄のように固い木の根が容赦無く締め上げる。


 蓑虫のようにぐるぐる巻きにされたオレは、新たに現れた樹人ツリーフォークによって担がれ、森の中へと運ばれていった。




 ◇◇◇




 木の根でぐるぐる巻きにされながらも、狂ったようにもがき続ける白狼族のギヌ。


 先ほどから、どういうわけか悩ましい声をあげ続けている全裸のメイリン。


 その二人を、樹人ツリーフォークに担がせ、一同は道なき道を突き進む。


 目的地はティアのいる場所。


 具体的にどこかは分からないが、それほど離れていない、と思う。


 シロはというと、樹人ツリーフォークに揺られるのが怖いのか、俺の横にしっかりとしがみ付いている。


 今のところ変な感情も湧きあがらないため、何とかなっているが、注意は必要だ。



 すると、樹人ツリーフォークの枝に腰掛けていたミーニャが、メイリンの突き出た尻を枝でペシペシと叩き始めた。



「黙るニャ! さっきからえっちぃ声ばっかりあげて! ジョーカー様を誘惑しようとしても無駄ニャ!」


「ヒィん!?」


「何がヒィんだニャ! お前は馬かニャ! この! この! もっと鳴くニャ!!」



 ――ペシペシペシペシ



「ヒィん!? ヒ、ヒィグゥ!?」



(くっ…… マジでやめてくれ…… 俺にも限界があるんだ…… ミーニャはなにしてんだよ……)



 ハルトの心の訴えとは対照的に、ミーニャの鞭打ち――ならぬ、枝打ちは、徐々にエスカレートしていった。



「ほらもっと鳴くニャ! ぶひぶひ鳴くニャ! このエロケツ! ケツ! おケツ! この! この! このぉおお!!」


「んヒィっ…… んフ…… んん…… んんンぅう!!」



(く、くそぉ…… 駄目だ…… まずい…… このままじゃまずい…… こんなとこで死ぬわけには……)



 さすがにムラムラが極まってきて我慢できなくなったハルトは、樹人ツリーフォークに命じて、猿轡のようにメイリンの口に巻き付かせていた蔓を引き剥がさせた。



「や、やめろ…… ゆ、許してくれ…… わ、私は縛られるのも…… 叩かれるのも…… よ、弱いんだ……」


「この淫乱女めぇーー! 成敗ニャャァアア!!」


「イイイイぃいいいいい」


「いい加減にしろぉおおおおおお!!」



 恍惚とした表情で、だらしなく涎を垂らしているメイリンと、肩で息をしながら、新たな嗜虐心に目覚めたのか目をぎらつかせているミーニャ。


 埒があかないので、樹人ツリーフォークに、二人を蔓でぐるぐる巻きにしてもらう。


 もちろん、今回は俺の怒り分、強めに巻いてもらった。


 メイリンは白目を剥いてビクビクと仰け反っていたが無視だ。


 ミーニャの「ニャんでミーニャまでぇええ!?」という叫びも無視だ。



「これで少し静かになった……」



 そんなイベントがありつつも、一同は、ハルトの呼びかけによって現れた樹人ツリーフォークに乗りながら、着実に森の中を進んでいく。


 だが、ハルトは気が付かなかった。



 樹人ツリーフォークの時間の感覚と、人族の時間の感覚では、大きな隔たりがあるということに――


 彼らがティアと出会ったのは、出発から更に三日後のことである。



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