3 - 3 「ほろ苦い泡の記憶」

 重たい瞼を開けると、そこは光源の少ない暗闇だった。


 いや、認めたくないだけで、ここがどこかはなぜか理解していた。


 今、俺は、浴場の側溝の中にいる。


 身動きはできない。


 かなり窮屈だが、何故か安らぎを感じるような安心感はあった。


 包まれているような、守られているような、そんな感覚だ。


 側溝にハマっているだけだが……


 頭上には、水を流すための複数の穴があり、そこから光が差し込んでいる。


 光源はそこだけで、側溝の中は暗闇だ。


 外から中は見えにくくなっていることだろう。


 先ほどから、しきりにちゃぷちゃぷという水の音と、若い女性が話す声が聞こえる。


 この声が、自身の期待を高める要因になっていることに気付いた。



(お、女、風呂、か…… そ、そうか…… ゴクリ)



 その時、目線の先を影が横切った。


 否、全裸の女性が穴の上を跨いだのだと瞬時に気が付いた。



(こ、これが噂の側溝男という奴か…… 異世界にも実在したなんて…… でもここ何? 風呂じゃなくて銭湯? 公衆浴場の側溝? 本当にそこに入ったの? えっどういうこと? ちょっと待って…… 冷静に考えたらどういう状況なのか理解できなくなってきた…… 何? 覗きの為にここに入ったの? それ途中で出れないじゃん? 朝から晩までここにずっとハマってるつもりなの? え? 馬鹿なの? 本物の馬鹿なの? って、それが自分の過去とか、笑えんわボケがぁああ!)



 と考えつつも、目線は穴の先に釘付けだ。


 穴の上を誰かが通過する度に、視線が穴の先へと吸い込まれる。


 まさに不可抗力。


 これは記憶、そう、ただの記憶だ。


 どうすることもできない。


 過去は変えられない。



(そうだ。今はマニア向けのAVだと思って素直に楽しもう)



 そう受け入れると、先ほどよりも視界がクリアになった気がした。


 すると、また足音が近づいてきた。



(来た来た来た!)



 普通に興奮してしまう。


 すると、お腹の弛んだおばさんがゆっくりと上を跨いだ。



「げろろろおーーん」


「何かしら? 蛙? いやだわぁ」



 そう言ったおばさんが、そそくさと戻ってきて、湯気が激しく立ち昇る熱湯を穴から垂れ流してきた。



(う、うぉおお!? な、何してくれとんじゃこのババァ!?)



 だが、熱湯は視界のすぐ上を、まるで何かの膜を伝うように脇へと流れ落ちていった。



(おおおお! お湯対策完璧か! やるじゃないか! もう一人のオレ! 見直した!!)



 俺が褒めると喜びが身体に溢れた気がした。



(いいよいいよ。下からのアングルに燃えるっていうのは理解できるから。側溝に入ってまで覗くっていうのは理解できないがな!)



 少し落ち込む身体。


 あくまでもそんな気がした程度だが。


 すると、再び足音が近づき、丁度真上で立ち止まった。



「シアン、何恥ずかしがっているの? 早く来なさい」



 青い長髪が美しいマダムだった。


 すらりと伸びた長い美脚に、ふくよかな桃、そして少しだけ垂れ下がりつつも、まだまだその張りの良さを強調する二つのメロン。


 そしてメロンに付いた、吸い付きたくなるような色っぽい先っぽ。


 もちろん、穴を跨ぐ形で立ち止まったため、見えるところまで見えている。



(ぐふ…… こ、このアングルは…… き、強烈だぜ…… ご、ごちそうさまでした……)



 目の前の光景を目に焼き付けようとガン見するが、幸せな時間ほど短く過ぎ去るもので、マダムは何事もなかったように歩みを再開すると、そのまま去って行った。



(も、もう少し見ていたかった……)



 だが、新たな足音が、残念に思う気持ちをまた奮い立たせた。


 ぴちゃぴちゃと音を立てて近づいてくるその人物は、先ほどのマダムと同じ綺麗な青髪をしていた。



(む、娘か…… ってか倫理的に大丈夫なの? ダメじゃない? 大丈夫?)



 動揺するが今更何もできない。


 そう、俺はただ側溝にハマっているだけなのだ。


 不可抗力だ。


 なぜこんなところの側溝にハマっているのかまでは知らない。


 知りたくもない。


 無意味な言い訳を続けていると、シアンと呼ばれた女の子が手前で滑って転倒したようだった。


 べたんと音がして、頭上を何かが覆いかぶさる。


 そして突如訪れる暗闇。



「痛ぁ!」


「こらシアン! 走っちゃダメって言ったでしょう!」


「う、うう……」


「ほら、早く立ちなさい。一人で立てるでしょ?」



 一向に朝が来ない。


 朝が来ないと何も見えない。


 楽しめない。



(おい、俺。こういうときの対策は何もないの?)



 すると、何をどう思ったのか、突然舌を穴に差し込み――



「ぺろぺろぺろぺろぺろ」



(ぶぅーーーーーーーーーーっ……)



 その奇行にさすがに吹き出すハルト。



「うぅ……ぇ? な、なに?」



 途端に朝が来る。


 少しずつ鎖骨、首、顎と穴から見える身体の位置が変わり、青い澄んだ瞳が見えた。



「……えっ?」



 長い睫毛の生えた綺麗なお目目が、ぱちくりと何度も閉じたり開いたりを繰り返している。


 その度に、少しずつ瞳孔が大きく変化する。


 きっと目の前のありえない光景を理解し始めたのだろう。


 当たり前だ。


 風呂場の側溝の穴を覗いたら、その中に人間が入っていて、その人間と目が合ったなんて、誰だって一生もののトラウマだ。


 悲しいかな。


 犯人は俺の身体だが……


 更には側溝に入った変質者に、身体をペロペロされるとか…… いや、ペロペロのことはもう忘れた。


 思い出させないで欲しい。


 死にたい気持ちになるんだ。


 ああ、神様。


 生まれてきてごめんなさい。


 ハルトが神への懺悔モードに入りかけていると、突然目の前を泡が覆った。



「な、なんだ、泡かぁ。目だと思ってびっくりしちゃった……」



 女の子のホッとした表情が見える。



(まじか。相手からはこっち見えないの? ばっちり目が合ってた気がするけど。そんな切り抜け方ってあり? もしかしてそれも計算済み? だとしたらすげぇな。やるな相棒! お前は天才か!!)



 もはや相棒呼ばわりだ。


 エロを共有すると、男の友情が高まるというのはあながち間違いではない。


 少女が立ち上がると、泡は何事もなかったかのように消えた。


 まだ発育途上にある少女が立ち去ろうと、その一歩を踏み出したとき、滑ったときに足を痛めたのか、短い悲鳴をあげて今度は尻餅をついた。


 再び訪れる夜の世界。


 ようこそ、秘密の花園へ。



(ってやるなよ?いいか?絶対やるなよ?これだけは許さないからな?いいか?絶対に……)



「ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろかぷっ」


「ぎゃぁあ!?」



(馬鹿野郎ぉおおおおおお! フリじゃねぇええええええ!!)



 飛び上がる少女。


 穴から見える歯形のついた小さな桃と、その桃と足の付け根のキワドイ位置に見えた特徴的な星形のホクロ。



(褒めた俺が馬鹿だった…… ん? あ、あれ? 穴でかくなってない?)



 いつの間にか、瞳のサイズ程の穴は、顔がまるまる入るくらいの大きさまで広がっていた。



(ば、馬鹿か! お、おま、馬鹿だろ!? それじゃ相手から見え…… あ、こいつ…… 露出癖もあったんだった…… 最悪だ…… おわた……)



 予想通り、意気揚々と穴から飛び出した記憶の俺は、全裸で、そして全立ちだった。


 視界に入る全ての女性達の顔が、驚きと恐怖で染まる。


 そして駆け巡る快楽のエクスストリーム。


 その衝撃と、自身の行動の罪の重さに、ハルトの意識がキャパを超える。


 ぶつんとテレビの電源が切れるように映像が遮断され、ハルトは再び闇の中へ意識を沈ませていった。



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