第二章「牢獄要塞 - フォートプリズン -」

2 - 1 「洗礼」

 幾何学模様の描かれた鉄格子や、頑丈そうな鋼鉄の壁を横目に、長い渡り通路をひたすら歩き続ける。


 下にも上にも鉄格子で区切られた舎房が連なり、そこから多くの囚人達が、中央の通路を歩くハルト達を見下ろしていた。


 ハルト達の背後を看守が続いて歩いているせいか、舎房から声を荒げる者はいない。


 だが、ひそひそと何かを話す声は四方八方から響いてきていた。



(やばいやばい怖い怖い…… なんだよここ…… 値踏みされてる…… 絶対値踏みされてる…… 目を合わしちゃダメだ…… 目を合わせたら因縁付けられる…… いや…… 弱気になったらそれこそ鴨られるんじゃないのか? そうだよな…… 弱気になってもダメだ…… じゃあ舐められない様に堂々とした方がいいのか? どっちだ? どうする? どうすればいい!?)



 再び、分厚い鋼鉄でできた扉を複数抜ける。


 残り最後の一枚を残したところで、扉の先から囚人達の怒号や歓声が響いてきた。


 その叫びを聞き、連れて来られたハルト以外の囚人達が震え上がる。


 中には涙を流して許しを請う者もいた。



(な、なんだ? これから何が起きる? この先に何がある? やばいやばい、何も分からない…… 何で他の人達は怯えてんだよ…… 怖ぇよ…… 何が起きるんだよ…… だ、誰か教えてくれよ……)



 すると、扉の前に立っていた看守達が、囚人達を仕分け始めた。


 それぞれに、エリア1、エリア2と声を掛け、移動させていく。



(エリア1? エリア2? 舎房の区画か何か? エリア1って言われた人がホッとした顔をしてるということは…… 数字が少ない程いいってこと? お、俺はどうなる?)



 ハルト以外の囚人が全て仕分けられ、最後にハルトが残った。


 そしてハルトの目の前まで来た看守が、ニヤリと微笑む。


 釣られてハルトもニヤケてしまう。


 これも日本人の性だろうか。


 例え状況が刑務所であったとしても、相手が看守だったとしても、生まれつき染み付いた愛想笑いの癖は、転生した今でも健在だった。



「喜べ。貴様はエリア3だ。最低のクソ野郎共が入るエリア3だぞ? どうだ、嬉しいだろう? 精々、自分の尻の穴でも守るんだな! ガァッハッハ!」


「はは、ははは……」



 事の重大さが今一ピンときていないハルトは、落ち込む事なく、愛想笑いを継続。


 だが、頭の中は混乱を極めていた。


 そんなハルトの心情を当然知らない看守は、見た目に反して大物染みた反応を見せたハルトに舌を巻いた。



「ほぅ。余裕そうだな。その意気がいつまで続くか楽しみにさせてもらうぞ。そうだな、貴様が死なずにコロシアムに出れたら、このエリア3の看守長である俺、カーン様が自ら貴様に賭けてやろう! 喜べ! ガァッハッハ!」


「ははは、はは…… は?」



(コ、コロシアムって何!? も、もしかしなくても、古代ローマの円形闘技場みたいな奴? そこで囚人同士の殺し合いとか……? だよな…… どう考えても…… いや…… いっそのこと戦って楽に死ねるならそれでもいいのかな…… って、なんだそれ…… 漫画の世界かよ…… ははは……)



 その場に居た囚人達は、エリア3の看守長に怖気付くことなく、共に笑い合っているハルトに対し、畏敬の念を抱きながらその様子を見守っていた。


 そしてその光景は、そこに居合わせた他の看守も同様の感想を抱く程に、傍から見たハルトは異様だったと言える。


 カーンがエリア3へと続く巨大な扉を両手で押すと、数十cmはありそうな分厚い鋼鉄の扉が、ギギギと金属音を鳴らしながら少しずつ開いた。


 扉の開きに合わせて大きくなる怒号と歓声。


 それは音というより、振動に近い。


 鉄の地面や壁が小刻みに震え、パラパラと埃が舞い落ちる。


 その振動は、その場にいた囚人全員を怖気付かせるのに十分な迫力だった。



 扉が完全に開き終わると、カーンは罵声や怒号だけでなく、散り散りに切られた紙が舞い落ちる舎房へ向けて、徐に手をかざした。


 すると一瞬で静まり返る囚人達。


 この様子からも、エリア3の看守長であるカーンが、このエリア3でどれだけの存在かが窺い知れよう。


 そのカーンがハルトを手招きする。



「来い新入り。特別に俺様が貴様を紹介してやる」



 大扉を越えると、先ほどの舎房とは比べものにならない程巨大な空間が目の前に広がった。


 扉のない雑居房に囲まれた正方形の空間。


 周囲を囲う舎房の前には通路と梯子が至る所についてあるが、大扉の先に通路はなく、半円状に踊り場があるだけだ。


 そこから下に降りる梯子すらついていない。


 更に言えば、その踊り場も、大扉が開くスペースしか確保されていなかった。



「貴様等に新入りを紹介してやる! 強姦未遂で捕まった屑野郎、ハルトだ! よりによって襲った相手がザウ家の三女様だったお陰で、目出度くエリア3行きとなった真性の間抜けだ! たっぷり可愛がってやれ! ガァッハッハ!」



 カーンの紹介に、一気に血の気が引き、目眩すら感じた。


 だが、そんなハルトとは間逆に、囚人達は大いに湧いた。


 鴨が来たと喜ぶ声、強姦という罪を死で償えと叫ぶ声、多くの声が混ざり合う。


 ある者は手摺を叩き、ある者は足で床を踏み鳴らし、その喧騒は次第に息が合わさり、ウォッ!ウォッ!という掛け声とともにハルトを囃し立てる。



「ほら、行け。囚人」


「……えっ?」



 踊り場から先に道はない。


 梯子もない。


 下には舎房が2段。


 つまりここは3階の高さに相当する。



「飛べ」



 カーンが光のない目で命令する。


 ハルトはその目を見て、自分には選択肢がないことを悟った。



(飛び降りろってことか…… 骨折で、済むかな…… はは…… ダメ元で着地時に五接地転回法ごせっちてんかいほうでも試してみようかな…… 身体を捻りながら落下の衝撃を五ヶ所で分散させるんだっけ…… )



 いつしか、囚人達の掛け声が「飛べ!飛べ!」と変わっていたが、ハルトにはもう聞こえていなかった。



(こ、怖ぇ…… た、高い…… 下、鉄の床だろ? くそ…… 怖ぇよ…… だけど…… ここでビビったら一生鴨にされる…… 大怪我してもいい…… ここは怯んだら負けだ…… 牢獄で一生鴨にされるのは嫌だ…… くそ…… 行ってやる…… 乗り越えてやる…… やる…… やるぞ……)



 ハルトが自ら進んで歩き出す。


 その行動にカーンが再び関心する。


 大抵の者は、ここで躊躇し、跳ぶことが出来ないからだ。


 武の才があるものであれば、怪我をするような高さではないが、それ以外の者、例えば魔導士にとっては恐怖だろう。


 この牢獄要塞フォートプリズンは、魔封じの印が至る所に刻まれているため、魔法を使うことができない。


 つまりは、武の才がある者は以外は、皆貧弱な人間と大差なくなる。


 ハルトはどう見ても魔導士タイプの見た目だ。


 カーンが非力な者を見る目で見ていたとしても不思議ではないだろう。


 純粋な力がモノをいう場所。


 ここはそういう場所でもあった。



 ハルトが踊り場の先、手摺がない部分、通称「度胸試しの飛び降り場」まで辿り着くと、囚人達の飛べコールがより激しく、より早くなった。



(行くぞ…… 行くぞ…… 行くぞ行くぞ行くぞぉおおお!!)



 勇気を振り絞って一歩を踏み出す――



 浮遊感を感じ――



 そのまま落下していく。



 そして、囚人達の盛り上がりは最高潮に達した。



 周囲の盛り上がりに反比例するかのように、ハルトの思考はクリアになっていく。


 神経が研ぎ澄まされ、落下速度が見る見るうちに遅くなったように感じる。


 いつぞやに感じたスローモーションだ。



(こ、これなら、普通に着地できる? い、いや、スローモーションに見えるだけだ。ちゃ、ちゃんと受け身を取ろう! ……違う違う! 五接地…… あっ、やば、地面、時間な……)



 ドゴッ



 途中までは、見る者がハッとするような、熟達者の動きを見せていた。


 そう、途中までは。


 華麗に受け身を取るかと思われたハルトは、そのまま上手く行かず、ベチャァッとでも表現するのが正しいような無抜けな倒れ方をした。


 その凄いのか凄くないのかよく分からない結果に、囚人達が静まり返る。



 ――だが、それも一瞬だった。



 突如、ドッと沸く囚人達。


 腹を抱えて笑う者や、笑い転がる者。


 手摺や地面を叩きながら、涙を流して笑う者もいる。


 そこにいる全ての囚人が、ハルトの無様な着地を嘲笑っているようだった。



「う、うゔ…… ぐ……」



 強い衝撃により横隔膜が麻痺したのか、呼吸ができずにもがくハルト。


 その様子を見て更に盛り上がる囚人達。



「ガァッハッハ! 良い飛び降りだったぞ! 度胸だけは評価してやる。ガァッハッハ!」



 大声で笑いながら出て行くカーン。


 大扉が完全に閉まった時、我先にと囚人達がハルトへ群がった。


 ハルトが痛みと呼吸できない苦しみから復帰する頃には、ハルトを囲うように囚人達の輪ができていた。



(お、折れてない? 折れてないよな? どこも折れてない…… よ、良かった…… 不恰好だったけど、なんとか受け身取れてたみたいだ…… って…… えっ? な、なんで囲まれてんの……? なんで……?)



 顔を上げたハルトに、再び罵声や怒号、嘲笑や挑発の声が浴びせられた。



(う、うぉおお!? こ、怖ぇ!? な、なに!? 何が始まる!? 何される!? どうなる!? 俺どうなる!? どうなるの俺!?)



 すると一人の囚人がハルトの前へと踊り出し――



 後ろ姿のまま近くと、徐にズボンを下ろし――



 膝をついた状態で周囲を警戒していたハルトの顔の前へ、その汚い尻を差し向けた。



「ギャッハッハ! オレちゃんのケツの穴舐めたらボコらずに許してやんよぉ!? ほら、大好きだろ!? ほら、ほらぁ!!」



 尻がハルトの目の前で左右に振られ、近づいてくる。



(ま、マジかマジかマジかマジか…… い、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…… 無理無理無理無理……)



 躊躇するハルトに、尻を出した囚人が怒号を飛ばす。



「ほらぁっ! 早よ舐めろやぁ!?」



 そしてそれをきっかけに周りの囚人達も足を踏み鳴らし、「舐めろ」「舐めろ」と声を合わせて囃し立てる。



(マジかよ…… 男の尻の穴なんて舐めたくない…… でも舐めなきゃきっと半殺しに合う…… どうすれば……)



 ハルトは選択を余儀なくされる。


 この囚人達の底辺として、媚びへつらい、男達の慰み者になることを許容して生きて行くか――


 反抗して半殺しに合い、以降もその暴力と戦っていくのか――


 精神的な苦痛の地獄を味合うか――


 物理的な苦痛の地獄を味合うか――


 究極の二択。



(俺は…… 俺は……)



 視線を周囲に向けると、そこには筋骨隆々な荒くれ者だけでなく、病的な見た目の者や、女までいた。


 そして、ふと、舎房の一角で肌を寄せ合って震えている者達が目に付いた。


 中性的な顔立ちが目立つその集団は、震えながらも何かに怯えている。


 その中の一人が、他の囚人に尻を叩かれながら背後を取られ、奥に連れ込まれて行くのが見えた。



(ここでこれを許容したら…… 俺もあそこの仲間入り…… か……)



 目の前に視線を戻す。


 そこには汚い尻が見える。



(やっぱり…… 無理だ…… できない…… 嫌だ…… 慰み者になるくらいなら…… 死を選ぼう…… 精神的な苦痛より…… 物理的な苦痛の方がいい。拒否するなら、徹底的にやろう。そうだ。そうしよう。あいつらが関わりたくないと思う程に、徹底的に噛みつこう。抗おう。死は怖くない。死よりも心が壊れる方がよっぽど怖い。やってやる。やってやるぞ……)



 視線を下に下げる。


 そこには前世とは違う身体が見えた。


 ハルトの意思に反して、勝手に動くこともあった他人の身体、別の意志を持つ他人の身体だ。



(お前は…… こんな汚い男の尻を舐めるなんて嫌だろ……? 舐めるなら、せめて可愛い女の子の方がいいよな? そうだろ? 暴れて、こいつらの驚く顔を拝もうじゃないか。きっと気持ちいいぞ?)



 そう身体へ訴えながら、ハルトは胸に手を当て、目を瞑った。



(……だから、力を貸せ。俺が、お前の望みを叶えられるように……)



 すると、突如ハルトの周囲につむじ風が巻き起こった。


 魔法の封じられた、この空間で、だ。


 それは見る者が見れば驚愕の光景だった。


 だが、目の前の挑発に入れ込んでいる囚人達はその変化に気付かない。



(……ありがとう。これで少しは戦える)



 身体の重さを全く感じない。


 今であれば、三階にある踊り場までジャンプで届きそうな気さえする。


 握った拳に力が入る。


 今であれば、何でも殴り壊せるかもしれない。



 目を開けたハルトが、目の前の囚人を、その汚い尻を睨みつける。


 そして周囲の囚人達を睥睨する。


 威圧された囚人達が怯むのが分かった。



 決意は固まった。


 力も、自信も得た。


 後は、行動を起こすのみ。



 再び目の前の囚人を見据え――


 立ち上がり様に、全力で、渾身の蹴りを放つ。



 その蹴りには、目に見える程の風の放流が、渦巻き状に発生していた。


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