続 がんばれ!はるかわくん! -13-

 そのとき。


 乱暴にドアが開いて

「ここでいいのかしらあ!?お邪魔しまあす!」

…どかどかという足音が玄関のほうから響いてきた。


「ごめんねタクシーが最後の最後で迷っちゃってえ!

 おまけにすぐそこの高速の出口がすん~ごい渋滞でもう、とにかくすごかったのよ!そう!そうだった聞いて!何があったと思……、

……何があったのアンタたち。」


 ようやく到着した安堂は、床に転がる春川とそれを挟んだぼくたちを怪訝そうに見た。


「ぁ、安堂!」

「な、なによ冷水。」


(タイミング悪し…)


 冷水はめちゃくちゃ驚いたらしく、体ごと春川からすでに1mくらい離れていた。


「…どしちゃったの冷水ちゃん、顔が真っ赤よお?」

「もう。安堂のばか。」

「なによう、アンタまで!こっちはデートをぶっちぎって来てやったんですけど!」

 安堂は口を尖らせた。

(それはそうだろう。)

…と、今度はにやにやしてぼくらを見た。


「…こんな狭い部屋で春川ちゃんと3P?……見たかったわあ。そういうことなら、もっと早く呼んでよねえ。」

「…そういう目で見るな、安堂。」

 冷水のトーンが本気で怖い。


「ハルは失神しちゃってるんだ。」

「失神て、アンタたち春川ちゃんに何やってんのよ。」


 安堂はいまだにぼくらが春川に何かしたのだと思っている。

 叱られるのかと思いきや、「ちょっとヤダ想像したらコーフンしちゃう!」などとうれしそうに口走ったので、軽くキレた冷水がすばやく立ち上がってポワンとしていた安堂に制裁(平手げんこつ)をくらわせた。


「ぼくたちじゃないって。ハルが失神したのは、さっき、佐東にやられたんだよ。

 スタンガンで何回か電気ショックも受けてるみたいだし、そのあと頸部を強く圧迫されて、意識が無くなったようなんだ。とりあえず精密検査は必要だと思うんだけど。」


 口を尖らせて頭をさすっていた安堂は、佐東の名前を聞くと急に真面目な顔になり、

「…先に言いなさいよそれを。」

と言って、ぼくの右横に座り、春川の顔をのぞきこんだ。


「頭は打ってるの?」

「わからない。そのときぼくらはいなかったから。」


 安堂は春川の頭を触っていたが、後頭部を触って、「あ、こぶが出来てる」と言ったっきり、また少しだまった。


「それって、どうなの?」

「こぶが出来てるのはいい兆候だけど…意識がないのが気になるわね。とりあえずCTかMRIを……」

「……う……」

「春川!」

 少し離れていた冷水が、「飛んで」くる。


 春川はもぞもぞ動き始めた。


「戻るかな、意識。」

「痙攣してます。安堂、どうなんだ。」

「痙攣じゃないわよ。夢、見てるのよ。ほら、まぶたがくるくるしてる。」

「ううう!」

 春川は乱暴に頭を振った。

「ちょーっと、頭動かしちゃ、駄目!」


 安堂が春川を抱えおこし、膝に乗せる。

 春川はうなされているようだ。


「……かわいそうに。」

 安堂がつぶやく。

「いやな夢を見てるのね。」

「…佐東の。」

 ぼくが言うと、安堂がぼくをにらんだ。


「誰かさんが明日、日本から出て行くとか、そういう夢かもよ。」

…なにそれ。

「無いよ。そんな予定。」

「例えば、よ。例えば。」


 とはいえ安堂は、なんだか意味深な感じでぼくを見た。


「なんか言いたげだよね。」

「このコを泣かすなってことよ。」


 ぼくがだまっていると、安堂はコートのポケットからハンカチを取り出して春川の顔を拭いた。

 春川の顔には、涙のあとが幾筋もできていた。


「…こんなに泣いて。これからも泣かされるようなことがあったら、このコ、かわいそう。」


 すると、春川からふうっと力が抜けて、彼はまた、静かな寝息を立て始めた。


「ハルを泣かさないなんて、ここでは約束できないよ。…ぼくはいい人間じゃないしね。だけど、ぼくらにとってハルは、すでに大切な人材だから、」

「じんざい?」


 冷水に「魂」を入れてくれる、希少価値の高い人物だ ――そういう意味だったけど、そんなこと、安堂に言ってもわからないだろう。

 ぼくの言い方がマズくて、安堂はますますぼくをきつい目で見た。


「…言っとくけど、ハルは冷水のだよ。」

「ちがいます。」 「なんでアンタは春川ちゃんのことモノみたいに言うのよ。」

 二人が同時に攻めてくる。


「アタシはね、このコをすごいと思う。春川ちゃんはアンタと違って、きっと冷水を救ってくれるわ。」


…あれ、と思う。

 もしかして安堂は、ぼくと同じようなことを考えているのかもしれない。


「…咲伯。」

 冷水が口を開いたので、まだ何か言おうとしていた安堂は口をつぐんで冷水を見た。


「あなたにとって春川の存在意義はまだ小さい。でも、」


 冷水の目が哀しそうに光ってぼくを見た。


「春川を傷つけるようなことは、しないであげてください。」

「…冷水ちゃん…」


 安堂が驚いている。

 そう。冷水は春川のおかげで、ここ数日、いや、数時間で、ずいぶん変わったのだ。


 でも、ぼくは。


 ぼくはろくな人間ではないから、春川を傷つけない自信はない。

 春川を泣かしてしまうことだってあるだろう。

 それは過失かもしれないし、…故意にすることだって、あるかもしれない。


「…もし春川を泣かせたら、冷水、ぼくをどうする?」


 冷水は、守りたいんだ。春川を。


 だったら春川にとって今や一番危険な人物、つまりぼくに、とてつもないリスクを課しておくべきだ。

 せめて、冗談でもいいから、『殺します』、とか、『沈めます』、とか言ってくれればいい。そうすればぼくも、今、ここで、誓うことができる。


 さっきまでの冷水の様子から、ぼくは、冷水がかなりハイレベルなリスクを用意するだろうことを覚悟した。

 でも、冷水は少し考えて、

「なにもしません。」

と言った。


(…なんだ。)

 冷水の意気地無し。

(ぼくはきみに、ぼくを止めてくれることを期待したんだぞ。)

 冷水は続けた。


「あなたも春川も、私にとっては大切なひとです。私はあなたに、何もできません。」


…あ。

 今のそれ、ちょっとうれしい。

 にやつきそうになったが、冷水の言葉には続きがあった。


「…私に出来るのは、あなたと春川の前から、消えることくらいです…。」


………。 …えっ?

「待って、なんでそーなるの?」


 冷水はまっすぐこっちを見た。

「春川を守れなかった私にとって、その場所に、自分の存在意義はすでにないからです。」


えええーーーーー!


「ぼくには価値あるよ!冷水が必要だもん!」

「春川にもあなたが必要です。私は春川を傷つける存在でしかなくなる。」


 なんで!意味わかんないよ!


「それが一番やだっ!撤回して冷水!」


 やだやだ!

 想像以上のハイリスクに、春川を乗り越えてあわてて冷水にしがみつく。リスクというより、すでにカルマだ!


「な、なんですかっ。あなたが質問してくるから真剣に考えて、」

 真剣に考えて、それ!?

 なにそれ救いようがないじゃん!

「わかった!春川は絶対泣かさないから!」

「ちょっと!どこを触って…「アンタたちうるさいわよ!春川ちゃんがうなされてるわよ!」

 

 冷水が無言でぼくを押しのけたうえ頭をはたく。

(ねー冷水ぅ)…無視。(ガーン)


 冷水はまた春川の左側に座りなおして、安堂の腕のなかの春川を覗き込むので、ぼくは彼の右隣に座る。

 春川は、呼吸こそ落ち着いてはいるものの、確かに苦しそうに顔を歪めていた。

 安堂の腕からころんとこぼれた右手の指先が、ときおり跳ねる。


「また悪い夢が始まった。」

 そう。あのときと同じ。

「…かわいそうに。」 安堂がまたつぶやく。「ヒドいことされたのね。」


 安堂はもうぼくを責めなかった。

 そういえば、珍しい。いつもポジティブに騒がしい安堂が、同情を込めた眼差しで静かに春川を見つめている、この光景。

 ついさっき、きみは春川とぼくらの3Pの場面を想像して、興奮していなかったか。…いいけど。


「…あっ!


 そーだヒドいで思い出した!」

 突然安堂が顔を上げる。


「…、ビックリした。」

「そういえば高速ですごいの見たのよ!」


…ああ、さっき言いかけてたやつ。(いつのまにかいつもの安堂に戻っている。)


「うるさいぞ安堂。」

 冷水に制されて、安堂はそれでも声を抑えて続きを話した。


「すごい渋滞だって言ったじゃない、掲示板には事故車ありって出てたんだけどぉ」

「道路交通情報の載ってるやつね。」


「アタシがタクシーで通るとき、ちょうど現場が見えて、緊急車両がてんこ盛りだったの!テンション上がるでしょ?」

(……いやあ、別に…。)

「でね!ちょ~うどケガ人が救急車に運ばれるとこで、アタシ見たんだけど、それがスッゴいアタシ好みの男前なの!血だらけだったけど。」

(……ん?)


「アタシより背が高くて、上品なコートから伸びた足が、スラッとしてきれいなの!

 顔は日本人離れしたホリの深い感じでね、唇が少し厚くて、ちょっと無精ひげがあるんだけど、でもそこもワイルドっぽくて良かったのよ~。

 だけど、残念ながらもう亡くなってるらしくって、そしたら、タクシーの運転手さんが、無線で仲間から情報があったって教えてくれてえ、」


(まさか)


「なんと、飛び降りだったんですって!高速の上の陸橋から!無理やり入り込んだらしいわよ!」


 安堂は、もったいな~い!、とか、写メ撮っとけば良かった~!、などと、不謹慎きわまりなことを小声で言ってはしゃいでいたが、ぼくは思わず冷水を見た。


(佐東だ。)


 冷水は顔色ひとつ変えずに、いまだに春川の顔を覗き込んでいる。

 ふとぼくと目が合い、ぼくが(…だよね。) という顔をすると、興味なさげに「でしょうね。」 とだけ言った。


 追い詰めた張本人じゃないのか、きみは!


(死ぬならひとりで首でもくくればいい)


 言ったとおりになって、ぼくの冷水がぼくは今ほんとに怖いんですけど!


「安堂、お前、騒ぐだけならもう出て行け。」

 冷水が安堂に対して少し声を荒げたときだった。


「…んう…ッ」


 春川はさらに奥歯を噛み締めて、すこし体をのけぞらせた。

 手を、音が聞こえそうなくらい強く握りしめている。


「春川…」


 冷水が思わず不安げな声を漏らす。

 安堂も騒ぐのを止めて、春川を見下ろす。


「え」


 冷水が急に手を伸ばしてぼくの右手を握って引っ張ったので、驚いたぼくはつい間抜けな声を出してしまった。冷水からぼくに触れてくるなんて。


 と、冷水はそのままぼくの手を春川のひたいの上に乗せた。

 その上からまた自分の手を開いて乗せてくる。


 手のひらに春川のぬくもり。上から、冷水のぬくもり。

 でもぼくは、冷水の真意を量りかねている。


「何か言ってやりなさいよ。」

 安堂が駄目を押す。


 まさか。ぼくにはそんな資格ない。

 ここで春川を癒やすとしたら、それはぼくなんかじゃない。


 ぼくは何も言わず冷水の手の上に自分の左手を置き、その下の、春川のひたいに乗せている右手をゆっくり引き抜いた。


 今度は冷水の手が春川に触れる。

 冷水の手は少し動揺した。


 ぼくはさらに右手を自分の左手の上に置いて押さえ、その左手で冷水の手を軽く握った。


「きみが守るんだろ。」


 冷水がぼくを見る。


 ほら。

 いつもの人形みたいな顔とはうってかわった、人間らしい表情。

 その目には動揺が浮かび、そして少し、不満げだ。


 軽く笑いかけて、ぼくは春川を見る。


「さっきまで落ち着いてたのにね。」

「えっ。ええそうね。」



 春川。

 そんな夢ばかり見てないで、早く戻って来なよ。

 ここには、きみを大切にしたくてたまらないひとばかりだよ。




「…ハァっ」


 春川はひときわ大きな息を吐いて、それから、急に静かになった。

 ひきつっていた体から、緊張が抜けていく。

 薄いまぶたの向こうで、春川の目がクルクルと動いているのがわかる。


「あ、目を覚ますかな。」


 冷水が慌てて手をどけようとしたので、さらに力を込めて押さえつける。

 すると安堂も、抱えていた春川の体を冷水に向かって押し付けだした。


「ちょ…」

「落ちるわよ、ちゃんと膝落として。」

「よせ…、あ、」


 ぼくも加担して、春川の足を持ち上げて冷水の体に寄り添わせた。

 冷水はかなり無理な体勢になって、ビクビクしながら春川を支える。


 冷水がこれ以上ないくらい赤くなっていて、…どうしようもなくかわいい。

 すかさず写メの音。(でかした安堂。) あとで送ってもらおう。


「…安堂、貴様…」

「もっと力抜きなさいよ。春川ちゃんの頭を動かしちゃダメだからね。」


 冷水は完全に戸惑って、必死に腕をそっと背中にまわしたり、はずしたりしながら、春川の様子をうかがい始めた。

(ヤバい。笑っちゃいそう。)

 口を押さえて安堂を見ると、安堂がチラッと目でスマホを指す。

(…よくやった!)

 ムービーでっている!

 これ以上冷水を見ないように、にやつく顔を抑えこみながら、春川を見る。


 春川は口を少し開いて、軽く微笑んだように見えた。


 目じりからひと筋、涙がつたう。


「大丈夫なのか安堂。」

「(ブッ ←笑 ) 大丈夫てナニガ」

「どこか痛いんじゃないのか春川は。

…おい何を笑ってるんだ。…なんだ!私を見るな!…貴様それ、まさか動画じゃないだろうな!」

「冷水落ち着いて!春川が起きちゃうっ…くう」


 ああ。もうだめだ。安堂と声を抑えながら床をのた打ちまわる。


 楽しくて仕方ない。


 冷水が人間になった。

 ありがとう、春川。




……さよなら、佐東さん。

 春川は、あんたの何倍も幸せにするよ。




(春川 DATE 2月14日 午前10時57分 へつづく)

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