第12話

 太陽が西の山に沈み、残り香のような赤が藍と競り合うように横に伸びる。右手に赤く染まった空を眺めながら、二人はのんびりと足を進めた。

『デートらしいことをしてなかったので……』

 そう長谷川は言っていたが、手も繋がない帰り道はデートと言うにはほど遠い感じがした。

 それでも、気の使わない雑談は心地いい気がしたし、互いの手が触れあうか触れ合わないかの距離感はちょうどよかった。

「あ、コンビニ寄ってもいいですか? 晩ご飯にお弁当でも買わないと……」

 十数メートル先の光を指さしながら陽菜がそう言うと、長谷川が腕を組んだまま首をかしげる。

「君は自炊はしないのですか? 前にごちそうになった時は料理が苦手そうには見えませんでしたけど……」

 鍋を作ったときのことを言ってるのだろう。野菜を切って入れるだけのものを、完璧主義者の彼が料理と認めているのかは甚だ疑問だが、手際をみてそう判断したらしい。

「まぁ、大学生から一人暮らしをしてるんで出来ないことは無いんですけど、どうにも一人前の料理を作るのは面倒で……、あと、コンビニのお弁当って案外おいしいんですよ?」

「そうなんですか? 俺はあまりそう言うのは食べたことが無くて……」

「んじゃ、今日の晩ご飯、長谷川さんもコンビニ弁当にすればいいですよー」

 そう何気なく言った瞬間に、長谷川の顔が曇った。陽菜はその表情に慌ててフォローを入れる。

「あ、やっぱりそういうの嫌いですよねー? ごめんなさい、変なこと言っちゃいましたね」

「別に、添加物やカロリーが気になると思ったわけじゃ無いですよ? いや、気にならないと言ったら嘘になるんですが……」

 眉間に皺を寄せたまま小さく唸る長谷川を陽菜は不思議そうな顔で見上げる。

「じゃぁ、なんでそんな顔……」

「コンビニ弁当といっても結構種類があるじゃないですか? 正直、どんなものを選べばいいのかわからないんです」

「食べたいものを選べばいいじゃ無いですか? あれなら、私が選びましょうか?」

 何気なく言った一言に、長谷川は目を瞬かせて「お願いします」と嬉しそうに言った。


◆◇◆


「私は親子丼とかにしようかな? 長谷川さんって嫌いなものあります?」

「いいえ。特に嫌いなものは無いです」

「それなら好きなものは?」

「好きなもの……」

 コンビニの弁当売り場で、長身の男が顎に手をやったまま難しい顔で考え込んでいる。その様子がとてもシュールで、陽菜は長谷川の隣で少しだけ笑ってしまう。

 候補をいくつか挙げて、その中から長谷川が選ぶという形にした陽菜は、一人離れて雑誌の方に向かう。ぱらぱらと女性誌を捲っていると、不意に背後に気配を感じた。陽菜は雑誌を持ったまま後ろを振り返る。

「あ、長谷川さん決まりました?」

「陽菜?」

「へ? ……ヒデくん……?」

 そこに立っていたのは長谷川では無く、半年前に別れた陽菜の元彼だった。金髪だった髪の毛は黒く染まっており、服装だってパンク系では無く黒いスーツになっている。

 当時からは考えられ無い出で立ちと、突然の再会に陽菜は言葉を失った。そんな彼女をよそにヒデは陽菜に詰め寄る。

「ひっさしぶりだなぁ! 元気にしてたか? まだあのマンション住んでんの?」

「え? うん……」

「なんだよー、元気ないなぁ」

 肩を小突かれて陽菜はふらりと揺らぐ。ヒデは陽菜の肩を持ちながら自分の方を向かせると、にっこりと微笑んだ。

「あ、聞いてくれよ! 俺あれから就職活動してさ、今日は営業の帰りなんだ! 夢ばっかり追うのもおかしいって、陽菜と別れてからやっと気づいたんだよ」

「……そうなんだ」

「夢ばっかり追ってた頃は何かとイライラしててお前にも当たってたろ? 結局、そのせいで思っても無いこと言って、お前とも別れちまったし……。今はそう言うのあんまり無くてさ、もちろん働くのはしんどいけど気分が楽なんだよなー」

 本当に明るくそう言う彼に陽菜はなんとなく胸の内が冷えていく感じがした。

 誰よりも一生懸命で、夢に向かって挑戦する彼が好きだった。毎日、メジャーデビューしたら、なんて夢を聞かされては、あーでもないこーでもないと将来のことを思い描ける関係が好きだった。彼に苦しんで欲しい訳じゃ無い。しかし、自分が好きだったのは夢を追いかける彼だったのだと、陽菜はその時気がついた。

 あんなにしこりのように胸につっかえていた彼の存在が無くなっていく。それが少しだけさみしかった。

「そっか、楽になってよかったね。お仕事頑張って! 私は私で頑張るからさ!」

 努めて明るくそう言うと、目の前のヒデの顔が少しだけ真剣みを増した。

「そのことなんだけどさ、いや、その事って言うのもおかしな話なんだけど……」

 肩を握るヒデの握力が増す。その痛みに陽菜は少しだけ顔を歪めた。

「俺さ、陽菜と別れてはじめて陽菜の大切さに気づいたって言うか……」

「え?」

「こんなところで言う話じゃ無いんだろうけど、……もう一度付き合わないか? 俺たち……」

「付き合う……?」

 言ってる言葉の意味がうまく理解できなくて、陽菜はオウムのように彼の言葉を繰り返す。ヒデはそんな彼女の態度をどうとったのか肩を握る握力を更に強めた。

「いった……」

「お前だって俺と別れたかったわけじゃ無いだろ? 今の俺ならお前に頼らなくても生活できるし、一緒に住めば家賃だって半分だぜ?」

 な? と同意を求められて陽菜は狼狽えた。少し前だったら嬉しかった言葉が、今はちっとも心に響いてこない。

 彼のことが嫌いになったわけじゃ無い。むしろ、忘れたくても忘れられなかった存在だった。けれど、今の彼に当時の輝きは見て取れない。

「私は……」

 断ろうと口を開いたとき、いきなり腕を捕まれた。ヒデの手から無理矢理引き離されたかと思うと、聞き慣れたため息が頭に落ちてくる。

「陽菜。帰りますよ」

「は?」

 いきなり敬称も無い名前だけで呼ばれたことに、陽菜はひっくり返った声を出す。見上げた先にあるのは案の定長谷川の顔だ。少し怒っているようなその顔に、背筋が凍りそうになる。

「お前は?」

 ヒデが低い声を出す。それに負けないぐらい低い声が頭上を掠めた。

「察しが悪いですね。俺と彼女は一緒の場所に帰るような間柄ですよ?」

「お前、……たった半年で俺のこと忘れて、こんなやつと付き合ってるのか!?」

 ヒデの叫ぶような声にコンビニにいる客の視線が一斉に集まる。血走ったような恐ろしい目つきで睨まれて、陽菜は思わず長谷川の背に隠れた。それが更に彼の炎に油を注ぐ。

「なんだよ! 俺が別れるって言ったときは、あんなに別れたくないって言ったくせにっ! 所詮、お前は誰にでも股を開く軽いおん……っ」

「行きましょう。耳が腐る」

 陽菜の腕を掴んだまま、大股で長谷川がコンビニを後にする。長谷川に引きずられるように道を行く陽菜は、あまりの出来事にショックを隠しきれないでいた。

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