第3話 恋しちゃった

 高校生になった春。私のいるこのクラスには、同じ中学から来た知り合いが一人もいなかった。かといって、進んで他の女子と仲良くなるのはなんとなく面倒臭くて、昼休みも一人机の上にお弁当箱を広げていた。

 ウインナーを摘んでは、窓の外を眺めたり。ご飯を一口食べては、何も書かれていない黒板をぼうっと眺める。

「なぁ。そのハンバーグ食いたい」

 その声は、すぐ真横から聞こえてきた。

「はい?」

 隣の席に座る清水芳成が、物欲しそうな顔で机の上にある私のお弁当をガン見している。 清水は購買で買ったらしいパンを咥えながら、いつまでも私のお弁当の中に入っているハンバーグをジーっと見続けていた。

 ぬぼうっとした雰囲気と、以前から友達だったみたいな話かけ方に、私はつい、いいよ。なんて言っちゃった。

 お弁当箱を清水の方へ差し出すと、咥えていたパンを机に置き、嬉しそうにハンバーグを指で摘んで口に入れる。頬張る顔は、たかがハンバーグをまるで松坂牛でも食べているくらいの表情で満足気だ。

 清水は、ハンバーグを食べ終わると今度はタマゴ焼きをジーっと見た。言葉ではなく、目で訴えかけてくる感じがおかしくて少し頬が緩む。

 どんだけ食いしん坊なんだ、この人。

「タマゴ焼きも、食べる?」

 少しずつ込み上げる可笑しさを堪えなながら窺うようにして訊ねると、清水は待ってましたとばかりにニンマリと頷いた。

 変な奴。 でも、ちょっと面白い。

 これを切欠に、私と清水はよく話をするようになり、仲良くなっていった。一ヶ月も経たないうちに、清水という呼び名は、芳成に変わり。私は、由香里と呼ばれるようになっていた。

 話すうちにわかったのは、芳成もこのクラスに知り合いが一人も居らず、休み時間ごとに自分と同じように一人でぽけーっとしている私が気になったらしい。唯一、高校初日に玄関でぶつかった、佐藤亜実ちゃんとは時々話をするとか。

 亜実ちゃんは、いつも教室の真ん中ら辺で友達と明るく話をしている。ほんのり栗色がかったショートボブにパッツンの前髪。白く細い首筋と小さな体。男子から見たらきっと守ってあげたい系。

「私とは、正反対だ」

 ボソリ洩らした言葉に、隣に居る芳成は、何が? ってとぼけた声で訊く。

「なぁーんでもないっ」

 残りのおかず全部と芳成が残した三分の一のパンを交換すると、嬉しそうにお弁当を平らげていた。芳成と交換した学食のパンはモソモソとしていて味気なく、なんだか今の自分みたいだった。


 私の性格は、どちらかと言えば男寄りだと思う。パッと見、面長の顔にストレートの髪が肩より長いくらいあるせいなのか、おとなしそうなイメージらしい。面長っていうのが、落ち着いた感じに見えるんだと思う。でも、性格はサバサバしてると自分では思っている。

 けど、芳成に言わせたらそれは違うらしい。サバサバではなく、ただの我儘な女なんだとか。はっきりと言われて肩を竦めたけれど、間違いじゃないんだろうなとも思って言い返しはしなかった。

 そして、芳成がいう私の我儘は。

 例えば――――。

「よしなりっ。ゲーセン行こう。ゲーセン」

 放課後、鞄を引っ掴んで、ボケッとしている芳成の袖を強引に引っ張る。

「えぇ~。俺、金ねぇしぃ~」

「なぁにしょぼいこと言ってんのよっ。ほらっ、早くっ」

 行きたくないという空気を前面に押し出している芳成を強引に誘ったり。

 それから――――。

「芳成、芳成。見て見て、これ。渋谷に出来た新しいアイスのお店。ねぇっ、行こうよっ」

 情報雑誌のそのページを、バーンと芳成の目の前に広げて、当然行くよね? と目力で訴え誘う。

「え~。だから、金ないってぇ~」

「まーたー? しょぼいぞっ、清水芳成っ!」

 バシッと背中に平手打ちをして、やっぱり無理やり連れ出すんだ。

「由香里は、横暴だぁ~っ」

 芳成の文句は、聞こえないフリ。

 こんな風に、私の我儘は日々炸裂していた。


 そんな日常を続けていた梅雨が近づいた頃――――。

「うわっ!」

 窓の外で、いきなり降り出した雨の音と凄さに驚いた。

 だって、物凄い土砂降り。なにこれ、スコール?

 てか、私傘持ってないじゃん。

 本日最後の授業中。突然振り出した豪雨に、生徒たちの視線は黒板から窓の外へと移される。ザワザワとしだした中でも、隣の芳成は教科書を立てて机にうつぶせのんきに夢の中。そんな芳成の机の中から覗く、置き傘に目が行った。当然、私の目はキラーンッと光った。そぉーっと、ばれないように手を伸ばし、気付かれないようにスルリと傘を手に取った。

 全ての授業が終わり、放課後。

「帰ろうっ、芳成」

「おう」

 まだ寝ぼけた顔の芳成が、机の中に手を入れる。

「ん? ……あれ?」

「どしたー?」

 机の中を覗き見ている芳成を、私はニヤニヤしながら見る。

「傘が……ない……」

「あららー。こぉーんなに雨が降ってるのに、どおすんの?」

 可笑しさを堪えながら澄ました顔を向けると、芳成は、おっかしいなぁ。なんてブツブツ言いながら、机の中を何度も見たり、鞄の中をあさったりしている。

「もう。しかたないから、入れてあげてもいいよ」

 芳成から奪い取った傘を右手に持ち、得意げにフリフリしながらイタズラに笑う。

「あっ! それ、俺の傘じゃんっ」

 やっと気付いた芳成が掴み取ろうとする手をかわし、素早く教室を飛び出した。

「ゆかりっ! かえせっ」

 追っかけてくる芳成。ケラケラ笑いながら走る廊下。芳成は、怒ってるんだけど笑っている。

 ケタケタ。ケラケラ。

 ダッシュで階段を駆け下り、息を切らせて玄関へ到着。そこで、とうとう傘を奪い取られた。

「ゲットーーー!」

 サッカーのシュートでも決めたみたいに、芳成は自分の折り畳み傘を高々と掲げ勝利のポーズをしている。

 勝ち誇った顔を私に向けると、さっきの言葉をそのまま返された。

「しかたねぇから、入れてやってもいいぞ」

 今度は、芳成がニタニタと笑う番だ。

 うぅ~っ、悔しいっ。

 飛びつくようにして手を伸ばしても、背の高い芳成が持つ傘には届かない。

「もー。私の傘っ」

「ちげーだろっ。俺のだよ」

「いいから、ちょーだいっ」

「とってみろぉ~」

 芳成と二人、傘の奪い合いをしながら玄関で騒いでいた時だった。

「これ。よかったら使って」

「へ?」

 後ろから聞こえてきた声に私が間抜けな声を出して振り返ると、そこには隣のクラスの大崎旬が立っていた。

「俺。折りたたみも持ってるし。これだけ降ってると一つの傘じゃ意味ないよ」

 返事もせずにぼうっと突っ立っている私の手に、大崎はビニール傘を握らせる。

「あ……りがと……」

 奪い返した傘を持ったまま、芳成はそんなやり取りをぽけっとして見ていた。

「それ。返さなくてもいいから」

 コクリと頷く私を確認すると、大崎は雨降る外へと出て行った。

 私と芳成は、今起こった事にいつまでもぽけっとしたまま雨の中を歩いていく大崎の後姿を眺めていた。

「よしなりぃ……」

「あん……?」

「傘……貰っちゃった……」

「ううん……」

 未だ雨の中を歩いていく彼の背中から目を離せない。

 どんどん小さくなっていく背中が、こんな土砂降りなのに鮮明に目に映る。

 さっきまでのテンションは欠片もなく、芳成は靴を履き替えて私を見た。

「……帰ろーぜ」

 ボソリと言って折りたたみ傘を広げ、大崎旬を見たままの私に声をかける。

 芳成に促されてトロトロと靴を履き替え、私は握らされた傘を見た。

「よしなりぃ……」

「ん?」

「……私」

「……うん」

「恋。しちゃったかも……」

雨の向こうを見つめながらこぼした私の言葉に、芳成の動きが止まっていた。

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