第5話

 都内にある喫茶店。閑静な住宅街に囲まれたそのお店は、自宅の一階を改装したつくりであった。並べられたコーヒー豆、大小いくつかのミルが並べられ、わずかに豆が挽かれる音が、BGM代わりになって店に響く。水が沸騰する音とソレが調和し、ポットに注がれる音が静けさに花を添える。

 小さな喫茶店。名前の知らないお店。

 それでも、私、寺田シロウの一番の行きつけのお店に、私は今月何度目かの扉をたたいた。

 初老の主人は入ってくる私とカオル君を見るなり、ニコリとほほ笑むと、カウンターに立ったまま「こちらですよ、寺田さん」と案内をしてくれる。

 そして、案内されるままに、客もまばらな店内へと足を運び、私は向かい合わせのテーブル席に着いた。

「遅かったな」

「撒くのに時間が掛かってね」

 そこには飲みかけのコーヒーを横目に、頬杖をついて窓の向こうの町の景色を見るダイスケがいた。

 私は、カオル君と隣り合わせで座ると、主人にコーヒーを二杯頼んだ。

 そして、私はコーヒーをすする、複雑な表情のダイスケの顔を覗き込む。

「割り勘?」

「好きにしろ」

 そう言って手を差し出すダイスケに、私はポケットからあのアパートの鍵を差し出すと、彼はわずかに安堵したように肩をすぼめ、ソレを透明なナイロン袋に詰めた。

 そうして、白い手袋を脱いで再びコーヒーをすすると、彼は私の顔を見る。

「……何があった?」

「何も」

「―――――大したことじゃないんだな」

「そうなったら、君を頼るよ」

 そう言つつ、私はメモ帳を開き、やがて脇からそっと差し出されるコーヒーを横目に、主人に目配せをする。

「……。アパートの部屋、最初からああだったの?」

「そうだ。大家も見たそうだが、最初から一切の家具がなかった。それで蛍光灯と天井の接続部分に縄をかけられ、女が首をつっていたそうだ」

「いつ片づけられたかってわかる?」

「いや。ただここ最近、大きなトラックがあのアパートに横付けされているのは目撃されている。どこの会社かまではわからなかったそうだが」

「―――――なら、個人で借りたトラックなのかな?」

 私はコーヒーを飲みつつ、窓の向こうに広がる屋外のテラスを見た。ダイスケはというとわずかに眉を顰める。

「どうしてだ?」

「僕は基本一般論しか語らないから、その点許してね」

「いつもそうだろう。どういう意味だ?」

「普通引っ越し会社のトラックってさ。大きくトラックにイラストやらプリントやらで、社名がわかるようにしていない?ふつうそれだけ大きなトラックを見てさ、会社名がはっきりしないってことは、トラックには会社名が書かれていなかったってこと。

 なら、常識で考えれば、そのトラックは個人で所有していたか、借りたかのどちらかだろうね」

「なるほど」

「トラックはいつ頃見たって証言があるの?」

「二日前だ」

「家具を積んで運べるほどの大きなトラック。あのアパートの周辺で借りられるところはそうないと思う。暇つぶしにあたってもいいんじゃないかな」

「そうだな……」

「―――――落ち込んでいる?」

 ピクリと眉を顰める強面の30代に私は、少し苦笑いを浮かべつつも、主人を呼んでコーヒーをさらに一杯追加した。

「どうしたんだい?」

「上から言われてな。今回の件は終わりだと言われた」

「完全に区切りをつける気なんだね。君たちは」

「……シロウ。アレは終わっていない。お前たちもそれははっきりとわかっているはずだ」

「終わっているかいないかは、君たちの判断だけど、真実は別のところにあると思うよ」

 コーヒーをすすりつつ、私はカップをダイスケに差し出す主人を横目にそう告げた。ダイスケもその意見に同意したようで、首を縦に振る。

「ああ……何回か『仏さん』を見たことがあるが、今回のソレは特に異常だ」

「むしろ、殺人、ととらえたほうが話はしっくりとくる、ってことなんだろうね。でも君の違和感の源は、あの損傷具合でしょ」

 ダイスケはコーヒーをすすりつつ頷く。私はカップを置くとメモ帳に止めていたペンを手に取り、白紙に筆先を走らせた。

「さて答え合わせだ。ダイスケ、アレについてどう思う」

「―――――所見だ。鑑定とは違うかもしれない。だが、アレは明らかに昨日死んだものじゃない」

「そうだね。肉の腐敗具合、皮膚のただれ具合、おそらく、6か月だと思う」

「?それほどだと、蛆が湧かないか?」

「発見したとき、身体はヒンヤリとしていなかったかい? あと体のところどころが変色していなかった。」

「ああ。確かに手袋をしていても凍るほどに冷たかった。それに一部分が緑色に変色していた。だがよくわかったな」

「二か月も生のまま、その部屋からは匂いがなかったんだろう。もしあったらもっと早期に発見されているはずだ」

「……」

「おそらく防臭処理をするために、冷蔵庫に詰めたんだろうね。そのために内奥部位も一部切り分けたと考える。

 で、それを含めて劣化具合からして、僕はおそらく六か月だと思う」

「そうだな。周りの部屋の住人もニュースになるまで気づきもしなかったという話らしい」

「そして、それは誰かの手によってなされた」

「……誰だ?」

「よほどの暗殺者でもなければ、強盗などに押し入られれば、音が出て、周辺住民も気づくはずだ。

 まぁ最近じゃ、そういうのも見て見ぬふりすることも多いから、一概には言えないけど」

 私はコーヒーを飲み干すと、先ほどの出来事に少し放心状態のカオル君に目配せをしつつ、さらに二杯コーヒーを頼んだ。

「まぁ、そんな状態を考慮に入れつつ、調べるべきは、まぁ警察官なら易々と想像つくものだがね」

「―――――家族と、恋人ですか」

「そうだねカオル君。志野原歩美の部屋に入っても気づかれない人物。進入しても怪しまれない人物だ」

「じゃあ、やっぱり死んだ志野原歩美と、事務所にいた『志野原歩美』は、別の人物、ってことですか?」

「少なくとも、六か月前に死んだ人間が生き返って、私の事務所へ依頼をしに来る、なんてことは生物学上ありえないよ。

 当初、私は複数犯を予想していたが、少し当てが外れたね」

「じゃあ、やっぱり僕らの事務所にきた『赤いレインコートの女』が志野原歩美を殺したんですかッ?」

「いい線を言っているが、少し声が大きいね」

 アッと青ざめた表情でカオル君は周囲を見るが、幸運なことに周りの客はまったくこちらを見ておらず、彼はほっと胸をなでおろす。

 私はというと、届いたコーヒーを口に含みつつ、落ち着いたのかカップを見つめるカオル君を横目にダイスケに告げた。

「カオル君の解答はどうかな?」

「……何か引っかかるな」

「そうだね。殺人鬼が、人を殺したましたって言うんだったら、僕じゃなくて、君達のほうに言うべきだ。

 しかも、昨日『志野原歩美』は、殺した人について一切知らないと口にした」

「―――――意図が読めないな」

「もう一枚、何かを噛ませれば、しっくりくるんじゃないか?」

「……教唆犯……いや、目撃者?」

「あのアパートの出入りが社会通念上許される人間で尚且つ、『ソレ』を目撃した人間だろうね。

 さて誰のことだろう」

「……」

「さて君に調べてほしいことが二つある。

 一つは、志野原歩美の戸籍関係だ。彼女が縁切りなどを戸籍上していなければ、家族状況がわかるはずだ。

 一つは交流関係だ。彼女がどこの学校に通っていたのかが知りたい」

「……わかった。一つ目のことはすぐにヒジリにやらせる」

「ありがとう。僕らは大家さんに話を聞いて、それから彼女の実家をたどってみるよ。何かわかるかもしれない」

「俺は、トラックの行き先を交通課の同期に探りをさせる。それから彼女の学校はそのあとやろう」

「ありがとう。忙しい身の上で少しでも手伝ってくれるとうれしいよ」

「皮肉なら今すぐこのコーヒー、お前の頭にぶちまけてやる」

「まさか。さて、少し『ツレション』としゃれこまないかな?」

「なんだそれは……」

 呆れた表情のダイスケをよそに、僕は帽子の頭を押さえ目深にかぶると、キョトンとするカオル君を横目に立ち上がった。

「ぼ、僕大丈夫ですかね……」

「心配ならカウンターで主人と飲んでいなさい。少しトイレで彼と語り合いたい」

「り、了解っす」

「じゃあ、トイレに行こうかダイスケ」

「なんでワザワザ口に出す……」

 げんなりとするダイスケを引き連れ、私はトイレに二人で入ると、誰も入ってこないよう入口の扉にもたれかかった。

 そして、ため息一つ。

 その様子を察したのか、ダイスケは髪をクシャリと書き上げつつ、洗面器の蛇口を捻る。

「……もう一つ、答え合わせを忘れていたな」

「そうだね、ダイスケ。あの死体を見て何を感じた?」

 彼は蛇口から流れ落ちる水を手で掬い上げつつ、こう伝えた。


「……食人」


 ザァアアと水のはじける音がかすかに、彼の伝える声をかき消す。

「どうだ?」

「同感だ。

 最初ダイスケに見させてもらったら、腕の肉がなかった。足の肉がなかった。内臓の肉がなかった。乳房が削り落とされていた。

 最初はそぎ落とされたのだろうか、あの部屋で首を『吊ることができるよう』肉を落としたのかなとも感じた」

「だが違う」

 ダイスケは掬い上げた水を顔に浴びせると、洗面器を覗き込みつつ、私にこう告げた。

「お前に見せていないものが一つある。あの部屋にはゴミ箱が一つあった。

 小さなごみ箱だ。何個が大きめのごみが捨てられたら、すぐに満杯になるようなバケツタイプのごみ箱だ。

 そこに、志野原歩美と思しき骨があった」

「そうか」

「その骨にはこびり付いていた。その肉片はわずかに焼いたような跡が残っていた。

 その骨には、匂いが残っていた」

 はきそうな表情を浮かべて、ダイスケはうなだれる。

「……異常だ」

「異常性愛だと思えばそうでもない。よく言うじゃないか、食べちゃいたいほどかわいいなんて、それを実践したんじゃないかな?」

「愚直も甚だしい、吐き気がする」

「顔色見ればわかるよ」

「……上はこの件を自殺として片づけ、次の案件へと移るつもりらしい。どうやらそれほど世間に晒されたものでもないしな。家族からのクレームなどがなければこのまま土に埋めて終わらせたいらしい。

 だけど、これは……終わらせてはいけない気がする」

「『彼女』もその考えがあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。或いはその両方を抱えて、僕のところに尋ねたのかもしれない。

 人の心は、実に深く、底なしの泥の澱みの更に底を見ているようだ」

「……シロウ、何かを知っているのか?」

「さぁ。これは根拠のない僕の予想だからね、語るつもりはない」

「……」

「でも、君も薄々感じているんじゃないかな?」

 私はポケットからハンカチを取り出すと、ムッとする彼の手元に差し出した。

「……彼女の戸籍を調べてみなよ。調べたら僕に彼女の実家の住所を言うだけでいい。それ以外の情報は要らない。

 他は、君が見ればいい」

「……?」

「すぐにわかる。志野原歩美が一体何からできているのか」

 怪訝そうな表情を浮かべつつも、ダイスケは私のハンカチを手に取ると顔を拭き、すぐさまグシャグシャにして突き返した。私はというと、そのあと手を洗い、トイレルームを後にする。

 そして、席に戻ると、主人を呼び伝票を持ってくるよう伝えると、私は彼に伝えた。

「連絡は携帯で。極力合わないほうがいい」

「?なぜだ」

「目的が違う。君は志野原歩美を殺した人間を追いかけたい。僕らは『志野原歩美』が殺した人間を追いかけたい。

 違うだろう。或いはどこかの段階で、僕は君に逮捕されるかもしれない」

「そんな常識はずれなこと、お前は絶対しないからその点安心だよ」

「過大評価だよ」

「やばいと思えば、俺もお前のところに行く」

「おや、随分と待遇がいいね」

「―――――本当にヒマになったんだよ。俺もヒジリもな」

 そう言ってふてくされ気味に頬杖を突くダイスケに、僕は主人から渡された伝票を横目に見つつ、彼に首を傾げた。

「どうしてだい?」

「突然異動が決まってな、仕事の整理とかでしばらくデスクワークが続く」

「そりゃ大変だ」

 私はポケットから幾らか金を引きずり出すと、カオル君に伝票とともに渡し「清算をお願いするよ」と言った。顔色も戻ったのか、カオル君は少し不満げな表情で「了解」といって席を離れる。

「……シロウ」

「ん?」

「今回の件。少しヤバい気がする。気をつけろよ」

「僕はいつでも死ぬ気でいる。でないと生きていると言えない」

「人は何をしたかでその生の意味が決まる、か。お前が昔よく言っていた言葉だったな」

「君にもそれを早く実践してほしいな。早く「―――――」との子供はできないのかな?」

「……二か月後だ」

「尚のこと、君に関わらせておけないだろうね」

「?」

「こっちの話だ。君は君の人生を歩むといい。僕は僕でこの奇妙な人生を歩むことにするよ。

 だから僕に関わらないほうがいい、人並みに生きたいならね」

「……バカ野郎」

「ニヒヒッ」

 悪態をつく彼をしり目に、私は帽子を目深にかぶると、清算が終わり入り口で待つカオル君のもとへと足を運んだ。

 と、店を後にし、車に乗り込む私にカオル君は首をかしげる。

「所長、これからどこに?」

「えっと―――――今からあのアパートの大家のところに行く。それが終わればいったん解散だ。君を自宅に帰すよ」

 私はメールで送られてきたアパートの管理人の住所を携帯で確認しつつ、ハンドルを握りしめた。

「うん、ここなら大体わかりそうだ。行こうか」

「はい。……ん?所長」

「なんだい?」

 私は、カオル君、彼が怪訝そうにして運転席側の窓ガラスを見つめているのに気づき、そちらへと振り返った。

 そこには、くっきりと『手の型』が二つ、残っていた。

 うっすらと、指紋が浮かんでいた。

 何かが、私の車に触れていて―――――


 ―――――絡みつく、視線。


 おぞましい気配。

 全身を突き刺すような何かを感じ、サイドミラーを、私は覗き込み、そして、わずかに目を見開いた。

 そこには『赤いレインコート』が風に揺らめいていた。

 路地裏の隅、何かがこちらを暗闇から覗き込んでいた。

 フードの奥からニィと歯を剥いて、嗤っていた。

「……やれ。少しずつ時間はなくなってきているようだね」

「?」

「とりあえず、管理人の前宿を探そう」

 私は、アクセルを気持ち強めに押し込む。這い寄る影に追いつかれないように、私は町中へと車を走らせた。

 それでも、足音が近づいてきているのが聞こえる。

 誰かが、こちらを見ている気がした。

 せせら笑っている気がした。

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