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「昭和三八年二月十五日 金曜日 仏滅」 山下家の大広間の破れたふすまに貼られたつぎあての新聞紙より。




 たくみは、その夜、それ以降布団のなかでまんじりともできなかった。

 気がつくと、障子しょうじに外からかりが入り、冬の遅い朝をむかえていた。

 しかし、不思議なことに変な眠気やあくびは一切なかった。爽快であったと言ってもいいほど。

 しかし、この山下家の家族が交じり合うなまめかしいイメージだけは脳裏にしっかり焼き付いていた。

 寒さで布団から出られないとういうより、絶対でなければならない気がして、布団からを出た。するとぶるっと震え尿意を覚えた。冬場はとにかく、トイレが近くなる。

 そして、呼ばれるまでもなく、浴衣半纏ゆかたはんてんから、自分の服に着替え、囲炉裏のある大広間に向かった。

 柴のぜる音。枯れ木の燃えるにおい。この大広間は屋敷の中心にあるだけに光が入りにくい。

 彼らが絡み合っていた夜中とは完全に雰囲気が変わっていたが、その前の夕食とは何一つ、変わっていなかった。

 そして、完全に一間ひとまだけぴっちり閉ざされたふすま

 囲炉裏の火は、囲炉裏の中の燃え尽きた炭と灰の量からいって一晩中萌えていたままだったらしい。

 囲炉裏の一番のそばには、良枝よしえが夕餉の時と同じように座っている。

「朝は、昨晩の汁の残りで雑炊ですから、体にええですよ」

 巧は縄で編んだ座布団を敷き昨晩の夕餉と同じ場所に座った。囲炉裏端とはよく出来たもので、下手なストーブより大変温かい。 

 囲炉裏の自在鉤じざいかぎには、大きな鉄製の鍋が掛けられ木製の鍋蓋が掛かっている。

 巧がかぎに注目していると、山下家の家族が三々五々続々と集まってきた。

 まるで昨日の夜更よふけの睦み合いなどなかったかのようである。

 次女で中学生、継映つぐえとだけ、少し長く目があった。しかし、巧のほうから視線をそらした。

 長女の井千子いちこがまだ乳飲み子の咲香栄さかえをあやしている

 良枝が話しだした。

「今日は、スキーのほうを」

「ハイ、ウェアもブーツも板も全部持ってきていますので」

「ほうですか」

「スキーは、手短に切り上げて、少し車の方を見に行きたいと思っています」

 良枝の返事がなかった。湯気が大きく立ち上る鍋の中を木製の大きなお玉でかき混ぜていた。

 朝餉のぼたん鍋の残り出汁だしによる雑炊は、存外にうまかった。

 次女の継映が、またもや、咳音と鼻を啜る音の聞こえる閉まった襖を開け、お盆に雑炊を乗せ、運び込んでいた。

「スキーの方のことは私はぁわかりませんが、息子の和夫かずおと孫の力斗りきとがちゃんとしよりますんで」

 良枝が言った。

 巧は、言及された和夫かずお力斗りきとの方を見なかった。

 こいつらは、変だ。

 いや、こいつらだけではない、この家は変だ。

 巧は、心に決めていた。スキーなど、この家から出る方便にすぎない。先ず、車だ。ここから逃げ出さなければならない。それからこの家とこの若市山麓の集落を調べ上げてやる。

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