03*いざ花姫になれば

「レオン」


 ジノルグが言いづらそうに名を呼ぶ。

 すると騎士はくすっと笑った後、わざわざこちらに近付いてきた。


 そして自然にロゼフィアの手を取る。


「初めまして美しい人。俺の名はレオナルド・ハイル。お近づきのしるしにあなたの手のひらに口づけする事を許していただけますか?」


 いつの間に近付き、いつの間に手に触れて来たのか。

 ロゼフィアが何か言う前に、レオナルドが「あででででっ!」と断末魔を上げる方が早かった。見ればジノルグに思い切り手をつねられている。ジノルグの顔は真顔だが、明らかに怒っているのが伝わった。


「……お前、誰かれ構わず妙齢の女性に勝手に触れるなと何度言えば」

「だって、美人とか可愛い子には声もかけたくなるし触れたくなるじゃん?」

「そんなくだらん理由が俺に通用すると思うなよ」

「あ、や、あー!! ジノ、駄目だ。それ以上やったら俺の手が死ぬっ!」


 容赦ないほどに制裁を与えているのを見て、ロゼフィアは逆に引いてしまう。しばらくして静かになったと思えば、レオナルドは地面に顔を叩きつけられていた。同じ騎士で仲間である事に変わりはないのでおそらくそこまでではないと信じているが、なかなかだ。


 ジノルグはすぐに謝ってきた。


「すまない。俺の仲間が無礼な事をした」

「いや、別に……」

「許せないなら海の底に沈めるがどうする?」

「い、いいわよ。そこまでしなくても」


 真面目なトーンで言われては、実際にやりそうでひとたまりもない。しばらくすればレオナルドも笑顔で生還してこちらにやってくる。むしろあの後でそんな輝いた笑顔ができるのがすごい。


「いやぁ、失礼しました。ごめんね?」

「もっとちゃんと謝れ」

「もういいわよ……」


 おちゃらけた性格の持ち主なのだろう。

 それ以上怒る気にはなれなかった。


「それにしてもジノってば水臭いなぁ。護衛対象ができたなら教えてくれても良かったのに」

「ただの護衛対象じゃない事くらい分かってるだろ」

「分かってるけどー、まさか紫陽花の魔女だなんて、役得だよなぁ」

「それは」

「そんな事ないわよ」


 思わず口を挟んでしまう。

 すると二人に見られてしまった。


 やぶ蛇だったかもしれないと思いつつ、口に出す。


「別に魔女だからって護衛して何かいいことがあるわけじゃないし、そりゃ怪我とかしたら簡単な治癒くらいできるけど……一緒にいてもつまらないと思うわ」


 本心だった。だから羨ましがられる要素はないし、むしろ護衛なんて自分にはもったいない。周りが真面目で信頼できる、と言うほどの相手だというのなら、尚更。するとレオナルドは「ほー」と声を上げる。


「紫陽花の魔女って、けっこうネガティブなんだねー」

「……は?」


 意味が分からず聞き返してしまう。

 だがレオナルドは笑顔のままだ。


「そんなに自分の事低く見なくてもいいと思うよ? なんならこの男に聞いてみなよ。紫陽花の魔女にはどんな良さがあるのか」


 いきなり失礼な事を言った挙句、無茶苦茶な事を言う。出会ってそして一緒にいてまだ数日くらいしか経っていないのに、そんなの分かるわけないだろう。しかも自分に良いところなんてあるとも思えない。


「自分の意見をしっかり持っている」


 ジノルグがぼそっと言った。

 思わず凝視してしまう。


「へぇ。いいじゃん。他には?」

「一人一人と向き合おうとする。与えられた責任は全うする。そして、」

「も、もういい!」


 思わず叫んでしまう。

 するとジノルグは口を閉じた。


 聞いていたレオナルドはさらに笑みを濃くする。


「ほら。こいつは君の事、ちゃんと見てるよ?」

「よ、余計なお世話よっ!」


 思わずその場から歩き出してしまう。

 慌ててジノルグも追おうとするが、ロゼフィアは叫ぶ。


「近づかないで! 護衛するなら遠くからして!」


 そして早足でまた歩き出す。ジノルグは足を止めざるを得なくなった。その間にもどんどんロゼフィアは進んでしまう。黙って後ろ姿を眺めていると、レオナルドが勝手に肩に手を置いてくる。


「なんか大変そうだな」


 にやにやと笑っている。

 労っているようで楽しんでいるのが丸わかりだ。


 ジノルグは無言で手を払いのける。

 するといきなり真面目な顔をされた。


「で、どういう理由で側近から外れたんだ?」


 話はもう終わったと思えば、続いていたようだ。

 だがジノルグからすれば愚問だった。


「お前の事だから知ってるんじゃないのか」


 レオナルドは同期であり、騎士団の中でもそれなりの情報通と言われている。秘密になっているはずの事をいつの間にか知っており、周りをいつも驚かせる。そして勝手に噂を流したりするのは彼の悪い癖だ。


 するとふっと笑われる。


「知ってるっちゃ知ってるさ。『アンドレア殿下から魔女の護衛をしてほしいと頼まれた。その命令に従い、ジノルグは魔女の護衛に集中する事になった』。……本当にそれだけか?」


 そこまで分かっているのに聞いてくる。

 相変わらず勘が鋭い男だ。おそらく聞きたいのはジノルグの本心。


「大事なのは理由ではなく気持ちだろ」


 ジノルグはそれだけ言った。

 そしてそのままレオナルドを置いて、一人で歩き出す。


 遠くから護衛しろと言われても、あまりに遠すぎては護衛できない。見失わない程度にジノルグはロゼフィアの後を追った。するとレオナルドは目を丸くした。しばらくしてから一人でにやっと笑う。


「言うねぇ」


 そしてそのままジノルグについて行った。







「うん、よく似合うよ」


 サンドラが素直に褒めてくれる。


 今着ているドレスは、鮮やかな淡い青、紫、赤、と色がグラデーションになっているものだ。腰での切り替えがなく、縦方向にダーツを入れることにより身体のラインに合わせている。スカートはフレア型だ。


 スカートの長さは膝くらいあり、短すぎる事もない。だからといって、長すぎず動きやすそうだ。襟元は広めだが、腰辺りはきゅっと絞られているため、ウエストアップが期待できる。何よりシンプルで、細かいレースがつけられている。色は華やかだが、清楚な感じだ。現在、衣装の最終調整。前に着たドレスに新たな刺繍やらレースやらを取り付けている。


 そして今日が花姫お披露目会の当日。

 早くも緊張しないよう、ロゼフィアは深呼吸を繰り返していた。


 するとサンドラがそれを見てくすくす笑う。


「はい、これが君の花だよ」


 花姫に出る者は、自分のイメージを持つ「花」を用意しなくてならない。自分は「紫陽花の魔女」だから、紫陽花の花を持つ。梅雨の時期によく見られる花だが、研究所では色々な花の栽培、研究が進んでいる。だから今の時期でも用意ができたのだろう。ちなみに用意してくれたのは研究所で働くサンドラだ。


 今日は自分の補佐としてここに来てくれている。他の花姫も、同じように補佐の人と一緒に待っている様子だった。ちなみに騎士の胸ポケットにも、同様の花がつけられるようだ。


「で、今日を迎える前にジノルグくんとは何か話したのかい?」

「え?」


 思わずどきっとしてしまう。

 だが平常心で答えた。


「別に。何も」

「ふうん?」

「ほら、ずっと花姫の準備があったじゃない。だから話す機会とかもなかったし」


 今日は珍しく口がよく回ってくれる。

 サンドラは納得するように頷いてくれた。


 実際嘘をついたわけではない。本当にじっくり話す機会などはなかった。花姫の準備のために外出したり、後はあまり一目につかないようにずっと城の中で過ごしていた。外出の際は容姿が目立たないようにフードを被り、そしてできるだけ早く移動するように心掛けていた。部屋ではたまにアンドレアが遊びに来てくれて、一緒にお茶をしたくらいだ。


 なのでジノルグとは本当に護衛の時くらいしか関わっていない。……最も、心の中はあまり気が気でなかったのだが。まさかレオナルドと出会った時、ジノルグが自分の事を話してくれるとは思わなかった。一週間ほど護衛をしてくれたといっても、それでもすぐに人の事が分かるものだろうか。知らぬ間に中身も見られている、という言葉はこの時に使うのだろう。少し気恥ずかしかった。


 だから、あまりこちらから会話をする事はなかった。あっても事務的な事を聞くくらいだ。それに、ロゼフィアが話さなかったからか、ジノルグも何も言わなかった。おそらくこちらを配慮してだろうが、護衛中は無言ばかり続くのが少し心苦しかったものだ。


 思わず溜息をついてしまう。

 するとサンドラは驚いたような顔をした。


「どうしたんだい。そんなに人前に出るのが嫌かい?」

「……そうね。本当はこんな日来なくてもよかったのに」


 それも正直溜息をついた理由の一つだ。

 すると苦笑されてしまう。


「大丈夫だよ。花姫になって城下を回るだけ。花姫はロゼだけじゃないし。それに、ずっとジノルグくんが傍にいてくれるんだから、大丈夫だよ」

「……そうね」


 ジノルグが傍にいるのも逆に落ち着かないのだが。でもそれをサンドラに言えるわけもない。それに、花姫が終われば今度は護衛を外す正当な理由というやらも見つけないといけない。正直まだ見つかっていないので、焦っている。それはちゃんと仕事は仕事としてジノルグがこなしているからだ。


 仕事はきっちりしている以上、問題があったと嘘を言うわけにもいかない。ある意味この花姫の時がチャンスと言えるが、ちゃんと正当な理由は見つかるのだろうか。ロゼフィアは心配で仕方なかった。







「しっかしすごい数だよなぁ」


 あまりの観客の数に、レオナルドは呑気にそんな事を言う。ジノルグは黙って聞いていた。現在二人は警備中。他にも多くの騎士たちが見回りをしている。数の整備をするため、そして何か事件が起こった時に対処しやすい、という理由で、少人数で動くようにしている。


「で、お前ももうすぐ行くのか?」

「ああ。一度花姫が舞台から出てきたらな」

「ほー」


 返事をしながらジノルグの胸ポケットを見る。

 見事な紫陽花が咲き誇っていた。


「今年は魔女目当てに来る人が多いだろうなぁ」


 王女が特に名前を大きく書いて宣伝したのだから、それはそれはこの国中に広まった事だろう。魔女の存在を知っている者はいても、誰なのかまではなかなか分からない。一目見ようと、去年よりも観客の数が多いのが見て取れる。その分騎士も多めに配置されるようになっている。


「で、あれからどうなんだよ」

「なにがだ」

「ほら、俺と出会ったあの日。あの後、進展はあったか?」


 なぜかわくわくした顔でこちらを見てくる。

 ジノルグは溜息交じりで答えた。


「ないな。むしろ離れる一方だ」

「えーなんでー!?」


 驚かれるように叫ばれる。

 うるさいので耳栓をしておいた。


 おそらくレオナルドは、自分がけしかけた事で少しはロゼフィアとの距離が近くなったんじゃないか、と勘違いしているのだろう。残念ながらそんな事はない。むしろ逆効果だった。素直に人の称賛を受け止める人ならまだしも、どこか自分を低く見ているロゼフィアからすれば、信じられなかったのだろう。


「まじかぁ。褒められて嬉しくない人はいないと思うんだけどなぁ」

「素直じゃないんだろ」

「お、さすが見てる人は違いますな~」


 からかってくる様子だったので、無視する。

 そんなの言われるまでもない。


 ジノルグは意識を会場に向けた。そろそろ今回の参加者である花姫達が登場するはずだ。その後馬に乗せて一緒に城下を回る事になっている。タイミングを見計らって動かなければならない。


「それでは、『花姫』のお披露目会を始めます。花姫の方は出てきてください」


 司会の声が入り、ゆっくりと会場に花姫達が並ぶ。

 皆、色とりどりのドレスを身にまとっている。それぞれ花を手に持っており、とても綺麗だ。観客からも歓声が聞こえてくる。相変わらず今年も大盛り上がりのようだ。


 そしてその中に、ロゼフィアの姿も見つけた。


 どこかぎこちなく動き、できるだけ他の花姫より後ろに行こうとさえしている。あれでは隠れようとしているのがバレバレだ。他の花姫達は自分をより良く見せようとしているというのに、逆にその動きが目立つ。


 紫陽花の花を持っている事もあり、観客はすぐにあれが魔女なのだと指を差して、ざわざわし始める。するとそれに気づいたロゼフィアはぎょっとしたような顔をする。そして笑顔で手を振ってくる観客に対し、ぎこちなくも笑って手を振り返していた。どうやら民達とのファーストコンタクトは良さそうだ。


 司会の女性は花姫を見ながら、それぞれ名前を読み上げようとした。が、急に焦ったような顔になる。そのまま会場がしんとなる状況になり、花姫も観客も、少しざわついた。


 ロゼフィアもどうしたのかと思い、見回す。

 すると花姫達がひそひそ話をしていた。


「花姫の人数が足りないらしいわ」

「ええ?」

「そういえば、鈴蘭の花を持った子がいたはずよね?」


 ロゼフィアは話を聞きながら、明らかに状況がおかしい事を悟った。そして再度、辺りを見回す。ステージは観客よりも高い位置にある。恐らく警備の騎士よりよく見えるはずだ。


 すると、遠くの方で白い花がゆっくり動くのを見つけた。


「!?」


 それを見て思わず目を見開く。


 人気のない方向へ、全身真っ黒で怪しげな人物が彼女を担いでいた。ロゼフィアは無意識に足を動かしていた。すると他の花姫が気付き、焦った声を出す。だがロゼフィアは構わずその場を駆け出した。




「観客に不審な人物発見。すぐに捕まえろ!」


 急に全身黒い格好をした複数の人物が、会場に現れ始めた。それを見た観客からどよめきが生まれ、一目散に逃げようと試みる。だが人数が多い事もあってすぐに逃げる事ができず、会場は一瞬で混乱状態になった。他の騎士たちも事態に気付き、レオナルドも慌てて対応する。


 だがジノルグだけは、別の方向を見ていた。

 周りの騒ぎが大きな音と共に聞こえるが、頭には響かない。


 見つめる先は、ロゼフィアだけだ。

 そしてすぐに彼女を追いかけ始めた。

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