滅ぶべき者(2/2)

 食事をすっかり平らげると、ぼくは家の外に出た。谷川沿いを歩き、三つの岩に囲まれているという洞穴を探す。そこが村から外界へ続く出口だと聞いたのだ。


 しばらく行くと、門構えのように重なった岩があり、中から湿った臭いがした。一歩入ってみると、奥には通路らしきものが見える。先へ進むと、そこは少女の言ったとおり、谷の向こう側まで続いているようだった。それを確認すると、ぼくは再び村のほうへ戻った。


 川でとれた魚でも焼いているのか、薄い煙が空へ上がっている。こうして見れば、幻の村も他と変わらない村で、そこでは人間が助け合い、生活を営んでいるのであった。


 未来見の力があるのか――そう尋ねたぼくに、あの少女はうなずいた。そして、その証を求めたぼくに、庭先の風景を示した。そして、そこへ二匹のリスが訪れることを予言した。しばらくすると、言葉通りにリスが現れた。


 しかし、それだけでは偶然の可能性がある。半信半疑のぼくに、少女は次々と未来を言い当ててみせた。それは、川縁にサギが飛んでくるとか、使いの女の子がこの家の戸を叩くとか、他愛のないことばかりだったが、予測不能なことばかりだった。


 少女の能力は本物である。ぼくはやっと理解して――いまさらながら戦慄した。


 彼女はどうやって未来を見るのだろうか。もし、それが意識せずともものならば、それは困った事態を引き起こすことになる。


 それから、もう一つの疑問。少女は、果たしてぼくの未来を見ただろうか――。


 しかし、その二つの問いに少女は首を振った。つまり、未来は見ようとしなければ見えないし、ぼくの未来も見ていないと、そう言ったのだ。


 ぼくはひとまず安堵した。もちろん、それは既にぼくの未来の行動を見通した彼女の嘘である可能性もある。けれど、ぼくはその可能性を排除した。


 人間は嘘をつかなくても生きていける者と、嘘なしには生きていけない者の二種類に分けられる。


 嘘をつかなくても生きていける人間は、自信のある人間だ。彼らは自らの言葉や決断に自信がある。だからこそ、嘘で自分を取り繕うことなく、ありのままでいることができる。


 反対に、嘘で自らを取り繕わずにはいられない人間は、自信のない者たちだ。彼らはありのままの自分を卑下している。素のままの自分が無力でどうしようもないと思うからこそ、嘘で華やかに飾るのだ。


 少女は前者で、ぼくは後者の人間だった。彼女の揺るぎない瞳を見れば、すぐにわかる。その揺るぎのなさは、未来見の力を持つ者にとって、必要な素質だろう。いわば彼女は運命を定める者で、ぼくはその流れに身を任せるだけの人間なのだ。


 だから少女は、ぼくの正体を知らない。それに、ぼくの未来を見、何が起こるか見通していたとすれば、こんな平然とした態度を貫くことは難しいはずだ。


 洞穴から村まで戻ったぼくは、遠くから見えた焚き火の場所まで歩いた。火の傍らでは、魚がこんがりと焼けていた。


「……やってみてもいいですか?」


 火に薪をくべていた老婆に許可を取り、ぼくは薪を投げ込んだ。偶然を装い、腰の小さな包みも火に投げ込む。途端に、ごうっと炎があおられ、黒い煙が空へ上がった。


 煙は、ここに村があることを知らせる狼煙となる。ぼくは燃えていく包みを見ながら、老婆に謝った。彼女は一瞬、驚いたような顔をしたが、あんたは長の客だから、などともごもごと言った後、動物を追い払うように手を振った。


 村人に未来見の力はない。彼女たちはずっと昔から力のある者――つまり長に頼って生きている、そう少女は言っていた。だから、彼女の客であることには大きな意味があるのだ。


 ぼくはその場を退散し、ぶらぶらと歩きながら空を仰いだ。日は未だ高い。時間は十分にあるだろう。それまですることの見つからないぼくは、再び少女の家へと足を向けた。いまのうちにゆっくりと休んでおくことに決めたのだ。


          

 

 そのときがやってきたのは、三日後の真夜中だった。


 暗闇の中、ぼくは山肌を滑るように下る松明を見つけ、そっと寝台を抜け出した。村を出る支度は出来ている。足音を忍ばせて少女の部屋へ入ると、ぼくは少女の手を掴んだ。


「……何をするの?」


 寝ぼけた様子もなく、覚醒しきった声にぼくはびくりと飛び上がった。しかし、そこは有無を言わさず、命令するような口調で言った。


「一緒に来てもらう。いますぐにだ」

「なぜ?」

「なぜって……」


 事は一刻を争う。ぼくは彼女を連れ、あの洞穴の通路から村を出なければならない。


「君には未来見の力があるんだろう。それで見ればいいじゃないか」

「聞きたいの、あなたの口から」


 星明かりのせいか、少女の瞳はどこまでも透き通っている。苛立って、ぼくは口を開いた。それにいまさら、猫の皮を被っていても仕方がない。


「三日前、村の位置を知らせる狼煙を上げた。ぼくはある征服者のために働いてるんだ。軍隊を手引きするために。彼らはすぐそこに迫ってる。この村は血の海に変わる」

「では、彼が来たのね……」


 その名は敢えて明かさなかったというのに、少女は肩に大鷲を乗せた、あの男の名をつぶやいた。


「アルトアの――ジルランド将軍が」


 どうしてその名を知っているのか、ぼくは問わなかった。いや、焦りがその数秒さえも惜しんだのだ。


 草を噛み、狂獣と化した黒炎隊が迫っている。いまは味方であるとはいえ、その事実はぼくを恐怖に陥れるものだった。


 直後に繰り広げられるだろう惨劇を知って、視界には血の赤が、耳には断末魔が響き渡る。ぼくはそれを何度も見たのだ。何度も何度も何度も――将軍の傍らで、ぼくの手引きによって滅んでいく村を、その人々を。夢の中で見た数々の村は、ぼくのせいで滅びた村々だったのだ。


 力任せに手を引くぼくに、少女は静かに言った。


「私はここで死にたいわ。皆と一緒に、ここで……」


 飛び込んできた言葉に、ぼくは耳を疑った。


「死にたい、だって?」


 将軍は、未来見の力を持った少女を欲しがっていた。だから、死にたいと言われて、はいそうですかとうなずくわけにはいかない。しかし、それ以上にその言葉はぼくの中に渦巻くどす黒い何かを刺激した。


「君はわかってるのか? 死んだら何もかも終わりなんだぞ! 何もかも――」


 脳裏には肉塊と化した家族の姿が浮かんでいた。首のない友達の姿が浮かんでいた。


 あの朝、山へ放牧に行き、黒炎隊の襲撃を免れたぼくは、変わり果てた村の跡にへたりこんでいた。しかし、そこをジルランド将軍に見つかり――彼のために働くよう召し上げられたのだった。


『どうか殺さないで』


 覚えてはいないが、将軍が剣を抜いたとき、ぼくはそう言ったのだという。累々と村人の死体が転がる中で、そう言って命乞いをしたのだと。


『俺は、敵国の人間は皆殺しにすることに決めている』


 地平線の彼方を見つめ、将軍は言った。


『なぜなら、いくら死人を減らし、穏やかな降伏へ導こうと、生き残った者の心には憎しみが残る。そして、その憎しみは次の戦いの火種となる』


 あたりにはくすぶり続ける煙と、焦げた肉の臭いが漂っていた。両翼を広げた将軍の鷲が、その金色の目で肉のありかを探っていた。そして、その目はぼくに向けられたままピタリと止まった。将軍は目を細めてぼくを見下ろした。


『信じるか信じないかは勝手だが、俺が求めるのは平和だ。お前のように何の力を持たぬ人間でも幸せに暮らすことの出来る世界だ。これはそのための死だ。わかるか?』


 ぼくはうなずいた。言わずもがな、それは嘘だった。ぼくは、わからないと答えた場合の結末を恐れたのだ。自信がなく、命さえも他人に握られる無力なぼくは。


 大鷲が笑うように羽ばたいた。将軍がその嘘を見抜いたかは定かではなかった。けれど、ぼくがどう答えたとしても、彼にはそれを嘘だと断言することの出来る自信があるはずだった。彼は踵を返した。


『生きたいのなら、憎しみを捨てろ』


 そして背中でそう言うと、馬に乗り、去って行く。


 命がつながったことを知ったぼくは安堵し、言われるがままの役目をこなし続けた。将軍の言った理想のためではなく、ぼく自身が生きながらえるために、村に潜入し、それを滅ぼす手引きをした。そうして大きな仕事を請け負った。幻の村を滅ぼし、未来見の少女を略奪する、という――。


「あなたの村も同じ目に遭ったのね」


 ふいに思考が現実に引き戻され、ぼくは少女を見た。その顔は凪いだ水面のように静かだった。これから起きることを知っていてなお、なぜこんな表情が出来るのかわからなかった。ぼくは怒りにまかせてその手を引き、洞穴の脱出口を目指した。


 村は静かだった。


 予想に反して、少女が未来を見ていたのだとしたら、密かに村人たちを逃がしていたのかもしれない――そんな思いもよぎったが、どうやらそれも違ったらしい。


 無言で抵抗する少女を引きずり、ようやく洞穴近くまで来たとき、その音は聞こえた。


 黒炎隊の機動力は、いつ見ても凄まじいものだった。山肌を駆け下りる姿を見つけたのはつい先ほどのことだというのに、村には火が放たれ、女たちの悲鳴が聞こえていた。


 谷間を反響して聞こえてくるその断末魔に、少女は抵抗をやめ、苦しそうな顔をした。ぼくはその表情に思わず声を荒げた。


「どうして村の未来を見なかった? 君にはその力があるのに、どうして!」


 振り向いた少女の目に、涙が光った。ぼくは続けた。


「力を使えば、ぼくの正体だってわかったはずだ! 村が滅ぶのは君のせいだ! 君が皆を導かなかったからだ!」


 未来見の力があれば、すべての不幸は避けられる。もし、そんな力が備わっていたなら――泣きたくなるような怒りがこみ上げるのは、ぼくにその力がないからだった。無力なぼくのせいで村は滅びた。すべては失われた。


 けれど、彼女は違う。それなのに彼女はその役目を怠った。これがその結果なのだ。彼女に涙を流す資格はない。


「なぜだ! そんな力を持ちながら、なぜ君は使わない? 皆を守るために役立てないんだ!」

「……母は、そうしたわ。私たちは滅ぶべきじゃない。滅ぶべきは、戦で人々を殺戮する権力者の側だと、そう言って」


 少女はつぶやくように言った。ぼくは怒鳴り返した。


「当然だろう。力のある人がすべきことだ」

「でも、母は何もできずに死んだ」


 真っ直ぐに瞳を見つめられて、ぼくはたじろいだ。少女はそのまま続けた。


「祖母もそうして、そして死んだ。曾祖母も、それからその前の長も。だから、私たちの村は幻と呼ばれた。権力者の追い求める、幻と」


 村の上空は炎で明るく照らされている。そのせいで、あんなに美しかった星明かりは影を潜めていた。


「だったら、君もそうすればよかったんだ」


 ぼくは言った。


「そうすれば、村の最期は見なくて済んだはずだ。君の一族がずっと守ってきた村だろ」

「……ジルランド将軍は、敵を皆殺しにするのよ」

「知ってるよ。だから、君は村を守るべきだったと言ってるんだ」


 少女の言葉の意味がわからずに、ぼくは言った。少女は小さく首を振った。


「なぜなのか、あなたはそれを聞いた?」

「それは……」


 生き残りの心にはどうしても憎しみが残る。その憎しみは次の戦いの火種となる――それがどういう意味なのか、理解は出来ない。けれど、その言葉だけは覚えている。


「いいの、わからなくても」


 すると少女はほんの少しだけ微笑んだ。その表情はどこか痛々しい。まるで、ここで自分は死ぬのだと悟りきっているかのように。


 けれど、それは違う。未来を見ていない彼女の知らないことを、ぼくは知っている。それはぼくたちはどちらともここで死ぬことはない、という事実だ。


 ぼくたちはこの洞穴から村から脱出する。そして、夜が明けたらそこで狼煙を上げ、将軍の迎えを待つ。こうしてぼくは功績を積み重ね、彼女は未来見をし、将軍の下で生かされる。命さえあれば、ほかには何もいらない。


「……話は、村を出てからにしよう」


 吐き捨てるようにそう言うと、ぼくは少女の手を引き、洞穴に入った。


 下見をしたときに用意しておいた松明に火をつける。そうして炎で照らされた通路を進む。谷の反対側に出る脱出路だ。


「……逃げても、むだよ」


 引きずられるように歩きながら、少女が言った。


「どうして」


 荒い息をしながら、ぼくは問い返す。


「言ったでしょう、母は逃げたわ。けど、死んでしまった」

「どういう意味だ」

「そういう意味よ。例え未来を知っていたとしても、それを避けられないこともある。それに誰かの些細な行動で、未来はたやすく変わってしまう」

「だから何だ。それでも先手に立てることに変わりはないだろ。相手の先回りをすることが出来れば、それは最強の――」

「じゃあ、どうしてその最強の力を持った私たちが、こんなふうに逃げ回ることしか出来ないの?」


 ぼくは彼女を振り返った。松明の炎のせいか、額からは汗がしたたり落ちる。


「なぜ、か?」


 一瞬の戸惑いの後、それは権力を望まなかったからじゃないかと言いかける。少女はそれを制した。


「違うわ。私たちは未来が見えるからこそ、逃げることしか出来ないのよ。それがどんな些細な不幸でも、見えてしまったら避けずにはいられないから」


 だから私たちは隠れ住むことしか出来ない。誰もが求める力の持ち主であるにもかかわらず――少女は続けた。


「私はずっとそんなことを考えていたの。そうするうちに母が捕まり……私はジルランド将軍の未来を見た」

「将軍の?」

「そう。平和のために殺戮を続ける彼の未来を。そして知ったのよ。


 そのときだった。


「こんなところに洞穴があるじゃねえか」

「ネズミが逃げ込んだかもしれんなあ」


 男たちの異様な笑い声が反響し――ぼくは青ざめた。


 手筈では、黒炎隊が村を襲撃する頃には、ぼくらは脱出を終え、安全な場所に避難しているはずだった。つまり、彼らはぼくらがまだ村に残っていることを想定していない。


 見つかれば殺される――ぼくは再び少女の手を引いて走り出した。とんだ失策だ。彼女が未来を見ていてくれれば、そして死にたいなどと世迷い言を言わなければ、回避できたはずの事態だった。


 と、目の前に現れた光景に、ぼくは息を呑んで立ち尽くした。


 体中の血液が音を立てて引いて行く。どうして、なぜ、疑問が頭を駆け巡り、その間、耳は近づいてくる黒炎隊の音を聞いた。


 ぼくの目の前には道がなかった。そこに続いているはずの通路は、途中で大岩に阻まれ、行き止まりになっていたのだ。


「……私、自分の未来なら見ていたのよ」


 呆然とするぼくの隣で、少女がつぶやいた。声が近づいてくる。向こうもこちらに気づいたようだ。松明の明かりに照らされて、少女が微笑んだ。


「大丈夫、私が先だから」


 少女がそう言った瞬間だった。彼女を赤い血飛沫が覆い、ぼくは後ろを振り向いた。


 味方だ――そう叫んでも無駄だった。ぼくの意識は次の瞬間、途切れた。


【滅ぶべき者――完】

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