第34話 桃果

 そういうところが彼らしいな、と宮子は寛斎の横顔を見つめた。鈴子が咳払いをして、こちらを見る。

「で、私は、桃果ちゃんを人目につかないよう、ここへ連れてくればいいのかな」

 恥ずかしさをごまかすように、宮子は何度もうなずいた。

「そう。その通り。……それと、もう一つお願いがあるんだけど」

 宮子が説明すると、鈴子は「しょうがないな、任せて」と笑い、法被はっぴ姿の女性たちの方へ走っていった。


 子ども神輿みこしが駐車場へ入ってくる。太鼓がドンドンと鳴り響いて止まり、休憩を告げる。

「お疲れさまー! ジュースとお菓子だよー」

 鈴子が袋を持ちあげて声をかける。一斉に走り寄ってくる子どもたちに、あとの四人の保護者と一緒になって、袋を配っている。


 桃果は、鉢巻きが取れてしまった小さな男の子の後ろへ回り、結び直していた。「おーかーしー、おーかーしー」と、男の子が足踏みをする。

「はい、オッケー」

 桃果が背中をたたくと、男の子はお菓子をもらいに走って行った。


「桃果ちゃん、すっかりお姉さんだね」

 母親の泰代が、桃果のとなりにしゃがみ、目を細める。

「だって、もう二年生だもん」

 得意そうに桃果が言う。鉢巻きをした頭は、きれいに編み込みがしてある。


 鈴子が、ジュースとお菓子が入った袋を手に、桃果へと近寄る。

「桃果ちゃん、えらいねえ。はい、どうぞ」

 袋を渡すと、桃果は嬉しそうに受け取った。泰代が、「ありがとうございます」と声をかける。さっそくジュースを取り出そうとする桃果に、鈴子はおどけて言った。


「あ、その前に、トイレ行っとこうよ。出すもの出してから飲んだ方がいいって」

「もう、お姉ちゃん、下品」

「やー、ごめんごめん。でも、もうすぐトイレ混むから、今の内に行っとく方がいいよ」

 それ持っておくから行ってきなさい、と母親に言われて、桃果は袋を預けた。

「もう。アイドルはトイレ行かないのよ」

「はいはい」


 軽口をたたきながら、鈴子が桃果をトイレへと誘導する。戸口前の目隠し壁に入る。これで泰代からは見えないはずだ。

 鈴子が建物脇を指さす。

「あ、ネコだ!」

 ニャンコニャンコと言いながら、鈴子が建物の角を曲がる。

「え、どこどこ」

 桃果があとをついてくる。


 角を曲がったところで、寛斎が印を結んで真言を唱え、術をかけた。

 糸の切れたあやつり人形のように、桃果がその場に崩れ落ちる。


「……ごめんね」

 寛斎が小声で言って、桃果を抱き上げる。


「早く、術がとける前に行かなきゃ」

 人目につかないよう、宮子たちは建物の後ろから、植え込みを出ようとした。


「桃果!」

 甲高い声に振り向くと、母親の泰代が立っていた。


「あなた、なんですか。うちの娘に」

 泰代が寛斎に詰め寄る。宮子と鈴子が、両脇から泰代の腕をつかむ。


「落ち着いてください。あの人は、悪い人じゃありません」

「桃果を連れて行こうとするのね! また一緒にいられると思ったのに」


 宮子は泰代の横顔を見た。もしかして、桃果が作り出した幻でなく、本物の槇原泰代だろうか。桃果の意識が途切れたにもかかわらず、消えずに自分の意思で動いている。まだ亡くなったばかりで、黄泉比良坂よもつひらさかを下る途中だったのだろう。


「泰代さん。……お気の毒ですが、あなたは死んだのです」

 宮子が言うと、泰代の動きが止まった。


「知ってるわよ。前にも聞いたもの」

 泰代が眉根を寄せて、宮子を見る。


「知ってる。知ってるけど、受け入れられない。もう、娘の成長を見ることも、守ってあげることもできないなんて」

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