第7話

 ◇

 店の奥からまだ巴の笑い声が聞こえていた。

 アキは彼女がテレビでも見ていることを願った。そうでなければ、今回の一件がかなりこたえていることになる。

「都会から来た?」

 アキの問いに歩はゆっくり頷く。

「そのうちにわかるだろうけど、ここにはここのルールってのがある」

 興味深そうに歩は、うんうんと頷く。

「まずは分相応ってやつだ。子供は子供らしく、大人は大人らしくすること。田舎の大人は考えが古いから」

 

 そう言いながらアキは店前の坂をゆっくり上っていった。歩もスポーツバッグをかつぎ、ラムネを持ってついていく。

「でも、テレビや新聞は毎日、最新のニュースを流しているだろ。大人はそれを熱心に見て考え、頭がこんがらがる」

 アキはこめかみにラムネを軽く当て、歩に歩きながら振り返った。

「都会じゃ、きっと子供がそうなんだろう。古い考えと新しい考え、そのどちらが正しいのかわからなくなって、最後にはキレちまう。田舎は逆さ。大人がしょっちゅうキレる。だから無難にすごすには自分をわきまえないといけないのさ」

 大人びたアキの言葉に、歩は首をかしげてたずねた。

「キレちまうってどういうこと?」

 ラムネを唇に当て、アキは、んーと唸った。

「えっと、あれだ。口喧嘩して、収集がつかなくなって、殴りかかるヤツっているだろ?」

 歩はかけあしでアキのとなりまでやってきた。歩の頭の高さにアキの鼻があった。

 あたりに民家はない。もう左も右も山だった。坂は終わり、今度はくねくねと曲がりの多い農道になっていくところだ。

「それって、理性が暴力衝動を抑えきれなくなるってこと?」

 どこかで小鳥が飛び立って、風が木々の葉をゆらす。歩の髪もさらさらと流れるように風に吹かれていた。

「だったら、キレる、というより、繋がる、のほうがいいと思う。普段は理性的思考が防波堤になって暴力衝動を抑えているから、それがくずれて暴力衝動と本能が連結するのはキレる、というより、繋がるといったほうが正しいもん」

 アキは足を止め、歩を見つめた。

「アユっていくつ?」

「十歳」

 けろっとした表情で喋る歩。木漏れ日の下に立っていた。

「すごいな。アユは」

 アキは言った――俺より三つ年下だ。しかし上級生でもこんなことで言いあったりしないと。

 世間で浸透しきっている言葉を真剣に考え、自分の意見をどうどうと主張する歩がとても遠いところにいる、別世界の人間におもえてしまう、と。

「勉強とか、やっただけ身につくタイプだろ?」

「アキは身につかないの?」

 両腕を広げて、アキは微笑みながら歩と並んで歩いていった。

「テストなんて赤点ばっかりさ。義務教育じゃなきゃ落第してる」

 それはハルもマサも同じだと付け加え、続ける。

「一夜漬けで暗記しても、本番になると忘れるんだよなぁ」

「それはそうだよ。バイオリンでもそう。一晩だけ練習すると、一晩で練習した音しか出ない。それと同じ。テストで百点をとるには、百点ぶんの勉強をしないとだめ」

「でも才能だってあるだろ」

「お父さんがね、すべての人にバイオリンの才能がゼロなんてない、ただ、人によってその適性が低いか高いかというのはあるって言っていたよ。だから練習する。適性の差を埋めるほどの練習をして、満足する音がだせるまで、がんばる」

 

 歩いているとラムネのビー玉がカラカラと音をたてる。小鳥たちの声は聞こえなくなり、セミがジージーと鳴きはじめた。

 アキには、歩の意見にセミたちが賛成しているようだった。

「俺、オンチなんだ」

 

 アキが自分からそう告白するは、はじめてだった。ハルやマサには、それを否定してきたし、自分自身にもそういいきかせてきた。でも、心の片隅で嘘をついているという、うしろめたさがあった。

 それを初対面の女の子にどうどうと語れるのは、とても不思議な感覚だった。

 歩には何でも話せる気がした。そしてアキを悩ませている多くのことを解決させてくれるとおもった。

「一人で歌っていても、全然うまくならない……練習が足りないのかな」

 歩はその問いにすぐ答えてくれた。

「一人でだめなら、たくさんの人の前で歌って、意見を聞くべきじゃないかな。お父さんが、歌は、リスナーのためにあるって言ってたから」

 真夏の久世は暑い。都会の温室効果による暑さはちがった本当の灼熱になる。

 歩にはそれに耐えられるだけの力があると、アキはラムネを飲み干して確信した。

 歩のもつラムネは、ほとんど減っていなかった。

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