第7話 実検

「どこから質問して良いのか……」

 不意に漏らした言葉が、原田の頭の中の靄を取り払い、彼を次の行動に導いた。

「先ほどの『依代』を開発したのは、あなたのお父様である剣持秀長さんであり。先日の記憶消去を行う必要のあった、あの破壊は『まずいもの』、つまり『依代』の使用者に向けて行われた、ということで良いのですか?」

 話を統合すれば自然とこの結論に行き着いた、危険とはこの『依代』の事だ。

 彼女は少し驚き、そのあと笑った。釜坂も似たような感情を抱いているようだ。

「ええ。より正確に言えば、『依代』は剣持秀長が古記録や遺物から再現したものであり、私が倒したのは、その『依代』に宿ったものですが」

 混乱した状況でありながら、内容を把握していた原田に、剣持は敬意を抱きながらそう説明した。

「『依代』は、本来のものと変わらないと、あなたは先ほど仰ってました。ということは、あの時は、神を殺したと?」

このように緊張した状況でも、意外と頭が回るものだと、原田は喋りながら心のどこかで自身に感心した。依代とは、神霊が宿る物体のことで、その場所で神を祀るために宿らせる神体などを指すと、釜坂から聞いたことがある。そこから順当に考えればあの剣持に両断されたものは「依り代に宿っていた神」なのだろう。

「説明を省けて助かるでしょう」と釜坂が、笑いながら剣持に言った。

「ええ」

 釜坂に返答し、剣持は、再度原田を見据えた。

「原田君、あなたの考え方で間違いはありません。でもあれは、本来の神の能力とは程遠いものでした、私に倭建命やまとたけるのみことのようなことが可能だったわけではありません。あくまで仮の姿を倒しただけです」

 剣持の返答の意味は解る。だが、彼女の発した言葉は、神の存在を肯定して、その能力や影響についてまで言及するものだった。どんなことでも受け入れようとしていたものの、原田の心中は決して穏やかではない。

「どのようすれば、その仮の姿を倒せるのですか?」

 神の存在(『依代』に宿るのだから、それはとりあえず八百万の神であろうが)は、今は問題ではないと、原田は雑念を振り切り、話をスムーズに進めるために、剣持の目的を果たす方法を尋ねた。

 調理法を聞くことで、どういう料理か推測できるようなものだろうか。多分、それを聞けば、全体像に迫れるはずという確信が彼にはあった。

「『依代』の破壊、もしくは、『依代を扱う人間』の殺害に大別されます。両方とも媒介の破壊なので、本来の神といった存在に影響はありません」

「先日は、どちらの方法でしたか」

 一般の高校生らしく、人道主義に溢れる台詞が原田の唇を離れた。先ほど、剣持は『依代』に宿ったものを倒すだけと言ったが、その過程で人を殺すことを厭わないと付け足されるケースを、どうしても排除しておきたかった。もちろん大丈夫だとは思うが。

「前者です、これまでは全て」

 速やかに返事が返ってきた。それは、今までの澄み切って美しい調子と比べれば、どことなく、先日の夜の街路を想起させる迫力に満ちた声だった。

「あなたがあの晩目撃したのは、また少し特殊な事例でした。あの死骸は宿した神のせいで肉体を変化させた『依代』の使用者ではありません。完全に自己の肉体を持ち、『依代』の使用者に遠隔操作された『使い』というものでした。命が関わらないため、普段とは違って少々乱暴な方法で片付けたので、驚かせてしまったでしょう」

 あの時見たという『使い』と呼ばれた異形の全貌は、未だ記憶に靄がかかっているように、うまく思い出せないが、確か人間より一回り大きいものが両断されていた気がする。

 情報を上手く整理できたと同時に寒気がした、背が高く運動も得意そうな彼女であるが、あのような破壊が行えるとは到底思えない。『依代』による異能とはそれほどのものなのだろうか、いや――暗闇の街路と神社での再会が脳裏を過ぎる――或いは彼女自身が……。

 原田はそこで考え込むのを中断した、剣持の説明が続いていたからだ。

「普段なら、むしろ宿した神に行動を左右され、半分異形と化した使用者が暴れます。そしてその状態であれば、『依代』を破壊さえすれば、人間は元に戻ります。異形へと化生した痕跡は、先ほどのアクセサリーのような『依代』の残骸が残るのみ……救えるのです。」

 剣持自身、あの晩の敵に対して、腑に落ちない所があるらしい。今回の彼女の標的はよほどの難敵なのだろうか。

「『依代』は、神に由来する、変身や特殊な力を普通の人間に持たせることができる。『依代』が破壊されると使用者は特殊な力を失う」

「悪用を防ぐために忍さんは『依代』を用い、『依代』を破壊している。」

 情報をまとめる原田の言葉を、釜坂がフォローするように継いだ。原田の頭の中で大体の整理が終わり、次の問いが導き出された。

「では、その『依代』が悪用される状況になったのは何故でしょうか?」

 なぜ、こんな危険なものが出回ったのか、その納得できる経緯が原田には想像できなかった。

「それも、剣持秀長のせいです。今悪用されている依代の全ては、彼によってばら撒かれました」

 声色に感情の起伏が見て取れないのが、逆に彼女の深い憎しみを表しているようだった。

「先ほど申し上げた通り、この件に関して念頭においていただきたいことは、剣持秀長こそが元凶であるという事実です」

 なるほど、これも『剣持秀長』かと、原田は合点した。先刻の説明は本当にその通りらしい。彼女の父親というイメージから、『依代』は、ノーベルにとってのダイナマイトみたいなもので、彼女は、父の作ったものが悪用されることを気に病んでいるのかと可能性の一つとして考えていたが、それは今潰えた。

 この『依代』の流通さえも、基本的に一つの強い意思、すなわち開発者である剣持秀長自身によって行われていた。そしてその身内の罪が、彼女に覚悟を負わせ、揺るがぬ決意をもたらしたのであろう。

 剣持秀長は悪という判断で良いのかもしれない。

 憂いを秘めた彼女を見る原田の中に、一つの疑問が芽生えた、『秀長』の正体についてだ。何故ただの人間に、道具を用いて神の力を借りる、そんな大それた事が行えたのだろうか。

「原田さん。秀長――私の兄については、追々私から説明させてくれませんか」

 まるで心の中を見透かされたように、先ほどまで黙して事の成り行きを見守っていた男から、絶妙なタイミングで言葉が届いた。

「弟の、この剣持雪実けんもちゆきざねに任せて下さい」

 秀長との関係、更に、剣持雪実と自身の名前をわざわざ示すこの言動には、父親としての責任感と剣持忍への恩愛が含まれていたことは明らかだった。原田は頭を下げた、それが今、一番彼に対し相応しい行動だと思った為だ。

 雪実は、小さく頷くと、戸を開け出て行った。

「父が蔵を開けるまで、可能なことは説明しましょう。何か気になることはありますか」

 少し生気を取り戻したかのような剣持に、原田は『秀長』のことを聞くほど身勝手な男ではなかった。しかし「『依代』の悪用とは、どの程度の被害が出るものなのですか?」と、量刑に結びつくある種の核心は口に出してしまった。追求の性質は行き過ぎると諸刃に研がれるのだろう、避けて通れぬ問題とはいえ、原田は今ばかりは自身の性格を呪うこととなった。

「被害の規模は大小様々です。利益のために使用者同士が協力関係を結ぶことはありますが、特定の思想を持つ集団などはありません。特性を利用して、各人好き勝手に目的を果たすだけです。」

「『依代』の性質については良く知りませんが、……盗みや復讐とかですか」

「ああ、その通りだよ。悠介」

 まさかと思いつつ口にした原田に、下らないことだと言うように釜坂が応答する。

「神の力を得ようとも、集団化するわけじゃない、危険思想を実行に移すわけじゃない、証拠のない方法で、防ぎようのない手段で、普通の人間と同じことをするだけだ」

「そろそろ頃合いでしょう」

 立ち上がった彼女は窓の外を見ていた、視線の先には蔵があり、剣持雪実がその前に立っていた。三人は、玄関に向った。

 かんぬきの先に広がった光景は、原田にとって容易に信じられるものではなかった。

「すごい」

 原田の感嘆の言葉はそれ以上続かなかった、それよりも、頭は鑑賞を優先したらしい。

 蔵の中は、まるで博物館のように展示ケースが並び、その中には様々な刀剣類が展示されていた。今まで続いていた質問を中断し、彼は眼球の運動に全力を注ぐ。

「温度、湿度、全て最新設備を導入した博物館の収蔵庫並みに調整されています。光量だけはこの蔵の用途により時々変わりますが」

 雪実の言葉は頭に入っていたが、余計な意見を口に出す原田ではなく、あこがれ続けた名刀を、ただただ観察していた。

「備前長船……兼光」

 しかし、名刀を前に、思わず口に出てしまう。

「詳しいですね」

「いえ、そんなことは」

 振り向く際に、雪実の後ろにいた釜坂が笑いかけているのが見えた。原田をこの事件に巻き込みたくはなかったものの、どうやらこれは見せたかったらしい。

「半分くらいは、兄が集めたものです」

 雪実が補足した。剣持の家に引き継がれた品々というのは、種別も刀剣に限らず、その量も多いらしい。しかしより多くの刀剣を手元に置きたいとの剣持秀長の意向ゆえ、他の文化財や美術品は、別荘で保管したり、美術館や博物館に寄託しているという。

 原田の鑑賞が一段落するころを見計らって、剣持が口を開いた。

「『依代』の効果をお見せしましょう。そちらのほうが解りやすいでしょうから」

 剣持の言葉に呼応し、釜坂が右手を、まだ余韻が冷めず落ち着かない原田に向かって突き出し、握り締めた。

「『依代』の効果は様々だ。神を宿し、その力の一部を抽出するというのは共通するが、使用者のイメージにより形式はだいぶ違う。僕は、宿した夜刀神(やとのかみ)のイメージが、そのまま出た感じかな、さっきも見せたように、黒い蛇が出せる」

 解かれた拳から一筋の黒煙があがった、釜坂の腕に沿うように煙は動き、黒い蛇に変わっていく。

「『常陸国風土記ひたちのくにふどき』に「見る人あらば、家門破滅し、子孫継がず」とあるように、夜刀神には姿を見たものは一族ともに滅ぶという言い伝えがある。『依代』がこの蛇神を宿したため、ぼくが呼び出す蛇には、人を恐怖させる能力がある。差異はあるが、その恐怖で人払いをしたり、記憶を混乱させたりすることができるんだ」

 友人の腕をするすると這う蛇と目が合った、確かに観察すればするほど、不安感や寒気が体の奥底からこみ上げてくるような気がした。

「記憶を消された夜、剣持さんのいる方に近付くにつれ、気持ちが悪くなっていったのはその蛇の力のせいってことか」

「そうそう。しかも、あの時は十数匹同時に出して、それぞれ全力で力を使っていたからね。まともな人間なら、半径70メートルくらいからは、不吉を察して入ってこられない程度の効果はあったんじゃないかな」

原田の質問に、恵一が抜かりなく答えていく。

「恵一は使用者だから問題ないだろうが、剣持さんは大丈夫なのか? やっぱり『依代』を使っている人間は他の『依代』に宿る神の力にも耐性があると考えれば良いんだろうか」

 原田は依代の特性を自分なりに推測してみる。

「もちろんそれもあるし、ちょっと訓練した結果、任意の相手をその効果から外すことも出来るようになったんだ。最も忍さんは、こういう精神干渉に滅法強いんだけど。この前みたいな常人なら発狂する距離で使っても、怯ませるくらいしかできないだろうね」

 原田はなるほど、と、剣持曰く『依代の実害』の多様性に感心しながらも、納得できない言葉を聞き逃さなかった。

「常人では発狂する距離って言ったけど、俺もあの時わりと近かったよな?」

「うん、なんかそこまで考えてなかった。……まあ、僕の力はそういう感じ、でも悪用の方法はこういう比較的暴力的じゃないものでも、すごい有りそうだろう。それで対応に苦労しているわけさ」

 釜坂は、原田の言葉を確実に聞いていたのにまともに取り合わす様子がなく、その態度に不安になった。しかし、上等な展示ケースを使っているとはいえ、こんな貴重品だらけの場所で暴れるわけにもいかず、原田は追及を諦めた。なによりは話しの深刻さも増したところだ、流すのも仕方あるまい。

「では、どういう方法で、『依代』を破壊しているかお見せしましょう。これからの計画も立てやすくなる」

 剣持はいつの間にか一振りの刀を構えていた。彼女は腰にもって行く過程で鞘を僅かに揺らし、原田の視線を刀に集中させ、原田にもわかるようにゆっくり鯉口こいくちを切った。

 刀はそのまま抜けていった。あくまで鞘を持つ左手が僅かに動いただけで、その一振りは完全に抜き身になってしまった。だが、刀は床に落ちたわけではない(そもそも、柄を天井に向けていたのに鯉口を切っただけで抜け落ちる訳がない)。

 抜き身の刀は、自ら鞘から飛び出し、空中で静止していた。

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