第8話 心の味覚


 「不味い……」


 今年で11歳になったケモルフ族の少女テテルはウゲェと舌を出し素直な感想を述べた。


 テテルが食べたのはどこの家庭にもある一般的な保存食。ザワークラウトだ。


 キャベツを塩と香辛料と共に漬け自然発酵させた漬物で、その味はしょっぱく酸味があり、味は家庭の数だけあると言われている。


 そのまま食べることも多いが、肉や魚と一緒に煮込んでスープにしたり、味を付け足してパンに挟んだりと一手間加えて食べることも多く、意外と汎用性の高い食料でもある。


 ただ、発酵させた食品だけあって、その独特のクセに好き嫌いが大きく分かれる食べ物でもあった。


 「……うぅ、やっぱりこの味はどう料理されても好きになれないな」


 テテルは口の中に広がるザワークラウトの風味を水で飲み込むと別の皿に盛りつけられた鶏肉のソテーを口直しに食べた。香ばしい食欲をそそる肉汁が口の中に広がり先ほどの不快な味を一瞬にして忘れさせる。


 そんなテテルにカルム食堂の店員ドロシーは呆れながら水のおかわりを注いだ。


 「苦手ならどうして注文したのよ」


 「実はこの間、兄ちゃんがわざわざ実家からザワークラウトを送ってもらってたみたいでな。テテルは『そんな不味いものよく食べられるな』って言ったんだ。そしたら兄ちゃん『大人になるとこの味の良さが分かるんだよ。まぁ、子供のお前にはまだ早いか』って言ってテテルのことを馬鹿にしたんだ!」


 「あぁ……、それでテテルも挑戦しようと思ったのね」


 テテルは負けず嫌いな性格なのでその挑発に触発されたのだと理解したドロシーはさらに呆れてしまった。


 「テテルはもう子供じゃない! 立派な大人だ! お金も自分で稼いでいる。だからテテルももうザワークラウトを美味しく食べられるはずなんだ! ……と、そう思ったんだが」


 「美味しく無かったわけね」


 「う、うむ……。故郷の村で食べたときとあんまり変わらなかった……」


 そう言ってテテルは語り出した。故郷でザワークラウトが良く食卓に上がっていたこと。残そうとして親に怒られたこと。ザワークラウト以外の美味しいものを食べられる生活をしようと決意したこと。


 テテルがまだ幼いながら兄であるフェンリと共にこの街で働いているのにはザワークラウトから始まった様々な理由があったのだ。


 「本当に大人になるとこんなものが美味しく感じるのか? コーヒーもそうだが、テテルにはちっとも美味しいと思えないぞ」


 テテルは尻尾と耳をチカラ無く垂らし、小皿に盛られたザワークラウトと睨めっこする。


 まるで飼い主に怒られた小動物のようだとドロシーは思ったがそれは彼女のプライドに傷を付けてしまうので言わないことにした。


 「大人になると味覚の一部が悪くなって子供の頃には食べられなかったモノが食べられるようになるとは聞くけれど……」


 「そうなのかっ!?」


 「でもテテル。あなたはまだ11歳でしょ? ケモルフ族の成人が何歳からかは知らないけど、味覚が悪くなるのは……、その……、人として老い始めてからじゃないかしら?」


 そういってドロシーは明後日の方向を向きながらテテルに説明した。


 ドワーフ族であるドロシーは24歳という年齢でありながら外見は他種族の十数歳程度のままだ。オルド族やケモルフ族と違い年齢相応に老いることも無く、同じように老い無いエルフ族と比べてもさらに若い状態で成長が止まる。そんな自分がカルムやヒスイ、テテルたちと同じような味覚を持っているか自信が無かった。


 「なら、ドロシーには無いのか? 嫌いな食べ物とか苦手な食べ物」


 「あたし?」


 ドロシーは顎に手を当てて少し考える。


 「そうね……。ロクに血抜きをしてない野生の獣肉は不味かったけど、食べられないほどでも無かったし、爬虫類もちょっと変わった味だったけど普通だったし……。木の根っこはさすがに食べ物として考えたらダメでしょうから……う~ん……」


 「い、いや、テテルが聞いてるのはもっと普通の食べ物で……だな」 


 「腐った卵……かしら……?」


 「…………、それは食べ物として考えて良いのか?」


 「正直、あれを食べるくらいなら毎日木の根っこをかじってた方がマシね」


 「ドロシー……。それ、どこまで本気でどこまで冗談なのか分からないぞ……」


 丁度そんなときだった。店内にヒスイの「いらっしゃいませー!」という元気の良い声が響き別の客が来店したのは。


 テテルが目を向けると黒い服を着た初老を迎えたばかりのオルド族の女性のようだ。


 それまでテテルと喋っていたドロシーもすぐに接客モードになりすぐに来店したお客を出迎える。


 「店員さん。オムレツの中に具を入れたモノって作れるかしら?」


 黒服を着た初老の女性はテテルの隣りの席に座りすぐ近くにいた店員のドロシーに注文をした。カルム食堂にはちゃんとメニューも用意されているが、こうして客の要望に答えて料理を作ることも多いのでそれほど珍しいことでは無かった。


 「ええ、出来るわよ」


 カルムに確認を取るまでもなくドロシーが答えると初老の女性は喜んで注文を続けた。


 「それじゃ、ザワークラウトを包んだオムレツを作ってくださいな」


 「っ!??」


 ザワークラウトという言葉にテテルは思わず反応する。ついさっきその不味さを体感したばかりなので注文の内容が信じられなかったのだ。


 その後、すぐに注文通りのザワークラウトを包んだオムレツが出来上がる。


 ふわふわに焼かれたオムレツの中は少し半熟で、女性がナイフを刺すとトロリと溶けた黄身がザワークラウトに絡み合うように姿を現した。


 見た目だけなら十分に食欲をそそる見栄えにテテルはさすがカルムだと関心したが、それ以上に初老の女性がそんなザワークラウト入りのオムレツを嬉しそうに食べていることが衝撃だった。


 ―――やっぱり、大人になると美味しく感じるのか?


 テテルはすっかりザワークラウト入りのオムレツを嬉しそうに食べる初老の女性から目が離せなかった。


 「な、なぁ、おばちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、良いか?」


 「あら、どうしたの? 可愛らしいケモルフのお嬢ちゃん」


 「おばちゃんは、いつからザワークラウトが美味しいと感じるようになったんだ?」


 「え……?」


 「テテルにはまだザワークラウトを美味しいとは感じられない。でも大人になると美味しく感じると聞いた。だから教えてくれ。おばちゃんはいつからザワークラウトが食べられるようになったんだ?」


 ザワークラウトはテテルにとって未だに不味いとしか思えない食べ物だ。『大人になるとこの味の良さが分かる』と言った兄の言葉を信じるなら食べられるようになる時期があるはずだとテテルはそう考えた。


 「ふふっ、まさか。 おばちゃんもね、未だにザワークラウトはあまり好きじゃないのよ」


 しかし、テテルの期待とは裏腹に初老の女性は反対のことを言う。


 「ど、どういうことだっ!? だって、今、笑顔で食べてたじゃないか!?」


 「このザワークラウト入りのオムレツはね、おばちゃんにとって思い出の味なの」


 「思い出の……味……?」


 「そう、ザワークラウトが苦手な私のためにお母さんが良く作ってくれたのがこのザワークラウト入りのオムレツだったの。私、オムレツはとっても好きだったから」


 そう言って初老の女性は目を細めた。その目にはほんのりと憂いの表情が浮かんでいたがテテルはそれに気付くことは無かった。


 「で、でも、ザワークラウトは好きじゃないんだろ?? だったら、どうしてそんなに嬉しそうに食べられるんだ?」


 テテルには分からなかった。例え思い出のある料理だとしても、美味しいと感じられ無い食材の入った料理を笑顔で食べるだなんて考えられなかったからだ。


 「そうね……。それはきっと、この料理はおばちゃんにとって舌じゃなくて心の味覚で味わう料理だから、じゃないかしら?」


 「心で味わう……? 言ってることがよく分からないぞ」


 「ふふっ、お嬢ちゃんも大人になれば分かるわよ」


 結局それ以上テテルの聞きたいことは分からず、黒服を着た初老の女性は綺麗にオムレツを平らげると笑顔でお会計を済ませて食堂から出て行ってしまった。


 「また『大人になれば分かる』か。うぅ……、一体どういうことなんだ?」


 「まるでザワークラウトね」


 「んん? どういうことだ?」


 「時間が経つと変わるものもあるのよ。……いろいろと、ね」


 「あのおばちゃんが食べたものとテテルが食べたザワークラウトは漬けた時間が違うものだったのか?」


 「まぁ……、テテルも大人になったら分かるわよ」


 「うがー! またかー!」


 今はまだ意味が分からなくても、テテルにも数年後、または数十年後の未来にその言葉の意味がきっと理解出来るであろう。そう思ってドロシーは一人悩み続けるテテルを微笑ましく見守るのだった。

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