北港朝天宮

「あら、あなたは」

 そこに居たのはリンエイの妹である、シエイだった。

赤いベレー帽を被り、リンエイに似た丸っこい顔がにっこりとしていた。

「今日も来てくれたの?でも、日本人がここで媽祖様にお詣りするのって珍しいわね」

 媽祖様の像に対して拝んでいる俺をみて、シエイはそう言った。

「え?珍しいって?」

「そうよ、ここの媽祖様はね、漁を見守ってくれる神様なのよ。だから私たちのような海鮮店が多い場所に必ず一体、媽祖様を頂いているの。ほら、お店を開けると、総本山に行く時間が無いじゃない。だから、そこに行く代わりに私たちはここでお詣りをするのだけど、一般観光客はしないのよね。だから、あなたがしているのを見て、珍しいと言ったわけ」

 若い子らしい軽快な口調で説明をしてくれたシエイだった。

「そうなんだ。まぁ、確かに仕事してるとしょうがないよね・・・・・・って、あれ?今、総本山って言ったの」

「うん、言ったわよ」

「それは慈明僧のところじゃなくて?」

「うん?慈明僧?」

 考えるためか、唇の端っこに指をあてたシエイは次の瞬間にケタケタ笑った。

「あ、慈明僧だね。違うわよ、その廟は分廟の一つよ」

「え?」

「総本山は中部にある、北港朝天宮だわ」

「!!」

「ち、ちょっと痛いじゃない」

 思わず俺はシエイの肩を掴んでいたようだ。

そうか、まだチャンスはある。

リンエイ慈明僧も、その媽祖様からお告げをもらったというので、俺はてっきり、その廟か、今目の前にある像にお詣りをすればいいと思っていた。

でもこの二箇所はあくまで媽祖様の分身なんだ。

それなら、俺は声が聴こえてこないのも無理はない。


 シエイにお礼を言って、その北港朝天宮について詳しく聞いた。

が、シエイも行ったこと無いという。

しょうがない。

俺はタクシーで台北駅に向かいながら電話で斉藤さんと一緒にいるであろう呉に助けを求めた。


 三時間後、俺の姿は北港朝天宮の本殿の入り口にあった。

途中、呉の指示に従って台湾版の新幹線に乗って中部に来ると、後はタクシーにお願いしてここに連れて来てもらった。

本当はバスの方がずっと安いのだが、時間的に一時間に一本もなく、それを待っていると、二十三時を超えそうだったので、タクシーにした。

 時計が二十二時を指しているにも関わらず、総本山というだけあって、人がまだたくさんいた。

売店も様々なものを売っていた。

浅草の雷門通りのような雰囲気であった。

が、残念ながら観光する予定を持っていない俺は、素通りを決めていた。

売店で線香買った後、火をつけ、ぶつからないように持って本殿に入る。

慈明僧の教えたお詣りの仕方をしながら、俺は真剣に祈った。

「俺がリンエイを復活出来る方法を教えてほしい」


「ないわよ」

「!!」

 小さな声が聴こえた。

聴こえたが、今のは「ない」と言っていた?

どういうことだ!?

聞き間違いか?

「俺がリンエイを復活出来る方法を教えてほしい」

「だからないってば」

 もう一度祈ったら、今度は前の方からはっきりと聞こえた。

お辞儀の途中だったが、無理やり上半身をあげると、目の前に真っ白な布を斜めに纏った女性がいた。

年は俺と同じぐらい?かも。

微笑みを浮かべながら俺に近づいてきた。

あれ、浮かんでないか、この人?

周りを見ると、参拝者はみなお辞儀をして動いてない。

すべてが静寂だった。

唯一俺だけが顔をあげていた。


「え?これは声を聴いているってこと?」

「そうよ」

「!!」

 その応答が目の前に浮かんでいる女性から来ていることにびっくりして、俺はじっと見てしまった。

女性の向こう側に見える像に格好が似ている。

!!

 似ているどころか、その本人じゃないか?

「ひょっとして、媽祖様?」

「そうよ」

 おおお、やばい!その回答を聞いて、俺は速攻で地面にひれ伏せた。

いくら俺が無神論者とはいえ、本物の神様を目の前にして、立っているのは失礼すぎる。

それにしても、総本山は違う。

俺の祈りに対してすぐに回答をしてくれるとは思わなかった。

そうか、「ない」か……。

え?「ない」と言った?

いやいや、ここまで来て、ないと言われても……。

引き下がるわけにはいかない。

そう俺は罰が当たってもしょうがないとばかりに、顔を再度あげた。

「なぜないのですか?慈明僧がお告げの通りに三十日間、リンエイの身体をきれいに保管しているのです。リンエイもあなたに言われた通りに三十日間我慢して、それに、俺に取り憑いてきたのです。後は、俺がその復活の方法を教われば、リンエイは復活できるのです」

「そうんなこと言われても・・・・・・。ないものはないわよ。あなたができるのはこのまま帰ることよ。さぁ、お帰りなさい」

 そう言って、手を出口に掲げると、媽祖様はスーッと中空に消えてしまった。

とたん、周りの雑踏音が戻り、人々が動き始めた。

俺は信じられなかった。

これはリンエイに期待を持たせといて、その後で地獄に陥れるやり方ではないかと。

 

考え始めると、俺は怒りが心の底から湧き上がるような気がした。

これはあれか?

媽祖様とはいえ、何人もいて、さっき方はまだ若いから、そういう神力がないってことか?

だから、助けられるものも助からないってことか?


「失礼ね。私は私一人しかいないわ。それに、もう、あなたに出来ることはないと言っているでしょう」

 ポンッと音がするように、再び俺の前に媽祖様が現れた。

それと同時に、また周りの音が消える。

口に出さずに心の中で愚痴ったのにも関わらず、媽祖様にそれが聞こえていることにびっくりして、俺は思わず後じさりした。

顔を見ると呆れたように思っているようだった。

「でも、このままだとリンエイが居なくなってしまうじゃないですか。それを防ぐためなら俺は何でもします。ほら、お金なら」

 そう言って、俺は急いでカバンの中から赤い小包を取り出して、両手で差し出した。

中にはリンエイの結婚納金としてまだ台湾のお金で八十九万元ある。

寄付としても結構な金額のはずだ。

だが、それを見て、くすくすと媽祖様は手をひらひらと振った。

「お金をもらってもしょうがないわよ。ないものはないんだから。さぁ、早く戻らないと、台北に帰れなくなるわよ」

「いや、待ってください」

 と俺が叫んだ瞬間、周りが再度動き始めた。

だが、誰も俺の叫びに反応する人はいなかった。

みな、真剣に自分たちの祈りを捧げていた。

俺はそこで何度か同じお祈りをしたが、媽祖様はそれ以降姿を見せなかった。

 二十四時を超えて、そこを追い出されるまでだ。


 悲しみに打ち拉がれながら、俺は台北に戻ることにした。

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