海坊主 その2

あ、違った。

 あの赤いベレー帽の女に似ているが、あの女じゃなかった。まったく同じ帽子を被っていて、目頭や鼻のあたりは似ていた。

が、今目の前にいる女は、もう少し丸い顔をしていた。

それに、帽子の縁からは茶色ではなく、赤色の髪がすこし覗いていた。

色も違うし、長さも違った。

さらに、背の高さも違う。

さっきの女と比べると、背は十センチほど低かった。

顔がいつも鈴木を見ているような角度だったので、多分、百五十五センチぐらいだろうなと思う。

うーん、やはり別人だ。


「いらっしゃい?」

 あんまりにも俺がじっと見てしまったためか、首をかしげて俺に声をかけた後、男の方に向いた。

「ねぇ、パパ。注文の質問って何?」

「おう、シエイ。それがな、この日本から来ているお客さんがな……」

 そういって、男は俺の依頼を簡単に説明した。

シエイという子は不思議な顔つきで聞いていたが、俺をじろっと見た後、男にひそひそと話し始めた。

「え?パパ、この人大丈夫なの?日本人なんでしょう。以前の客みたいに、五人で来て、日本円で三千円を出しておなかいっぱいにさせろっていうんじゃないでしょうね。そんなの無理だわ」

「いやな、シエイ、このお客さんはちゃんと二千元って言っていたんだ」

「でも、この前の客も私に三千元って言ったもん。なのに会計するときに単位が円だなんて言い出して、挙句の果てに私たちを訴えると大騒ぎだったじゃないの。一か月前のことなのに忘れたの?」

「いや、一か月前は忘れたよ。それと、このお客さんはいい人っぽいから、大丈夫だと思うんだけど」

「もう、パパがそんないい人だから騙されやすいんじゃないの!」

 両手を上げて、この前の客がどれだけひどかったかを父親である男に強調するシエイ。

このシエイは声も若かったし、顔も丸く童顔だし、ひょっとして高校生あたりなのかも。

もう少し年齢が高ければ、あの赤いベレー帽の女にもっと似そうだ。

でも、どんな関係なんだろう。

と、その場とまったく違うことを考えていた俺だったが、ひときわ甲高い声に意識が目の前のシエイに戻った。

「しかも、ずっと私を見てるわよ。気持ち悪いんだけど。もう、パパが頼りにならないのならいいわよ、私が断るわよ」

 と失礼なことを言いながら勢いよく俺の方を向きなおしたシエイの鼻先に、右手で二千五百元を差し出した。

「はい、現金」

「え?」

「あ、五百元多かった、ごめんごめん」

 そういって、俺はわざと左手で五百元札を一枚取り上げると、ポケットに戻した。

残った手で、二千元をシエイの手に押し付ける。


「これで大丈夫かな」

「……」

 口をハトのように開け、先ほどの勢いを削がれたシエイは黙って俺と手に握りされたお金を見比べた。

「ほら、シエイ、ちゃんとしたお客さんだろ」

「そうみたいだけど。え?でも、なんであたしたちが話していること分かったの?日本人なんじゃないの?」

「いや、俺もよくわからないが、まぁ、そういうやつもたまにはいるだろう」

「そ、そうだけどさ。で、でも、私のことをずっと見てたわ」

「おう、それはシエイのことが可愛いから気に入ったんじゃないのか?」

 父親がいい歳をした娘を客の前で褒めているなんて、日本では聞いたことがなく、今度は俺があんぐりと口をあける番となった。

さらに、満更でもないような態度でシエイはこちらに視線をよこした。

「い、いや、君に似た同じ赤いベレー帽を被った女の人を見かけてね。それでちょっと見比べていたんだ」

 さすがに外国でしかも高校生に手を出すほど、飢えてはいない俺は急いで解説した。

が、それがよくなかった。


「!!!」

 

二人とも呆然とした表情で動きが止まった。

次の瞬間、男は野獣のように俺に飛びかかった。

ただでさえ大きなガタイが俺の目の前に来た時には壁のように見え、運動神経が悪い俺は何も反応出来なかった。

そのまま潰されるかと思いきや、胸に痛みが走り、顎に衝撃を受け、目の前が真っ暗になった後、俺は身体が持ち上げられた感じがした。


「きゃー!パパ止めて」


 何も見えず、悲鳴をあげることさえ忘れた俺の代わりに、誰かが悲鳴をあげた。

俺もあげようと喉に力をいれそうとするが、何かが喉を圧迫してうまく伝わらず、フーフーという空気が抜けたような声しか出せなかった。

思わず喉に両手を回すと、二本の太い何かが俺の胸ぐらを掴んでいたのを分かった。

息苦しい。パタパタと両手でその何かを叩くが、何も変わらない。

逆にもっと力を入れてきた感じがした。さらに息苦しくなった。


「ちょっとパパ止めなさいって」

 まだ、目が見えず、状況が分からない俺はもがくことしかできなかった。

そのうち、俺の他に、その何かを外そうと、柔らかい何かが俺の手と一緒に動いた。

「いいから離しなさい」

 ふと固かった何かが柔らかくなり、俺は踵に衝撃を感じたが、うまく立てずに後ろに転んでしまった。


「きゃー!」

 今度はどこかで、またもや誰か若い女が悲鳴を上げていた。直後、柔らかい何かが、俺の手を引っ張る感触がしたが、足に上手く力が入らず動けなかった。

「ちょっとパパ手伝ってよね」

 今度は太い何かが俺の両脇にを抱えると、また持ち上がる感じがした。

「ほらよっ。これなら立てるだろう。どうだ?」

 踵が地面に付いているのを感じ、脇の何かの助力を受け、ようやく立てるようになった。

「ねぇ、あなた大丈夫なの?」

 目の前から若い女の声がしているが、ようやく息が出来るようになり、俺はそれどころじゃなかった。片手を目の前で手のひらを向け、ちょっと待ってくれと示すと、少しの間、何回か深呼吸をした。

真っ暗しか見えてなかった目が徐々に光を受け、ぼんやりとものが見えるようになると、ようやく状況を把握出来るようになった。

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