ナイトマーケット その5

 少しすると、大きな建物が目の前に現れた。

マップ上の印を見て、勝手に体育館と思っていたが、本当に大きな体育館のようだった。

たぶん、五階建てはあるだろう。

どうやらまだ外装は工事中のため、ビニールシートで簡単に覆っただけのようだ。

入り口は二枚扉なのにも関わらず、中は意外に小さく、一人が通れるような幅しかないトンネルとなっていた。

そのせいで、俺が入ったときには向こうから来る人が向こう側で待っている形になり、すこし気まずかった。

これ、なかなか日本では味わうことが出来ない面白い経験だったな。

台北で一番大きなナイトマーケットと公表しているのに、なぜか、こういう細かいところは手抜きたっぷり感があった。

日本ならばありえないことなのだが…。

そういえば、台湾人は外見にお金をかけるよりは内見に集中する方と、呉が言っていたな。

外から見て、汚いレストランほどおいしいんだとよ。

まぁ、確かに、今回の台湾旅行で、呉に連れて行かれたレストランは皆、綺麗とはいいがたいところばかりであったが、その味は舌鼓を打つほどだった。


 そのため、入り口が狭いからって俺が戸惑うことはなかった。

逆に期待感が高まるぐらいだ。


 入り口のトンネルを抜けると、そこは広場だった。

噴水を真ん中に見、両側に座れる高台が設置されている。

そこでは、大勢の人々が大声でにぎやかに喋っていた。

その奥には様々な色の商品を扱っている雑貨屋が並んでいた。

うーん、雑貨めぐりもいいが、その前に飯を食べたいんだ。

そう思い、見回すが、地下一階はどうやって行くのかが分からない。

海鮮を謳っているのならば、それなりのにおいがするはずなのだが、ここからじゃまったく何も匂わない。


 と、後ろから肩をたたかれた。

 振り向くと、俺が入り口付近で立ち留まったせいか、後ろの人が入って来れなくなっていた。

申し訳なく思い、少し苦笑いしながら体をずらした。

皆を通らせると、最後に通ろうとした若い男性にちょっとと声をかけた。


「えっと、シーフードどこですか?」


 中国語が話せない俺は、呉からもらったマップを渡して、この体育館の場所を指した。

シーフードはカタカナではあるが英語でもある。

台湾人は英語力が高いからきっと通じることを期待しての問いかけであった。

案の定、その男性は英語で応えてきた。


『地下のシーフード街か?それなら、一度外に出ないとダメだよ。ここは雑貨街だよ。外に出たら、右側十五メートルに地下への階段がある』

『サンキュー』

『ノープロブレム』


 なんかナイスガイだった。

薄いピンクシャツと真っ黒なジーパンが似合った。

俺もそれを買ってみようかな。でも、まずは飯だ。

 

そう、言われた通りに一度体育館を出る。

地下への階段は簡単に見つかった。

さっきよりも適当さがすごかった。

さびれている鉄の階段でぎしぎし音を立てながら下りてみる。

近づくほど、海鮮焼きのにおいが立ち込めてきた。

期待が高まるね。


 地下一階は想像以上に広かった。

幅百メートル、奥行は二百メートル、高さは三メートルはあるかな?

通路替わりに利用しているのか、俺の腰よりも少し高い生簀が規則正しく縦横と並んでいた。

生簀の中は蟹だったり、エビだったり、はたまた知らない大きな魚だったりと、見ていて楽しいものだった。

 これだこれだ。これが俺が求めるものなんだ。

日本ではこういう風に生簀に入っている生の海鮮を頼もうとすると、ン万円の後半からン十万円かかりそうで、一度も試したことがなかった。

今日はせっかく二千五百元を使い切る、という大義名分があるのだから、うんと活用しなくちゃ。


 よくみると、生簀にはそれぞれに張り紙がされていて、『陳海鮮』、『王水産』などと書かれていた。

どういうことだ?

と見回すと、簡単に理由が分った。

たとえば、『陳海鮮』と貼られている生簀が並んでいる間にぽっかりと空間があり、そこが入り口となり、『陳海鮮』という店名の敷地に入れる。

敷地内は周りを低めの壁や生簀で囲めているが、高さは高くても俺の胸ぐらいなので、入り口付近から奥の方まで見渡すことが出来た。

また、敷地の奥に屋台の外装をした厨房があるのが見える。

それ以外の敷地は丸いテーブル席と椅子が置かれて、最初の数店舗はどこもほぼ満席状態だった。


 まずは何があるのかをみようと、通路を進むと、両側から人の良さそうなおばさんたちが現れた。

俺が中国語話せないとわかると、背後から日本語が書かれたメニューを差し出した。

よほど日本人観光客が来るとこなんだろうなと、半分感心し、立ち止まってメニューを見てみる。

刺身、海鮮丼等、日本人観光客が選択しそうな構成になっていた。

たぶん、時間がない観光客ならすぐにそれらを注文しそうだが、俺は今日は台湾の海鮮料理を食べに来たんだ。

日本風ではなく、台湾風がほしいのだ。

手を振って、興味がないことを示し、先に向かおうとすると、


「安い安いよ」

 とさらに日本語も使ってきた。

と同時に右側のおばさんが俺の腕をつかんで、自分の店に誘導しようとした。

おおお、これが台湾人の客引きか。

日本の草津にある温泉まんじゅうの客引きよりもタチ悪すぎるだろう。

普通に誘導するのなら、俺もちょっと考えるけど、これにはさすがに気分が悪くなり腕を振りほどいた。

というか、おばさんよ、自分の店舗は満席だろうが、一人で来ている俺はどこに座ればいいのか?


「ノーノー行かないよ」


 少し強い声で抗議するように言うと、そのおばさんはにっこり笑うと、後ろに下がった。

その素直な引き方にちょっと驚いていると、左側にいるおばさんが今度は私の番とばかりに、じわじわ近づいてきた。

そっちの店の方を見ると、はまだ空き席があった。

うーん、なんか困るな、これ。

せっかく二千五百元あるんだから、試すのもありなのだが、押しが強すぎるのは嫌いなんだ。

だから左側のおばさんにも強く断り、前に進むことにした。


 そういえば、さっきの廟にいた慈明僧曰く、『海坊主』という店がおいしいらしいと言っていたのを思い出して、近くの生簀に貼ってある見取り図で探すことにした。

ちょっと字が雑なのか、なんなのか、海坊主という店が見つからない。

そうこうしているうちに、他の売り子が近づいてきた。

二人組で、おばさんとその娘さんかな、顔がそっくりな中学生らしき女の子と一緒にやってきた。

これは何か、俺は男一人だからかわいい子を連れてこればいいってことか?

いや、違わない。

違わないが、それは今じゃない。

俺は今は海坊主という店に行きたいんだよ。


 話しかけようとする中学生らしき売り子に、「ちょっと待って」と声をかけると、素直に待ってくれた。

その間に鞄からペンを出して、マップに海坊主と字を書いて渡す。

さぁ、どう出る。

親切にしてくれるのなら、その手元に持っているメニューで大きな三百元の串皇帝蝦、エビ焼きかな、ぐらいは買ってあげようかと思うぞ。

というか、優しくしてほしい。

漂ってくる海鮮焼きのにおいに負けている自分がいるからだ。


 だが、マップを渡されたその子は不思議な顔で俺を見ると、一緒にいたおばさんの売り子に何かを話した。

「ちょっと待て」

 その後、なぜか命令形で俺に言うと、駆け足で自分の店に戻っていった。

待ってもいいが、何のために待つのか分からない俺は困惑の表情を顔に浮かべたようだ。

「大丈夫。待て」

 残っているおばさんもたぶん、親切心で言っているかと思うが、その命令形だと、大丈夫という気持ちにならないよ。

そう突っ込もうと思っていると、中学生が戻ってきた。


「はい、どうぞ」

 渡されたのは、この会場の詳細な見取り図であった。

中学生は人差し指で右下の店、『陳海鮮』を差し、もう一方の手で、後ろにある店を指した。

「ここ」

 俺が頷くのを待って、その指をすーっと左上の店まで動かした。

『海水産』と書いてある。

もう一方の手は俺のマップ上の文字『海坊主』を指していた。

「ここ」

「お!そこか、ありがとうな。」


 そうか、店名は『海水産』だったのか。

でも、なぜ『海坊主』で通じているのだろうか。

まぁ、それは見えてきたときに考えるとして、俺はお礼をいい、そのメニューの串焼きを買おうと指さし、一本ほしいと注文した。

「のーのー、あっち、買って」

 なんと、断られた。

なぜだ?

「あっち、おいしいよ。はい、クーポン」

 それと、横のおばさんに何か渡された。

優待券と書かれているので、クーポンかな?

見ると、五百元を買うと、二百五十元分の商品がもらえるクーポンであった。

それらから視線を上げておばさんを見ると、奥の方に指をさしていた。


「あっち、奥、左、奥、そこ」

 片言だか、なんとか言いたいことが分かった。

なんか台湾人面白いな。

一番最初の客引きは強引過ぎていたが、俺が断ると、それ以上は近づいてこなかった。

逆にこの親子のように、俺に目的地があると分ると、自分の店ではなく、その目的の店で買うことを勧めてくれる。

目的地がない客には前から順番にアプローチし、逆に目的地を決めている客はそこまで通すという義理固さがあるのかもな。

 おばさんと中学生にお礼を言って、俺は『海坊主』の店に向かって足を進めた。

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