第一章 花弔封月 PART5

  5.


「明日また一件発生したから、病院に寄ってきたの。この袋はその相手の分」


「そっか。ちょっと待っててね。御節おせちの残りがあるから、すぐできるよ」


「うん、ありがとう。それとこれ、飾っておいてくれない?」


 小さく纏まった花束を彼女に渡す。


「ん? どうしたの?」


「凪に貰ったの。捨てちゃうのも勿体無いからって」


 千鶴は受け取った花を花瓶に入れ食卓のテーブルに飾った。そのまま台所に駆け出していく。


「やっぱり御節は明日の夜食にとっておいてくれない? 明日はまた夜勤になりそうだから」


「そう? それじゃちょっと時間掛かるけど今から作っていい?」


「うん、ありがとう。よろしくね」


 千月はそのまま仏壇に向かい両親に挨拶を済ませた。いつものように鈴を小さく振るわせ、両手を合わせて目を閉じる。


 鈴の音が消えていくうちに意識は両親への祈りから自分自身への葛藤に移り変わっていく。


 ……他にやり残したことはないだろうか?


 何度も繰り返した疑問に答えが出ないことはわかっている。そして時だけが躊躇せず何の狂いもなく進んでいく。


 ……迷う必要はない、やるだけのことはやってきたのだから。


 リビングに戻ると千鶴がエプロンを羽織って牛蒡(ごぼう)を笹切りにしていた。


「千鶴ちゃん、空木の花言葉、知ってる?」


「確か『秘密』っていう意味があったはずよ。別名、卯の花ともいうわね」


「そうなんだ、千鶴ちゃんは何でも知ってるね」


「そんなことないよ。それに確かもう一つ花言葉があったはずなんだけど……忘れちゃった」


 笹切りにした牛蒡が鍋の中に転がり込んでいく。千鶴から目を離すと、テレビには見慣れた女性ピアニストがステージの上に立っていた。


「あ、雪奈さんだ」


スポットライトを受けて彼女は優しくも儚いメロディを紡いでいく。聴き慣れたメロディが心を捉え始めていく。


「雪奈さん、本当に綺麗になったね。元の世界に戻れてよかった」


「そうね」


音量を抑えながら頷くと、千鶴はおたまを振りながら嬉しそうに微笑んだ。


「私も頑張って資格取らなきゃ、負けてられないよ」


「真面目だね、千鶴ちゃんは」


 湯のみから渋いお茶を注ぎゆっくりと啜る。寒い冬では炬燵に蜜柑が通例だが、それに日本茶があればいうことはない。


「……お姉ちゃんがいうのは嫌味だよ。仕事が終わってもまた仕事。ほんと、いつ寝てるんだか」


 千鶴がカンカンと鍋を叩き、出来上がった料理をお椀に零していく。今日は酢豚らしい。たっぷりと餡が入った中に酢豚が浮かんでいる。


「うわぁ、今日もご馳走ね。ほんと、いいお嫁さんになれるわ」


「……じゃあさ、私を貰ってくれない?」


 千鶴はお玉を置いて両手を重ね合わせた。そのまま自分に向かって上目遣いで懇願するポーズをとっている。その姿が妙に似合っていて正視することができない。


「私にいってどうするの。凪にいったらいいじゃない。きっと喜ぶわ」


「えー私はお姉ちゃんがいいの。だめ?」


「だめとかじゃないでしょ。はいはい、ご飯食べるわよ」


 箸を掴み両手を合わせる。彼女を促すように料理をついばみながら時計の修復作業表を確認すると、千鶴の鋭い声が飛んだ。


「ご飯くらいゆっくり食べないと駄目だよ」


「じゃあ食べさせてくれる?」


 大げさに口を開けて待っていると、千鶴は笑いながらも酢豚を口に入れてくれた。


「ほんと、子供みたい」


「そう?」


「本当にどっちがか、わからなくなる時があるよ


「まあ千鶴ちゃんが一番面倒見がいいってことは決まってる」


「そうね、私もそう思う」


 千鶴の反応がおかしく、二人で笑い合う。彼女がいるからこそ、ここまでこれた。感謝の気持ちを心の中だけで伝える。


「……あんまり無理はしないでね。時間がないのはわかってるけど、体を壊したら意味ないよ」


「もちろん。私一人の体じゃないからね」


「そういう意味じゃなくて……」


「大丈夫。千鶴ちゃんが考えているようなことにはならないよ。ゲッカビジンの花は私が必ず咲かせてみせるわ」


 そういうと、千鶴は目を伏せて小さく呟いた。


「……本当はね、上手くいって欲しくないって気持ちもあるのよ。ずるい気持ちだって私にはあるんだから」


「……ごめんね。こればっかりは千鶴ちゃんの頼みでも無理みたい」


「そっか、そうだよね……」


 千鶴はぱっと笑顔を見せていった。


「お姉ちゃん、今からまた時計の修復作業でしょう? 美味しい紅茶を淹れてあげるから、部屋で待っててね」



 ◆◆◆



 部屋に戻り、時計の修復作業をイメージする。


……二重底を作るためには、さらに薄い歯車が必要だ。MicroSDカードを入れるためには底の厚みは……。


 カリカリ、カリカリ。


 手を動かすことによって歯車のイメージが溢れてくる。歯車の動きは緩やかで鉄の噛み合う音が規則正しく聞こえてくる。そのイメージが鮮明に描ければ描けるほど、内部の構造は複雑化し時計の構造図が宙に浮かんでいく。


 感覚を掴んだ後、さっそく歯車の作成に取り掛かった。仮に全く同じサイズの歯車を作り出したとしてもうまく回るかはわからない。連結している歯車にも年月による歪みが生じているからだ。あまりにも異なる材質を使えば他の歯車にも負担を掛けることになるのでそこにも注意する必要がある。時計の修復にはこういった針に糸を通すような作業を何度も繰り返さなくてはならない。


 あれこれと歯車を削り思考錯誤していると、いつの間にか睡魔が近寄ってきていた。だがこのまま眠るわけにはいかない。だるい目を擦りながら日記帳を机の上に置き、いつものオルゴールをセットした。


 何度も意識を集中し直してみるが、やはり駄目なようだ。


 結局誘惑に負ける形となり、まどろんだ瞳を閉じることにした。

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