第3話
地上の世界へ赴くのはこれが初めてではない。
高校に入学し、悪魔憑き保護協会の一員になってから数回、地上に赴きに悪魔憑きを保護している。
放課後。俺と夢果は出発までの時間、地上へ赴く準備をする。
準備と言ってもたいしたものは用意しない。替えの服、下着……必要最低限の必需品を持って行く程度だ。それらを旅行バッグに突っ込めば準備は早々に終了する。
出発は今日の深夜で、出発時刻まで時間があった。
しかし特にやることもないのでベッドに横になってテレビを観る。テレビを観ていたら自然と瞼が重くなり、寝てしまった。
――、――と、――や、と。
眠っていると不意に声が聞こえてくる。眠りという深淵から俺を引きずり上げるような声。その声はこちらに手を差し伸べていた。
俺は、その手を掴んだ。
「夜刀ってば!」
語気を強めた女性の声が耳の穴へ入り込み鼓膜を震わせ、脳を覚まさせる。俺はハッと瞼は開き、その視界に夢果を捉えた。
「あ、起きた。そろそろ時間だから行くよ」
「んー」と唸って俺は上体を起こし「もうそんな時間か?」と言う。
夢果は自身のタブレット型の携帯電話端末――スマートフォンをこちらに差し向け現時刻を提示する。
スマホに表示されている現時刻は深夜零時五分。出発時刻は深夜零時三十分を予定しているので、本当に彼女が言う通りそろそろ時間であった。
頭を掻きながらベッドを降りる。ひとまず寝起きなので水を一杯飲んだ。
「じゃ、行こう」
俺は旅行バッグを担ぎ、夢果に言って促す。
「寝癖、ついてるよ」なんて夢果が言う。
「別にいいよ。直してる時間もないし」
「身だしなみはきちんとしなきゃ。みっともない」
夢果は背伸びをして頭を撫でるように俺の寝癖を手櫛で直す。なんかちょっと恥ずかしい気持ちになった。一通り俺の頭をなでなでした夢果は満足そうな顔をこちらに向ける。
「これでよし」と彼女は言った。
「あ、ありがと」と俺はなぜか照れ気味にそう言った。
戸締りはした。火の元もオーケー。出る準備はできた。俺たちは今度こそ部屋を出る。
部屋の施錠もちゃんとして、深夜零時を回った頃合いに俺たちは学生寮を後にした。
♢ ♢ ♢
学生寮を深夜に出るなんて、なんか夜逃げをしているみたいで緊張すると同時に昂奮する。まあそんなことはどうでもよく、学生寮を去った俺と夢果はある場所へ向かう。
芥子川学園とは反対の方向にあるそれは《炎の館》と周囲から言われており、その名の通り常時炎上している館であった。ほんとにいつ見ても不思議な館である。燃え盛り続けるその館はそれでも形を保っており、周りの建物に火が飛び移ることもない。
あらゆる理屈を無視して存在するその館に俺と夢果は踏み入る。
館の中にも至るところに炎があって燃えている。しかし、熱さを感じることはなく、むしろ室温は快適だった。
ここへ来るのもこれが初めてではないから、今となってこの炎上中の館の中を歩くことにも臆さない。初めて来たときは二人してびくびくしながら前に進んだものだ。
階段を昇り、奥の部屋へ向かう。
目的の部屋に着き、ドアノブに手を掛ける。ノブは熱くもなんともない。ドアノブを回して、ドアを開け、部屋の中に入る。
部屋の中には甘木遊楽先輩ともう一人、この《炎の館》の主であるブロンドの髪を持った男性。高校生というには大人びている風貌から年齢的には二十代前半といったところか。
「遅い。零時半に出発と言ったのに、もう半を過ぎているじゃないか」
ブロンドの髪を掻き上げてやれやれと言ったふうに男は言った。
この館の主の名はドウェイン=スコット。バティンという悪魔に憑かれている悪魔憑きである。バティンは炎の源泉の深い領域に属しているらしく、ドウェイン=スコットの館がこのように炎上しているのはそのためらしい。
そしてバティンには人を国から国へ一瞬に運ぶといういわば瞬間移動の力があり、つまりドウェインの持つ異能力とは瞬間移動だ。自分を移動させることも人を移動させることも可能。
だからドウェイン=スコットは俺たちのような地上の世界へ赴く用事がある人たちを地上へ送る役目を担っている。
「ちゃんと来たんだから多少の遅刻は許してください」と俺は言った。
「ったく、時間にルーズな奴は嫌いだ。まあいい。早速、下へ送る」
言って、ドウェインは立ち上がる。立ち上がり、壁に掛けてある杖を手に取る。その杖はグリップの部分が馬の頭部を模しており、そして柄の部分が蛇の尾を模しているものだった。
ドウェインはそんな杖でこつんと床を一回叩く。すると、俺と夢果の足元に幾何学模様の魔法陣が展開される。
「それじゃあ今から送るけど覚悟はいいか? 何度も言ってることだけど、俺のこの瞬間移動の力は二四時間のうちに一回しか使えない。だから、お前らを地上からここへ戻すのは少なくとも二四時間後になる。二四時間が過ぎる前に帰りたいとか言ったって俺にはどうしようもできないからな」
「わかってる」
「そうか。ならいい」
ここで甘木先輩が一歩前へ出てくる。
「灰ヶ峰椿姫はあっちの協力者が保護している。だからただこっちに連れて帰るだけの簡単なお仕事だけど、気は抜いちゃダメよ? 遠足は帰るまでが遠足だから」
「わかってます。大丈夫です」
「じゃ、いい結果を期待しているから」
そう言って甘木先輩は妖艶に笑った。
「じゃあ送るぞー」と呑気にドウェインは言う。
俺たちの足元の魔法陣は輝きを増し光を放つ。魔法陣から放たれた光は俺と夢果を包み込み、視界は光によって一面の白。
あまりにも多い光の量なので眩しくて眼を瞑る。
きっと、次にこの目を開いたとき、俺たちは天空集住地ではなく下の世界にいることだろう。
悪魔憑きではない、ただの人間ばかりが住む世界へ。
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