第7話 不快という感情に許しは存在しない

領主オットー・フォン・レムノルアは一言で言えば、「自分の中の子供を捨て切れなかった大人」である。

白熱すると人の話を聞かない節はあるがその根本は善良であり、領地の発展の為に全力を尽くし、政治的な駆け引きも下手ではない。

領主という立場故に家庭を顧みる事が難しいものの、少ない時間でも子供達にとって良き父であろうとしている。

オットーがどんな人物かと問えば殆どが「善き人」と答えるだろう。

ただ、オットーには一つだけ欠点があった。


英雄願望。


幼子が寝物語の英雄譚に憧れるように、竜を狩り魔を退け勝利の栄光を掲げる英雄という存在にオットーはどうしようもないほどに憧れていた。

領主とは「将」である前に「帥」であり、極論指示さえ出せれば椅子から立ち上がる必要すらない。


しかしオットーはその一点においてのみ、駄々をこねる幼子と同等であった。

魔物が出たと聞けば中の下程度の剣の腕で先陣を切り、盗賊が現れたと聞けば職務を放り出して征伐に赴かんとする。

部下からすればたまったものではなく、今回もまたその悪癖が暴走した事が原因だった。



赤竜の襲来。

己の街に怒れる竜の襲撃、というあまりにも王道な英雄譚の導入じみた事態に、オットーの善き領主としての一面は完全に消し飛ぶ事になった。


書類を執務室にぶち撒け、領主という身分でありながらこつこつと自分が使える小遣いを貯めて購入した鎧と剣を携えオットーは屋敷を飛び出した。

だが、オットーが辿り着いた頃にはドラゴンは既に絶命。なんでも凄まじい力の持ち主が一撃で仕留めてしまったのだという。

オットーは意気銷沈、慌てて付いてきた騎士達は安堵する中、オットーは町一番の宿屋の主人から依頼を受ける事になる。


なんと、悪魔が人間のふりをして宿泊しているのだという。

宿屋で働く下男がおぞましい方法で食事をする悪魔を目撃したのだとか。


悪魔、悪魔である。

人間を惑わし、甘い言葉で契約を結ばせ、魂を喰らう邪悪なる存在。

そして悪魔といえば竜と並んで英雄譚の敵役としてはポピュラーな存在。

最早オットーの頭からそれが冤罪かどうかを確かめる事は完全にすっぽ抜けていた。


そしてオットーは無謀な蛮勇の代償を最悪の形で支払わされる事になる。












「オットー様!お下がりを!!」


最初にそれに明確に危機感を抱いたのは、重装兵達だった。

例えるならばそう、噴火寸前の鳴動する火山か津波直前の波の引いた海。

最早手遅れであることを直感的に感じ取った重装兵達は少々頭に血が上っているとはいえ、敬愛すべき領主に万一があってはならぬと慌ててオットーを檻の外へと引っ張り出す。


そして次の瞬間、歴戦の騎士たる重装兵達ですら悲鳴を上げそうになる程の殺意と濃密な闇を帯びた魔力が波動となってエルを起点にぶちまけられた。


「なぁ……っ!な、ん……!!」


「お逃げになってくださいオットー様!ここは私が食い止めます!!おい!オットー様を連れて行け!!」


「応!」


躊躇いもなく眼前の殺意の塊を食い止める、と直剣を構える重装兵の片割れ。

オットーがどれ程敬愛されているかが伺えるが、彼らにとって極めて不幸だったのは重装の兵士という物理的な足止めはエルにとって薄紙一枚の壁程度でしかないということだった。


「……退け。」


「ごぶふぁっ!?」


鎧袖一触、まさにその言葉が相応しい。

エルが行ったことは赤竜を狩った時と同じく、マントを腕に巻きつけて重装兵を無造作に振り払っただけ。

ただそれだけで重装兵は堅牢かつ重厚な鎧ごと壁に叩きつけられた。

彼には一体何が起きたのか、全く理解できなかった。

自分が領主が憧れるような英雄でないことは分かる、しかし彼とて領主の護衛を任される精鋭ではある。

その鍛えられた身体を覆う鎧も含めれば彼は暴れ馬の突進を受け止める自信がある。

しかし今のはなんだ、あの黒い鎧は自分に


「ま、待…て……」


半端な攻撃であれば完全に通さない重装甲は、紙くずのように吹き飛ばされ壁に叩きつけられたことでその堅牢さが兵士に牙を剥く。

巨大な掌に全身を叩かれたような、焼けた針で全身を刺されたような激痛に重装兵は悶え、呻きと共に吐血する。


それに対しエルは一瞥をくれることすらなく、呆然とこちらを見ながら逃げるオットー達へと視線を向ける。


「………死なす。」


簡潔な一言、ただの三文字に圧縮された極大の殺意が己の心臓を掴んだような錯覚をオットーは感じ取った。


「行かせん……ぜ、絶対に……行かせ、ん………!!」


全身の骨にヒビが入り、身体の感覚が熱に塗りつぶされながらも、吹き飛ばされた重装兵はかろうじて動く左腕でエルの足を掴む。

死を覚悟した重装兵は己の命を省みぬ限界を超えた力でエルを食い止めようとするが、彼の命懸けの献身がもたらしたものは、僅かばかりの一瞥とゴミを払うように足蹴にされたことだけだった。


「邪魔。」


「ぐ………ぁ」


先程の非接触の衝撃に比べれば軽いものだが、満身創痍の身体から意識を奪うには十分すぎる衝撃に、遂に重装兵は意識を手放す。

重装兵が意識を失う前に思っていたことは、エルを食い止められなかったことでも、自身の死の恐怖でもない。


ただ、それが重装兵にとっての後悔であった。


(あれは……まずい……絶対に、止めなければ………!)


瞬殺されたとはいえ、僅かでもエルと相対したからこそ分かるエルという存在の恐ろしさ。

あの怪物が何の感情を動力にしているのかを理解してしまった重装兵はそれを伝えられないことに歯噛みする。


あの怪物は「怒り」で動いていない。

あれはもっと冷静で、もっと無慈悲だ。


あれを動かす感情は……「不快」。

纏わりつく虫を潰すように、あれはオットーを殺すまで止まらない。

そしてオットーを殺す為なら、あれは如何なる存在を害することを厭わない。

オットーを殺すまでにこの街の全てを殺し切ったとしても「オットーを殺せてよかったよかった」と言ってのけるような壊れ方をしている破綻者だ。


あれを「犯罪者一人」として扱ってはいけない、それこそこの街全ての戦力をぶつけないと取り返しのつかないことになる。


「…………ぐ」


そこで重装兵の意識は闇へと落ちていった。

無言で歩むエルは静かに、しかし確かにオットーを殺すべく距離を縮めていた。

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