第2話

「雑種だね」

 獣医さんは、事もなげにそう言った。

 まぁ…そうだろうな。でも狼の血が混じったりしてないですよね?とは訊けなかった。

「でもこの仔、おそらく大型犬種だと思うよ。かなり大きくなるけど、大丈夫?」

「はぁ、どのくらい大きくなりますか?」

「う~ん、そうだなぁ。ゴールデンリトリーバーくらいにはなると思うよ。しかもオスだからね、成犬になったら体重が30㎏を超えることもあるよ」

 う~ん、ご飯も相当食べそうだなぁ。子供が独り増える感じ?養っていけるのか、あたし?

 因みに現在のあたしの収入は、子供雑誌2誌に連載している童話と、女性誌1誌に連載中のエッセイ、それとこれまで書いた童話の印税だ。一応持家で家賃はかからないから、独りで生活していくのにはさほど困らないが、贅沢はできないし貯金もあまりしていない。

「ああ、それと。大型犬は、最初の1年で12歳、2年目からは7歳ずつ年を取ると言われてて、寿命は10年ちょっとかなぁ」


 10年位しか、生きられないのか…。

 あたしは診察台の上で縮こまっている仔犬を、まじまじと見つめた。きゅぃ…と情けなさそうに啼いたのを見て、ふいに胸が苦しくなって仔犬の頭を撫でる。

 お前、こんなに可愛くて存在するだけで人を幸せにできるのに、たった10年位しか生きられないんだね。あたしみたいに世の中の役に立ってるんだか立ってないんだかわからないヤツが、もしかしたらノウノウと80年以上も生きるかもしれないのに。

「ウチの病院に、里親募集の告知を出そうか?」

 最初に飼うことを迷っていると言ったせいか、獣医の先生がそう言ってくれる。

「いえ、やっぱり飼います」

「大丈夫?」

「はい」

 うん、頑張ってみよう。初めて誰かのために、自分以外のために生きようと、なぜだかそのとき思えたのだ。


 幸い、とくに病気もなかった仔犬を自転車の籠に乗せて、あたしはペットショップへ行った。

 そこで首輪とリード、わんこ用の食糧なんかを買い込んだ。

「名前、なんていうんですか?」

 ペットショップのお姉さんにそう訊かれて、あたしはまだこの仔に名前を付けていなかったことを思い出した。

 名前か、どうしようかな。大きくなるって獣医さんが言ってたし、ちょっと狼の仔みたいだから…。

「え~と、そうだ!ウルフ、ウルフにします!」

 そう宣言したあたしの足元で、仔犬が「うぉん」と啼いた。

 気に入ってくれたのかな?よかった、今日からキミはウルフだよ。

「姫野ウルフくん!」

「うぉおおん!」

 苗字つきで呼んだあたしに、ペットショップのお姉さんが可笑しそうに笑った。



 赤ちゃんは、お母さんを選んで生まれてくる。

 なんかのドラマで言っていた台詞が好きだった。

 だって、こんなに勇気を貰える言葉はないから。

 だからあたしは信じた。ウルフがあたしを飼い主に選んでくれたから、あたしたちは出会ったのだと。




「仕事、増やしたいんです」

 懇意にしている編集者に、あたしはそう言った。

「突然、どうしたの?いままでは、いくら勧めてもあまり乗り気じゃなかったのに」

「犬を、飼うことにしたんです」

「一人暮らしで、犬?」

 言いたいことは顔に書いてあった。

 独り暮らしで犬を飼う=結婚をあきらめた的な?まだ22歳で?

「はい、責任もって養いたいんです」

「ふうん」

 編集者はしばらく思案顔で宙を睨んでいたけど…。

「ペット雑誌に、エッセイかなんか書いてみる?知り合いの編集者に当たってみてやろうか?」

「うゎ、それいいかも。ぜひ、やらせてください!」



 平凡な人生と、流されるだけの毎日が、突然違うものになった。

 ウルフのお蔭で。

 生きる喜びが、あたしの中で小さく芽吹きはじめていた。




 ✵ ✵ ✵


 朝は一緒に散歩をして、帰ったらそれぞれの朝食を食べて、それからあたしは仕事を、ウルフは小さな庭や縁側で遊ぶ。

 お昼を食べたらまたあたしは仕事をして、ウルフはお昼寝をする。

 夕方になったら買い物に行ったり、一緒に遊ぶ。そして夕飯をつくって食べ、一緒にお風呂に入り、それから屋根裏部屋で星の少ない夜空を眺めながらあたしはウルフにいろんなことを話す。

 いま書いている童話のこととか、ちょっと面白い編集者さんの話とか、都内に住んでいる両親や5歳年下の弟についてとか、夢とか不安とか好きなものとか嫌いなもの。

 ウルフには何でも話せたし、ウルフは誰よりもあたしのつまんない話を一生懸命訊いてくれる気がした。つぶらな瞳で見つめられると、心が洗われて、明日も頑張れそうな気がした。

 そして、狭いベッドに身体を寄せ合って眠った。ウルフを両腕に抱きしめて、ウルフはあたしにしがみつくようにして。もう淋しくなんかなかった、ほわんとした幸せすら感じた。



 そんな生活が半年ほど過ぎた頃。

 都内にある編集部の打ち合わせから帰ると、家の中に見知らぬ少年がいた。

「だ、誰っ!」

 思わずそう叫んでしまった。

 その少年は中学生くらいに見えて、銀色のふさふさしたロン毛に、榛色はしばみいろの瞳、ハーフのように彫りの深い凛々しい顔立ちをしていた。

 居間のソファに行儀よく座っていて泥棒には見えないから、迷子だろうか?いや、でも人の家に勝手には入らないだろう、それに鍵はちゃんとかかっていた…。

 混乱した頭で、混乱した表情を浮かべていただろうあたしに向かって、その少年はゆっくりと言葉を紡いだ。

「ユイ、僕だよ」

 僕?

「わからないの?ウルフだよ」

 ええぇぇえ~~~!!なんだってぇ~~!!!

「今日は僕の誕生日なんだ。12歳になった」

 人間年齢12歳より、少し大人っぽく見えるのは、やっぱり外国犬の血が混じっているせいだろうか?どう見ても、純日本の雑種ではなかったし、こうして人間の姿になってもハーフっぽく見える。

「で、でも、どうして…」

 驚きすぎて、夢でも見ているのかと、自分の頬をつねって痛さに顔をしかめたあたしを、ウルフはちょっと困ったような顔で見る。

「僕にもよくわからないんだけど…。ユイと同じ姿になりたいな、ユイと同じ言葉で話したいなって強く強く思ったら…」

 人間の姿になったってことか…。

 確かに驚いたけど、もの凄くびっくりしたけど。それが過ぎてしまえば、あたしと同じ姿になりたい、同じ言葉で話したいと思ってくれたことが、なんだか素直に嬉しかった。 

「ウルフ…」

 人間の姿になったばかりで、まだ不安そうに所在無げにしているウルフがたまらなく愛おしくなって、あたしはウルフに近寄るとぎゅぅとその身体を抱きしめた。

「ユイ…」

 ちょっと驚いたようにあたしを見たウルフは、ほんの少し身長があたしより小さいだけだ。


「あれぇ?」

 ウルフを抱きしめて、あたしは気づいた。彼が、あたしのパジャマを着ていることに。

「あたしのパジャマ…」

 そう言ったあたしにウルフは顔を赤らめると、少ししどろもどろになりながら言った。

「だ、だって人間の姿になったはいいけど、僕、裸だったんだもの。だから慌てて、僕にも着られそうなものを探したんだ」

 そっか。それは、びっくりしたよね。でもストライプのパジャマは、なかなかウルフに似合っていた。

 でもなんだか急に可笑しくなって、あたしたちは顔を見合わせると、あははと無邪気に笑い合った。うん、こんな非日常も悪くない。

「ねぇ、ウルフ。ウルフはもう、犬型には戻らないの?」

「そんなことも、ないみたい」

 ほら、とウルフが言うと同時に着ていたパジャマが魔法のようにするりと脱げ、ウルフは見慣れた銀色のもふもふの塊になった。

「わぁ、戻ったぁ!」

 やっぱり、このもふもふの姿が永遠に失われてしまうのは淋しい。あたしはウルフを再びぎゅぅと抱きしめて、もふもふの感触を存分に楽しんだ。


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