現世妖奇譚

昼行灯

山眠る

 ふと目を開ける、どうやら机に突っ伏したまま寝てしまっていたらしい。先程まで締め切っていたはずの窓はいつのまにか開け放たれており、冬独特の乾いた木枯らしが頬を撫でた。


『おい、いつまで寝ているつもりだ。窓もいつまでも閉めきっていては気が淀む。気が淀んでいては良くないものが寄ってくる。私がいれば心配することもないが何もないに越したことはないのだ』


 目の前で天井近くまで浮き私を見下ろす袴姿の男性、名は出雲千十郎。彼は人ではない。


 突然だが、私は妖怪だとか幽霊だとかそういうものが見えるのだ。


 二

 だいぶ前の話だ。祖父が亡くなった寂しさに、祖父が趣味で収集していた骨董品がしまわれている物置小屋に足を踏み入れた際、細長い漆塗りの箱を見つけた。気になって中を開けてみると煙管が入っており、生前祖父が愛用していたものらしいそれは、よく見ずとも使い込まれているのがわかった。煙管を眺めながら、亡くなった祖父へ思いを馳せていると突然“出雲千十郎”と名乗る袴姿の男が現われ、話を聞けばどうやらあの煙管の付喪神らしく、そこから紆余曲折を経て私は彼の新たな持ち主となったのだ。出雲は天井近くで暫く浮遊して間も無くゆっくりと降りてきた。


「寒い」


 まだ寝起きで頭がぼんやりとする。五感ですぐに感じた『寒い』、という情報を一言だけ伝える。


 寒い、寒い。


 一度寒いと認識してしまうともうだめだ。細胞の一つ一つ全てが寒いという信号を受け取って活動する。鳥肌が立つ、足先の冷たさを感じる、震えが止まらない。そんな私を見て目の前の長身の男は「おやまあ」と一言。どの口が言うのか腹立たしい。


『寒いのはよくない。ほら、羽織れ』


 そう言うと椅子の背に掛けてあった半纏を差し出される。どことなく古めかしいのは出雲の趣味であろう。しかしこれがなかなかに暖かいのだ。少なくとも私は知っている防寒具のなかでは一番暖かいのではないか、と密かに思っている。

 半纏を羽織り暫くじっとしていると冷えていた生地が体温を吸収し温まってくる。戻ってきた暖かさに開いたばかりの目が再び重くなる。もう一眠りしようか、そう思った矢先に軽快な音を立てて頭が叩かれた。


「痛い」

『寝るな』


 寒さと痛さですっかり目を覚ました私はゆっくり伸びをする、机にふせて寝ていたせいか背骨が鳴る。横で見ていた出雲がにわかに顔をしかめるのが見えた。恐らく痛そうに見えたのだろうが、全く痛くない。寧ろ爽快ですらある。


『さぁ外に出よう。冬休みに入ってから全く外に出ていないじゃないか』


 爽快感の余韻に浸っている最中に声をかけられる。聞き間違いだろうか、この寒いなか出かけようと聞こえた気がする。


 寒い、面倒、と散々渋ったが若いんだからだとかたまには外に出ないと体に毒だとか古い臭い正論を並べられて、結局外に連れ出された。考えてみると私は彼に一度だって勝てたことはない。

 急き立たせられながら外に出ると木枯らしが体を撫でる。部屋の中によりもずっと寒い。目的も行く場所もないのでふらふらと歩き出す。気がつくと土手沿いに出ていた。道沿いには桜が植えられているがまだ蕾すら膨らんでおらず開花の様子はまだ見せない。

 桜の向こうを見ると川がある。流れの止まっているところでは薄っすらと氷が張っているらしくその部分だけ白い。凍っていないところでも、銀の色を所々にたたえていた。素直に美しいと思う。

 視線を更に遠くへ向ける。川の向かいに山が見える。山は冬のそれらしく、もう春のような儚さも夏のような青々とした葉も、秋のあの紅錦あかにしきを着たような彩りもない。葉を落とした裸の木と赤茶色をした葉を茂らせている木とが入り混じった山が、しん と春から秋にかけての色を忘れた様にそこに佇んでいる。が、その山にいつもとは違う印象を受けた。何かが違うのだ。不思議に思い立ち止まってよく観察する。何が違うのか、それはすぐにわかった。普通の山にはないものがその山にはあった。

 毛玉だ、巨大な毛玉が蓑虫のように大木にぶら下がっていた。


「何、あれ」


 隣にいる男に向かって思わずそう問いかける。それまで枝先の固い桜の蕾をを見ていた男はやっと興味を持ったように山に目を向ける。山にできた巨大な毛玉を見つけると感心したように息を吐いた。普通ならできるはずの白い靄は口元にできなかった。これほどはっきり見えて意思疎通ができるというのにやはり彼は人ではないのだ。


『珍しいものを見つけたな』


 にたり と笑いながら見下ろされる。しかし視線はすぐに山へ戻り、それから何でもないように呟いた。


『あれはな、妖が冬眠しているのだよ』

「妖の冬眠? 聞いたことないけど」

『妖だって冬眠くらいするさ』


 妖が熊やリスのように冬眠なぞするのだろうか、想像がつかない。


『するのだよ、山が眠ればそこに住まうものは皆眠る。小さな流れは大きな流れに逆らわないものだ』

「山が眠る。まるで山が生きているみたいだね」

『その通りだよ、山というのは一つの大きな生命体だ。山の中枢を脳だと例えよう、眠れば脳も急速に入る。そして体の各器官は活動を停止する。この器官にあたるのが山に生える植物だとか住まう動物、妖も含まれるな。そして山の各機関が活動を停止した状態、これを冬眠と言うのだ。妖が冬眠するときはああやって同じ種族同士集まって眠るのだよ。中には眠らないものもあるがな』


 わかったような、全くわからないような説明だったが、出雲はそれ以上語る気はないようで視線は再び桜の蕾に移っていた。


『ま、とにかくあれは妖が集まったものだ。なに、気にすることはない。どうせ眠ってるんだからな』

「じゃあ別に危ないものではないってこと? なら別にいいや」


 蕾も見飽きたようで、再び歩き出した出雲の後を追いかけるように歩き出す。出そうとした。その時視界の端に僅かであるが山の毛玉が揺れるのを見た。驚いて山を見れば毛玉はまた揺れ、次第に毛玉全体が波打つように もぞりもぞり と揺れ始めた。


「出雲、毛玉が動いてる」


 出雲が振り返るより早くそれは弾けた。そこには大小さまざまな異形の集団がいた。

 一つ目、三つ目、頭が二つあるもの、角が生えたもの、足が六本あるもの。どれ一つとして人の形のものはいなかった。

 呆然としている間に、異形の集団は私達の姿を認めると一斉にこちらに駆けてくる。悲鳴をあげる私とは対照的に出雲は実に落ち着き払った様子で着物の袖から自分自身である煙管を取り出した。

 この状況で一服するつもりなのか、私の心配を他所よそに出雲は つい、と煙管を一吸いする。含んだ煙をしばらく舌で転がすと、眼前に迫った異形に吐き出した。

 しかし出たのは煙ではなく、青い炎だった。炎は消えることなく目の前の異形の集団を焼き払ってゆく。


『どうだ、彼岸の炎は熱かろう? 』


 口の端を意地悪く歪めながら くつくつ と笑う付喪神を見て、私は何とも言えない気分になる。目の前には炎に追われ逃げ惑う妖、何もここまでしなくても良かったのではないか。

 炎に追われた妖は次々と山に逃げ帰り、辺りはまた静かになった。川のせせらぐ音が響く中、何事もなかったかのように再び前を歩き出した出雲を今度はしっかりと追いかける。


 寒さと妖に遭った疲労で帰りたい気持ちでいっぱいになる。はて、この散歩はいつまで続くのだろうか、心なしかさっきよりも冷えた気がする。

 数歩先を歩く出雲が何かに気がついたようで興奮気味に空を指差す。


『おい裕子、空を見ろ』


 空を指す指の先を追うと、丁度鼻先に白い何かがひらりと舞い降りた。


「雪だ」


 灰色の空から ひらりひらり と不規則に ゆらゆら と白い雪が降っている。


『そういえば今年初めてだな』


 空を凝視しながら嬉しそうに呟く出雲を見て私も少し嬉しくなる。


「積もるかな?」


 そう聞けば間髪かんはつを入れずそれはないだろうと返される。夢がないやつだ。


『外に来て良かったろう?』


 確かに、家に居たら空を舞う雪に気付かなかったかもしれない、あの毛玉を見ることもなかっただろう。

 ちらりと後ろを振り返り毛玉のあった位置を見る。そして雪が舞う空を見上げる。


『外に来て良かったろう?』


 もう一度問われる。素直に「出てきて良かった。ありがとう」と言うのは少し恥ずかしいので返事の代わりに雪見大福を買おう。と提案した。


『素直じゃない奴め』


 呆れたように笑う出雲に、雪が綺麗だ。と言ってみる。私なりに感謝の気持ちを表したのだが伝わっただろうか。


『あぁ、綺麗だな』


 私の不器用な感謝はどうやら伝わったようで静かに返された。

 冬の散歩もいいかもしれない。ほんのちょっとだけそう思う冬の昼間



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