episode5 翔べない天使

「よし、外れた」

 カチャカチャと慣れた手つきで次々足枷を外していく。一体このじいさん何者だ?

「あんた何者だ?」と口をついてでたのは、ちょうどじいさんが俺の足枷にてこずって持参した茶色く薄汚れた布袋に何かをとりたそうとした時だ。

「ワシか?ワシはカサス。見ての通りお前さん達を拉致した連中の仲間だ。ただ、こんな真似事ばかりしておるから変人扱いじゃがな」よし、とうなずくじいさんは針金2本で錠を外すと立ち上がり、声を張る。

「皆の者よく聞け。今からワシの隠れ家に逃げるぞ。ついて参れ」

「どうせまた死ぬまで働かせる気だろ」不意に誰かが発した言葉に浮き足立っていた空気が一瞬にして冷めた。ついていったからと言って自由に慣れるはずもない。あの新入りのように…。


「お前さん方はこのままで良いのか?」


 その言葉に一同カサスを見る。

「死ぬまで働く。労働は結構。じゃが死ぬまでここにいる必要はあるまい。ワシが信用出来ないのはわかる。だがワシとこやつらと完全に同じだとも言い切れぬはずじゃ」

 一瞬の間が空き、再びざわめきが再燃する。

「俺は行くぞ」

「俺も。こんなくそみたいなところで死んでたまるか」みんな生まれたての雛がはは鳥に餌をせがむように口を揃えて活気出す。

「お前はどうする?」屋敷から次々と奴隷達が出ていくなかジェロが訪ねてきた。

「俺は…」

「ねぇ…」

 自分の声と重なって聞こえた言葉の方向を見やると大きなテディベアを引きずり、眠たそうなまぶたをしきりにこするマークが赤い絨毯の敷かれた階段からこちらを見ていた。

「行っちゃうの?」

「俺は…」

「連れてってよ」

「無理だ。君はここの子だ。」

「嫌だ、行く」

「ダメだ」

「何しておる?早く来んか。時間が…」待ちくたびれた様子でドアから顔を出してカサスがこちらを見てきた。

「…お前さんあの子に気に入れられとるようじゃな」

「で、どうするんだ?」呆れたようにジェロが腕組みしながら聞いてくる。

「仕方ない…。」

「やった‼」マークがテディベアを引きずり駆け寄ってきた。


「ワシがこの島に来てからもうお主らのような原住民はみんな殺されたのかと思っておった」

 月夜の晩に潜むように川の畔の道を歩く。先頭を歩くカサスは急にそんなことを口にした。

「じゃが、どういう訳かお前さんのような黄色肌をした者が突如現れ、彼らの代わりとなり労働に駆り出されるようになった。お主はどこから来たんじゃ?」

「あー…それは」

「未来から来たんだよ」パジャマ姿のマークが割ってはいる。

「お前が笑われるっていうから俺は今…」

「未来?」今度はカサスが興味深そうに聞いてきた。

「まぁ…話しても信用してくれないだろうけど」

「ワシの隠れ家にもそんな事を話す娘がいてな。あまり多くは語らないが、ホレ」カサスは布袋から小さな人形を取り出して見せた。

「ワシにお守りじゃと」

 所々色がはげた丸もっこりのキーホルダーに思わず吹いてしまう。

「確かに、俺がいた時代の物だ。」


「ひとまず休憩じゃ、ワシはもう疲れた」カサスは今にも朽ちそうな古木の剥き出した根に身を寄せるように腰かけた。

 月光が妖しく水面を照らし出す。座る状態で眺める夜露が着いた草花はまるで宝石のようにキラキラと輝いている。

「こいつはなにも言わないから」

 鏡に反射した太陽光を利用して嫌がらせをするやつもいる。

 学生時代。俺はクラスの空気だった。空気は見えない。空気は喋らない。だからまぶしいとは言わない。

 面倒な人間関係の摩擦から逃れたきた俺が唯一身に付けられた生存方法だ。

 ただ、空気が見れる人もいる。

「ちょっとやめてあげなって」

 彼女はそういうと毎回放課後俺に質問責めをする。何故はっきり言わないのか。何故話しかけても返事をしないのか。

 俺は唯一まともな扱いをしてくれる彼女の声が好きだった。


 ちゃぷん。


水面に写る黄金の月が次第に波紋に崩れていく。

「お前さ、自由になったらどうすんの?」ジェロが退屈凌ぎに小石を投げて遊んでいた。

「その件なんじゃが、お前さんがた全員行き場もないならワシの隠れ家の組織に入らんか?」

「また炭鉱で死ぬまで働かせる気かよ…」

「…悔しくはないか?」軽い絶望にうちひしがれた俺にカサスが諭すように語り出す。

「ワシはお主達も人間だと思っておる。だから泣くし、だから怒り、その倍喜ぶ。あやつらはお主達にその権限を認めない。少なくともワシが来てからの10年は。ワシは許さぬ。あやつらの罪を」

「話が読めないが?」水切りに飽きたジェロが河原から戻ってきた。

「レジスタンスを結成したんじゃ。やつらに対抗するべく武力集団を」

「なるほど、俺らに今度は人殺しさせようってか」思わず鼻で笑ってしまった。

「戦わなければ、自由になれぬ。自由が欲しくば…。」

 どちゃ。水面が乱暴に波紋を立てる。

「いたぞ」新入りを食い殺した犬を引き連れアルフレッドは銃身が月光で青白く輝くウィンチェスターライフルを乱射してきた。

 引き金を引き、レバーを押して薬莢が飛び出す。

「こりゃいかん」

「どうすんだよ」

「ひとまず逃げるぞ」

 獣の唸り声に一斉に立ち上がり、夜露の付いた草を押し分け川から離れるように山へ走った。

「薬が足りんかったか」

「なんで殺さなかったんだよ」

「ワシは宣教師。人殺しは神の教えに反する」

 暗闇の茂みの中でカサスとジェロは言い合っている。そんな場合じゃないだろ…。

 茂みをかき分け先へ先へと進み、視界を開けるように最後の一掴みを押し分けると急に足に力が入らなくなり、地面に勢いよく倒れこんだ。


 カランカラン。


 這いつくばる視線の先に白い煙にまみれた薬莢が転がった。

「みーつけた。」アルフレッドが悠然と歩み寄る。

「マーク逃げろ…。」先頭を走っていた俺にマークが庇う形で寄り添っていた。

「ダメじゃないか勝手に屋敷から脱走しちゃ…。君らには自由なんて過ぎた望みなんだから」

「ぐっ…」這いつくばった俺の背中に片足を乗せてアルフレッドは銃口を俺の頭に突きつけた。

「はい。チェックメイト。他の連中もこいつ死なせたくなければ大人しく小屋へ戻るんだ。」


 チカチカと白と黒の光と影がまぶた越しに刺激を与え、そのお陰で永遠とも思われる眠りからようやく覚めた。

 壁に寄りかかるように座った姿勢でぼうっとカンテラまとわりつく羽虫を眺めた。部屋の隅ではネズミが嗅ぎ回っている。

 何日間か気を失っていたと思う。いつにもまして空腹が身に染みる。

「おい」

 木製の古びたドアからアルフレッドが呼んでいた。

「上でお父様がお呼びだ。主犯のお前には再犯の抑止力になってもらう」

 …どうやら俺がすべての主犯になっているらしい。どうせなに言っても無駄だろう。

 右腕を床に突き立て、立ち上がろうと上体を起こすー。

 だが、何故かそのまま地面に力なく突っ伏してしまった。

 違和感を覚え、恐る恐る右腕を、見る。

 

 汚れた包帯が巻かれた右肩から先に力が入らない。

 ー夢じゃなかったー。


「諸君。見たまえ」

 塀に囲まれた中庭。三日月の下。かがり火がチラチラと風に揺れ、その明かりに集められた奴隷の影が異様な躍りを踊っている。

 面前の前に突き放すように押された俺の肩からゆっくり包帯が取られる。

「諸君は自らに課せられた職務を放棄し、こともあろうに脱走を企てた。主犯の男はこのように神の罰を受けた」

 主人の声だけが月夜の中庭に冷たく響く。無論誰も反論、異議を唱えるやつはいない。

 「何度も諸君らには話したはずだ。我々は諸君に働く喜びを与えてやってる。にも関わらず、今回こうして和を乱す真似をしてしまったわけだ」

 膝が砕かれたように地面に跪く。その安堵を主人は許さず、髪の毛を鷲掴みにして再び口を開いた。

「彼には代表で天国へ旅だってもらう、翔べない天使イカロスとなり主へ我々を導くのだ。」

 主人が懐から鋭利なナイフを取り出し、その切っ先が喉の頸動脈へと曲線の軌道を空中ブランコのように滑走する。


 カラカラカラ。シュー。

 

 群衆の間で渇いた音がして、たちまち煙に視界を奪われた。目の痛みに開けることさえままならない。

 「ターゲットだ。これより帰還する。」禍々しいガスマスクを着けた顔を見たのを最後に意識が途切れてしまった。

 

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