episode2 虚空のココロ

 風に牧草が静かに騒ぐ。そんなどこにでもあるだだっ広い平地の真ん中に唖然と口を開けて立っていた。今しがたこの状況を理解したとこだ。持ち物は財布に小銭と数週間前からいつの間にか溜まってしまったレシートの数々。会社からの電話履歴が残ったままの使い古しの携帯。


 頭上では太陽が照りつけ、間抜けにトンビが鳴いている。

 (携帯…電波無いし。)はぁ…。

 仕方なく、数キロ先の大きな木まで歩くことにした。行き当たりばったり、よく言えば臨機応変と言ったところでいつも大体散々な目にあう。

 そう感じさせたのはさっき血痕が付いた草、何かが倒れたみたいになぎ倒されていた草、そこにあった9㎜弾の薬莢を見つけてしまった少しまえの話。腰を抜かし、倒れこんで後退りしたさきに知らない人の死体があった時は誰もいない草原で叫んだ。

「し、死体だ。誰か。」

 間抜けにまた頭上でトンビが優雅に鳴く。



 大きな木に着く頃には汗でシャツが体にへばり着くほどで、灼熱の陽射しから身を守れる日陰に入れる安堵と死体を見つけた胸騒ぎを抱えてようやく休めることとなった。

 見渡す限りの草原に死体と一緒。この近辺に犯人がいると思うと顔が青ざめて体が震え上がった。

 額から顎に向けて一滴の汗が流れ落ちる。僕はぼんやり遠くを見ていた。

 小さな黒い点がこちらに近づいているみたいに見えた。

 思わず立ち上がり、息を飲む。

「…ぉーい」よく澄んだ声が風と共に草原を駆け巡る。

「…日向さん」僕ははっとして手をふった。


 礼服姿の日向さんはこの炎天下で顔を真っ赤にして息を切らして歩いてきた。僕は木陰に案内すると今までの経緯と例の死体の話をした。

「…とりあえず民家に行こう。さっき川があったんだ。少なくともそこでなら水くらいは手にはいる。」二人とも喉がからからで、僕は口の中がねばついていた。

 基本的に僕は大きな決断は誰かに任せる。チームに僕の責任を負わせたくないからだ。だからこの時もはいと返事だけして着いていった。


「…僕の想像出しかないんだけど」

 川を目前にこれから田中先輩の愚痴が絶頂期を迎えるというタイミングで、日向さんは僕の話を遮った。

 「ここは日本じゃ無いのかもしれない。」

 僕はあまりの暑さにスニーカーのまま川に入ると、そのすっとんきょうな発言に振り向く。

 「日本じゃ銃刀法で銃なんて持てるはず無いし、それに…。」日向さんは珍しく言葉を濁した。

 「それになんですか?」

 「…あ」

 日向さんの指差す方向からふわふわと風に流れる煙が見えた。

 火の無いところに煙はたたない。嬉々として日向さんと僕は川を渡り煙の上がる方へ全力疾走した。


 傾く西日はオレンジ色に牧草を染め上げ、僕と日向さんはついに村の目前に来ていた。もうその頃には喉の渇きなんかどうでもよく、とりあえず僕たち以外に人がいたこと、救助されるかもしれない安心感に満ち溢れ、我先にと歩を進めた。

 藁でできた粗末な家屋が視界に入ったとき、僕は失速し、足を止めた。

「日向さん…。あれ」僕が指差し、振り替えると急に首根っこを捕まれ、木影に引っ張られた。

「日向さんどうしたんですか?」

「井上くん、あそこ」

 声を潜め、指差す先に正座した状態で首のない裸の黒人男性の体がピクリとも動かずにいた。

「…ひっ」

「しっ。」

 日向さんが口の前で人差し指をたてるのと、民間から罵声にも似た声が聞こえたのはほぼ同時だった。

「だから、金はどこだっつってんの」

 聖職者のような白い生地に金色で縁取られた青い刺繍の足まであるローブを着た田中先輩が後ろをロープで縛られ、顔から血を流す黒人の老人に罵声を浴びせていた。

「お前さ、立場わかってる?お前が言わないから村人半分以上こうなってんのよ?」

 指差す先の光景に僕は絶句する。

 木で作られた竿に無数の真っ黒に焦げた人形の何かが首を吊った状態でぶら下がっている。先ほどの煙は明らかにこれからだ。まだ煙があがり、微かにうめき声が聞こえる。

「…ぅぉえっ」

「なんだ?」

 こちらの存在に感ずいた田中先輩がわしわしと歩いてくる。

 ヤバい。僕はとっさに身を屈めると藁でできた民家の影から誰かが走った。

「一匹も逃がすな、捕まえろ」

 小さな体で草原へと駆けていった少女は先輩の指示で動く黒人男性に無惨にも捕まってしまった。

「…娘だな。目元がそっくりだ。」

 不安に体をひくつかせる少女の顔を先輩は舐め回すように覗くと、着ていたローブを脱ぎ出した。

「お父さんがな、あるはずの金のありかをしゃべらないからお前の体に聞くことにするよ」

 嫌がる少女に覆い被さるように先輩は襲いかかった。

 その時、僕の中の遠くの方で微かに叫び声がした。

「やめろ」気づいたときには先輩を引き離し、背中に少女を隠している状態になった。

「誰かと思えば井上。久しぶりだな。」先輩はむくりと起きると、体に付いた土を払いながらゆっくり歩いてきた。

「だけどもお前さぁ、しばらく見ないうちに態度もでかくなったな」がっと胸ぐらを捕まれ思わずひるむ。

「先輩には?どうすんだっけ?」

 僕より十センチも高い視線から降り注ぐ支配の圧力に視線を落とす。

「…してください」恐怖に舌がもつれ、うまくしゃべれない。

「あ?聞こえねぇって、お前態度はでかいのに声はちいせぇのかよ」


 ーもう、あとには引けないー。


「きたねぇ手を放せっていってんだよ」胸ぐらをつかんでいた手を振りほどき顔面を殴り付ける。

 が、僕の小さな拳は先輩の手のひらに収まり、あまりの握力に膝まずいてしまった。

「しばらく見ないうちに威勢がよくなったらしい。…お前は飼ってやる」

 僕のみぞおちに強烈な一撃。

 くの字に体が曲がったところで顔面にも一撃。

 僕は完全に地面に突っ伏した。

 遠退く意識のなか手を伸ばした先に、先輩は少女を取り押さえ引き倒し、悪魔のような引き笑いで小さな体をもてあそんだ。


「疲れたなんて思ってんじゃねぇぞ?」

 険しい山道をスペイン人を乗せた籠を担いで下っていた。

 捕まって数週間。毎日炭鉱に駆り出された。

 奴隷。

 俺はもう、人ではないらしい。

 「いいか、俺はお前らに勤労の喜びを与えてやってんだ。自分の勤労を犠牲にしてだ。」昼から酒なんか飲みやがって…。

「ちょいストーップ…。今睨んだ?」

 やべ。またかよ。

「いえ、睨んでなど」

「睨んだよな?こいつ」俺を覗く半裸の黒人奴隷に視線を送るも一様に皆視線を泳がせ、黙りこんでいる。


 「痛っ、痛ぇ!」皮膚が裂けて血が滲むときもある。

 鞭の速度は時に音速を越える。そんなもんを日々日常浴びてたら発狂するのも時間の問題だ。

 奉仕の作業を終えて俺たちは屋敷に帰ってきていた。

(家畜)は(家畜小屋)に。

 俺はいつものように木製のボロい簡素な掘っ立て小屋に入ろうとすると、突然腕を捕まれ屋敷に連れていかれた。


「お前はまだわからないのか!道具の癖に!」

 明朝までそれは続き、ピシッピシッと乾いた音が背中から聞こえた。

 鼠が彷徨くクモの巣がはった地下室。カンテラの陰影だけなら誰かがダンスしているようにも見える。

「お前は!自分の!していることが!」

「…。…。…。…。」

 感情が死ぬ。いや、死んだのは俺の方なのかもしれない。毎日傀儡のように働き、傀儡のように罰を受ける。

「もうよいではないか」

 カンテラの陰影のダンスショーにも興味がなくなった頃だ。アクビをしながら主人が顔を出した。

「もう、わかったであろう?自分の罪が、我々の高潔さが」

「すみま…せんでした。」


 また一人、俺のなかで俺が死んだ。

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