偏食男日記

三文士

第1話ラーメン雑炊とラーメンライス

ラーメン雑炊とラーメンライスはどう違うか。


天と地とまではいかないが、ニューヨークとホノルルくらい違うと私は考える。


ラーメン雑炊とライス。私はどちらも大好きだが、とりわけラーメン雑炊が私の大好物である。


ラーメン雑炊。すなわち麺を平らげたラーメンのスープの中に、白いご飯を入れちゃうアレ。リサイクル料理。炭水化物のダブルハリケーンアッパー。ラーメンの最終的な着地点でありラーメンに対しもっとも敬意を払った食べ方のひとつ。私はそう思っている。


決して行儀のいい食べ方でないにも関わらず、最近では店側が推奨してくる場合もある。だってしょうがない。美味いんだもの。


私が初めてラーメン雑炊に出会ったのは小学校高学年の時。


従兄弟の家で一歳年下の従兄弟と留守番をしていた。私たちは食べ盛りで、お昼を食べたあとでも平気で空きっ腹だった。そんな時、従兄弟が偶然にも日清のカップヌードルをひとつ発見する。しかし残酷な事に空腹の少年二人を前にしてカップヌードルはひとつ。私たちは途方に暮れた。そんな時、わが脳裏に電撃が走り、まさに悪魔的な閃きがおとずれた。


「ご飯て、ある?」


私の言葉に従兄弟も即座に察したのであった。彼は満面の笑みで頷き、丼に山盛りの白飯を持って来た。私たちはそれを何回かに分けてスープだけになったカップヌードルの容器に突っ込み、白飯を貪った。


この時が人生初のラーメン雑炊だったわけだが、これがべらぼうに美味かった。美味いなんてもんじゃない。


それ以来、しばらくラーメン雑炊をするなら何がなんでも日清のカップヌードル醤油味だった。手頃で一番美味い。私は何かにつけてカップヌードル雑炊を食べる様になった。晩年は好みの食べ方を見つけ、ワザと例の謎肉を残して白飯を投入してから一緒に食べる術を編み出した。


私の中で不動の地位を確立したかの様に見えた日清カップヌードルだったが、ノーワン・リブズ・フォーエバー。いつかは飽きがくる。


袋麺が私に革命を起こした。


様々な野菜やきのこなどを一緒に煮込むことにより自作のラーメンはより深みを増した。そして、ある日私は閃いてしまう。


ラーメン雑炊というんだから、いっそ本当に雑炊にしてしまえ、と。当時の私は、よく手鍋のままラーメンを食べていた。そうして食べ終わったラーメンの汁を再び火にかけ、煮立ったところでご飯を投入する。さらに一煮立ちした後、とき卵を入れ火を止める。まさに、文字通りの雑炊が完成する。この食事法を、私はこよなく愛していた。


一方のラーメンライスはどうか。


こちらは雑炊に比べると早い段階で市民権を獲得しており、中華料理店などではごく当たり前のメニューとして定着している。


ラーメンとライス。時々お新香や餃子。いやしかし、あくまでラーメンとライスが主役なのだ。


数年前まで、私は家系ラーメンという奴を親の仇が如く嫌っていた。


こってこての脂の浮いたスープ。太くてゴワゴワした、スープの絡みづらい麺。固いチャーシュー。私の好物であるネギやもやしは見当たらず、その代わりに我が物顔で居座るほうれん草。そして、頭数合わせに呼ばれたような数枚の海苔。数年前まではまるで魅力を感じなかった。


しかし革命は突然やってくる。


独身時代のある日の夜。仕事が遅くなって夕飯をどうするか考えあぐねいていた私は、近所の家系ラーメンに初めて入ってみることにした。気に食わない家系ラーメンではあったが、それ以上に深刻な空腹に悩まされていたのだ。


ひとまずあまり期待していなかった私は、ごく普通の醤油ラーメンを大盛りで頼んだ。その時店員から


「脂の量と麺の硬さ、味の濃さはどうしますか?」


と訊かれた。


全部普通でと答えようとしてふと思い出したことがあった。youtubeで見たとある動画。


「家系ラーメンは硬め濃いめ多め。これが基本ですね〜」


それは一体何を仕事にしているのかさっぱり解らない常時半笑いの男が実に美味そうに家系ラーメンを食べる動画だった。


おそらくこの動画に出会っていなければ、今だに家系ラーメンは私にとって親の仇だっただろう。


家系ラーメンの脂が染み付いた椅子に座りながら私はその男の満面笑みを思い出していた。


「ああ、硬めと濃いめ。脂は無しで」


あまり脂の好きでない私流にカスタムしたものの、動画で男が食っていたラーメンがどれほどのものか試してみたくなったのだ。


「ライス無料ですけど」


「ああじゃあください」


そう言えば動画で男がライスを貪っていたのを思い出し無料ということもあってすかさず頼んだ。


しばらくしてラーメンがきた。


ひと口すすってみる。


美味い。アレおかしいぞ。こんな美味かったか?味を濃くするだけでこんなに美味くなるものか?だとしたら、なんてこった。とんだハッピータイムの到来じゃないか。


ご覧の通り私の脳は混乱していた。


間髪入れず二口三口四口と放り込む。美味い。問答無用に。濃い味だからか麺によく絡んでいる。そうなるとほうれん草は良い箸休めになる。食感も味も必要不可欠な存在になった。しかし解せないことがあった。麺の硬さだ。なぜ硬めでなくてはいけないのか?海苔の意味も理解できていない。


その時、再び革命が起きた。


「はーいライスでーす」


私はライスの存在をすっかり忘れていたのだ。


しかしここで、かつて愛して止まなかったラーメン雑炊派の経験が足かせになってしまう。ラーメンに対してのライスって、どのタイミングで食べればいいのか?なにぶんライスはラーメンのスープに突っ込んでナンボの精神でやってきていたので作法が解らない。


私は、スマホで例の男の動画を見直す。


「まだ麺が残っている状態で海苔をスープに浸してライスを巻いて食べる」


それが答えだった。


なるほど。だから麺が硬めなのかと合点がいった。麺を食べる最中にライスを食べる。そしてまた麺に戻る。その繰り返し。だから伸びないように麺は硬めが美味いのだ。


動画では男がすったニンニクを大量に海苔にのせてライスと一緒にかぶりついていたが私はあいにくと次の日も仕事だったのでそちらのやり方は遠慮させてもらった。


だがスープに浸した海苔で巻くライス。これを口にして私は家系ラーメンの真意を悟った。このラーメンは濃い味でかつライスがあって完成するんだ、と。


海苔は醤油に浸して米を巻くのが至高だと思っていたが醤油ベースのとんこつスープに浸して巻くのがこんなにも美味いとはいざ知らず。世間も広さをラーメンの食べ方で思い知った。


それ以来、私は家系ラーメンにハマり続けた。


よく少年誌のバトルマンガでありがちな、好敵手ライバル的な存在のキャラが一度仲間になると最後まで一緒に戦う戦友マブになるように。私にとって家系ラーメンは遅れてきた親友マブになったのだ。


独身生活に終わりを告げてからというもの、家人の心のこもった手料理のおかげで不規則かつ偏った食生活は改善された。しかし人間の嗜好はそう簡単に変わらない。一度身体に染み付いた豚骨の背脂は容易に抜き取ることはできないのだ。


私は今でも一人で外食する機会があればなと、愛しいラーメンライスのことを一日中考えている。


私は、三度の飯よりラーメンと食べる飯が好きなのだ。



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