二条天皇逃亡

 1159年 12月 26日 京義朝屋敷


「起きろ、悪源太」

 義平は、寝ているところを腹を蹴り上げられた。蹴られて起こされるほど不快なものはない。

「一大事じゃ、寝とる場合か」

 義平を蹴り起こしたのは、虎髭で顔下半分を覆われた父義朝の乳母子の政清まさきよである。義平は、あまりの寒さで寝具から出たくなかったが、政清が強引に寝具をはいだ。同じ河内源氏一党の中でもこの男にだけは起こされたくない。

「兄者が呼んでおる」

 夜が明け、26日の朝になっていたが、日はそれほど高くない。昨夜の宵の口から酔いつぶれて寝ていた義朝や政清らに比べると義平は寝たのが遅かった。

 何かが起こったらしい。

 寝起きということも合ってめちゃくちゃ寒い。どうしてこうも京は寒いのかいまだに義平は理解できない。直垂の前をギュッと締め、政清の後についていくあれだけの酒を飲んで政清はよく朝にはこのとおり、平気の平左である。やはり豪傑であることは間違いない。ついていくと必然、昨夜の大広間になる。

 上座の義朝の周りを昨日の面々がとり囲んでいる。昨晩のご機嫌はどこへやら義朝は苦虫を噛み潰したような顔をしている。あの程度の酒量の二日酔いだけでこうなるものではない。

 義平は、目を細めたまま、なるべく車座になっている一党の一番外周部に座る。

「二条が逃げた」

 あまり口を大きく開けず、義朝が告げた。遅れて入ってきた義平に向かって吐き捨てるように言った。一同のものはもう知っているいる様子だった。

「上皇は?」

 義平も、最小の単語で訊く。

「知らぬ」

右衛門督様うえもんのかみさまは?」

「知らぬ」

 義平は、頼朝や朝長を見るが一同全員俯き困り果て憔悴しきっているようだ。

「二条天皇を追いかけましょう、我等はみな帝の朝臣ではありませぬか」と義平。本気なのか、冗談なのかわからない。

「どうやって?」と義朝。

「急いでおるので、走るか、馬でしょう?行く先を記した置き手紙などは」

「あるわけないだろう!我等は二条天皇を捕縛し軟禁して居ったのじゃぞ、おまえは、わしをからこうておるのか?」

「いえ、真剣です」

 一同誰も何も言わない、それだけ事の深刻さがひしひしと伝わってくる。

「内裏には、三種の神器の鏡と二枚のむしろが置いてあったそうじゃ」

「むしろ!?、ということは、帝は履物を履いておられないということですか」

 政清が堪りかねたように怒鳴りあげた。

「警備はどうなっておったのじゃ、見張りは」

「恐らく、全員グルなのでしょう」平然と義平が答える。

「誰ぞわしが叩き斬ってくれるわ」政清が吠えた。

「やめんか、政清、みなに尋ねる、策を言え、わしはどうしたらいい」

 義平は、曾祖叔父の義隆よしたかを見てから頼朝を見た。誰も何もいうつもりはないらしい。こんな役は義平しかいない。基本どこまでいっても義平は白い源氏に生まれた黒鷺なのである。

「逃げましょう」

 義朝は黙っている。

「上の下あたりの上策と思いまするが」

「出来ぬな、信頼のぶより殿をほっぽり出して都から逃げるのか、清盛に負けたことになるわ」

「これ好機ぞと、いざ、御武家の国をけんせ、、」そこまで言った時に義朝が割り込んだ。

「又、お武家の国か、今度こそ、河内源氏追討の宣旨を受けて、滅ぼされてしまうぞ」

「ご心配無きよう、鎌倉は三方を山に囲まれ残る正面は海、いわば、堀を持ちたるようなもの。正に天涯の要塞とはこの事。米の備蓄も田を耕す領民全てを食わせたとしても、二年や三年はゆうに持ち完全に自活出来まする」

「いやぁ出来ぬ。清盛が図りおったのじゃ、間違いないわ、あの清盛が名簿を差出したるその夜更けぞ、あれは策略だったのじゃ」

 義平は一同の外周からにじり寄り、更に続ける。

「では、中の下策あたりを申し述べましょう」

 一瞬、義朝の目が光った。

「まだ、あるのか」

右衛門督様ういえもんのかみさまに言上して帝を新たに立てましょう」

「そんなこと、出来るか!!この本朝に帝を二人も擁してどうする気じゃ」

「失うたのですから、いたし方ありませぬ」

「中の下とか言うて、帝を新たにぽこぽこ立てるなど一番おまえらしいわ、この阿呆めが」

「阿呆の義平が、真剣に策を申し上げておるのです」

「そんなことを真剣に言うから、阿呆じゃというのじゃ、第一信頼のぶより右衛門督うえもんのかみでいられるのは我等の働きにかかっておる。それも数日かも知れぬのじゃぞ」

 義朝から信頼に対し、殿がなくなった。

「ならば、尚更急ぎましょう、最悪、違う右衛門督うえもんのかみをまた立てれば良いのです」

「義平らーっ」

 義朝が立ち上がり、怒髪天を衝くといった感じで怒鳴ったが、それより、先に政清が義平の直垂の襟首を掴み、ねじ上げた。そして政清が顔を義平につきつける。噛みつかんばかりである。政清の一晩経ってもまだ酒臭い息が義平に何度もかかる。釣り上げられ中腰しにされた義平だが、手は一切出さない。しかし人を切るときのような目つきで政清を睨み上げる。

「貴様、悪源太、兄者をないがしろにするか」

「ないがしろにせんがために、先ほどから申し上げておりまする」

「なにっ!」

「それより、政清の叔父上こそ、策の一つでも申されませ、若輩にて浅学非才のこの義平、是非拝聴しとうございまする」

 政清がひるみ言いよどむ。 

「わしか、わしには策などない、只々、兄者をお守りするだけじゃ、どこまでも兄者に付き従うまでじゃ、そう母上も申されておった」

 義平が、さらに、政清を挑発することを言い出すのではないかと、逆に義朝が二人の間に割って入る。

 義平が無理やり片方の頬を上げて笑って言う。

「父上、ご心配無用、この悪源太、流石に二人も叔父上は切れませぬ」

「辞めんか」

 その時、言葉で制したのは、義朝の祖父の弟、義朝の大叔父の義隆よしたかである。

「我等は、一蓮托生ぞ、ここで言い争っても始まらぬ」

 義平からみて、曾祖叔父の義隆の言葉重い。義隆は森冠者、陸奥冠者、陸奥六郎と呼ばれ、なにせ、伝説の武将と言ってもよい八幡太郎源義家の末子、実の子なのである。

 政清が義平を離した。義平は、そのままどかっと床に落ちたが、目は政清を睨みつけたままだ。

「義平も、政清もお互いの気性をよく存じていよう」義朝が二人をとり直した。

 義平がようやく頼朝と朝長の方を見ると、二人とも完全に怯えきっている。

「わしは、決めたぞ、皆の者、全軍率いて、内裏へ向かう。信頼殿をお助けし、ともにあらんとする」

「帝のおられぬ、空っぽの内裏に向かわれてなんといたしまする」

 すかさず、義平が問い詰める。

「それこそ、愚の骨頂にて、、」そこまで義平が言った時、また政清が割って入った。

「この悪源太っ!貴様」

 義朝が政清にも負けぬ更に大きな声で下知を下した。

「二人ともやめい!、皆、戦の支度を致せ!。師仲もろなか光保みつやすにも遣いを出せ、内裏に集合せよと、みなもとかばねを名乗りこの義朝の下知に従えぬものは、この義朝が斬る、もしくは、この義朝を斬って、堂々と離反せよ、遠慮はいらぬ、、どこからでも、斬りかかってこい」


 義平が、誰にも聞こえぬ小さな声でつぶやいた。

「まさに下の下策だ」

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