乱を見ゆ

1159年 12月 逢坂の関から稲荷山へ


 もう既に、朝は霜がおり本格的に寒い。完全な冬である。

 大庭兄弟の軍勢は、それから二三日後、霧のようにかき消えた。重臣が見張りの兵にも問い詰めても誰も答えることが出来なかった。義平にとっては痛手のはずであるが、この男あまり気にしていない様子である。

 義平の愛馬"瑞雲ずいうん"のくつわを持つ景澄かげすみは道々

「遺恨にならないのか?」と心配してさかんに義平に尋ねたが

「遺恨なら、あれ以前からもう十分とっくになっている。その結果、あのさまだ」と義平。

 義平率いる軍勢はゆるゆると近江から山城へと、向かった。

 瀬田の大橋も越え世にいう逢坂あふさかの関も越え山科に入った。

 義平、瀬田の大橋に対してとりわけ興味を示さなかったが、逢坂の関に至っては、えらく上機嫌で

「見ろ、これが、逢坂の関だ、で、んだ蝉丸せみまるの蝉丸神社が近くにあるとはなんということだ」と一人大はしゃぎである。

「坊主めくりをしたら、蝉丸がいきなり出た感じだな、おまえ坊主めくりをしたことないのか」

 字も読めないか景澄は、なんのことだかさっぱりわからず、答えられない。

「蝉丸殿は、さる高貴な生まれなのだが、とても悲しいお話がおありなのだ、そしてその逆境を文学に込められて生きられたのだ」

 義平が、珍しく、深々と一礼する。

 景澄が「瀬田の大橋の橋板を外すって言ってたじゃないか」と尋ねると

「そんな面倒なことするくらいなら西の北摂津きたせっつか、南の大和やまとへ退く」とか言い出す始末である。


 義平、12月8日に軍勢を京からは山かげにあたり見えない山科に留め置き陣をいた。

「斥候の物見だけでは、京の状況が全くわらん、いざ、稲荷山いなりやまに登らん」とか言い出し、醍醐まで下がり、志内景澄しうちかげすみ三浦義明義澄みうらよしあきよしずみ親子を連れ稲荷山に登りだした。ときは夕闇せまる頃あい。日暮れに藪をかき分け、獣道けものみちを山登りである。醍醐だいご側から登ると丁度伏見稲荷神社の裏側からこの山を登山していることになる。

 義平、山の麓で景澄には。

「おまえは、ここで馬の番をしていろ」と景澄に命じるとすたすた山を登り始めた。

 時刻は、宵の口。

 やおらすると景澄が後からえらい勢いで登ってきた。

「おい、馬はどうした?」

「ちゃんとなってる」と景澄。

「一人で夜を過ごすのが怖いのだろう?」

「そんなことはない、お前が心配なだけだ」

義澄よしずみ岳父がくふ殿もいっしょだ。坂東武者三人いればいざ大事なさざらんや、だ」

「じゃあ、ついでに俺も一緒にしてくれ」

「しょうがないやつだ」

 一行が藪をかき分けかき分けして山頂に向かう。片手に松明を持ち、大鎧を着けての山登りは意外に大変である。

 途中、ちらっと北の方角を見た義平が

「おい見ろ、景澄!天智天皇陵だ」

「誰だ、それ」

いにしえの偉人だ、しかしただの支配者ともいう」

 山頂手前で、義平は全員に松明を消すように命じる。

「我等が京に迫りつつあること知られたくない」

 義平一行が夜更けの闇の中、山頂に到着し京を望むと。


 京が燃えうねっていた。


 正に京の都はうねり、もえあがり、乱、そのものである。

「都が、燃えてる」おののきながらいったのは景澄だ。

 義平でさえ、多少動じている。

「悪いが、俺は京は此度が始めてだ、見聞きしたことから察するしかないが、あの南北に流れているのがさしずめ鴨川じゃなかろうか」

「そんなの俺だってわかるよ」

 義平は鴨川の東の手前に位置するあたりを指さし

「あれが、清盛公の六波羅屋敷じゃないか」

「若殿!」義明が怒鳴る。

「六波羅屋敷は真っ暗だ」

「若殿、父上のところへ馳せ参じなくてよいのですか」義明も必死だ。

「あれが内裏で、内裏から見て、燃えてるのはあの南東の一角だけだ、察するに、、、」

「察するのはもういいよ、」

「燃えてるのは、三条殿だけじゃないか」

「おい、義平!」景澄が面と面を向かい合わせて怒鳴る。

 京の通り辻々では、蟻のように見える騎馬武者や、徒歩武者、雑兵が松明片手に走り回っている。義平たちがいるところからは、虫のようにしか見えない。

「若殿、今すぐ、父上のところへ全軍を引き連れて参りましょう。一刻の猶予もなりませぬ」

「いや、待つ。明日をな、、」

「えっ」義平以外が全員、更に驚く。

「六波羅屋敷は、真っ暗、ぽつぽつあかりが付く程度。清盛公の兵は一切動いていない、つまり、親父殿の完全なる奇襲と俺はみる。奇襲とりわけ夜襲なんかは、仕掛ける側はきちっと時期と意図を持って動いているわけだから、逆に我等が闖入ちんにゅうならびに乱入すると、策略が乱れる恐れありだと、どんな好機到来とみたのか知らんが、簡単に言うと親父殿は待てなかったんだな、」

「えっ」

「それか、乱心したかどっちかだな」

 義平は一人頷き。

「都では信西入道が専横しているとは聞いていたが、専横とはいえ善政を敷いていたなら名臣だろうに、、ものすごい見識と博識だと聞いていたのに、都で会いたかった人の中で五指に入る日ノ本ひのもと屈指の人物だ。過去形にしちゃいかんかもしれんが」

「誰だ、それ」

「しかし、えらい時に、着いたことになったぞ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る